2012年5月22日 (火)

俗人宣言?

どうもみなさん、いかがお過ごしでしょうか。皆さんと言っても、このブログをまだブックマークなりなんなりに入れて時々はチェックしてくれている、なんて人が何人いるのか。もういないかもね。ちょろちょろアクセスはあるものの、半分以上はここに公開してるメールアドレスを得たいがために自分で検索してたどり着いてるものだし。

最後の更新は去年の6月か。ちょうど病気の治療を始めてちょっとした団体に所属することになって、みたいなところで終わってたんですね。あと彼氏ができた事も綴ってある。その後私の人生は激変したわけなんですが…。

一つひとつ挙げていくと、まずその去年の記事に書いてあった彼氏とはすぐ駄目になりました。私が求めるものがいろいろと大きすぎて、先方の供給できるレベルを優に超えてしまったためです。最終的には「彼女として好きだったことは一度もない」とか、「好きになる努力はしているが現状としてそれを他のことに優先しては行えない」とか。

もう散々でして、努力とまで言われてつながっている必要もないわ、と思って引きずりながらもなんとか離脱。で、ここからが割と急展開なんですが、その後朝のバイト先の人と仲良くなって付き合うことになり、今は一緒に住んでいるという。現在同棲中。うふ。

病気の治療も病院を変えてからおおむねうまく言っており、当ブログで色々やり取りしていたオールドニック氏に言わせると私は「常識的でつまらない人間」になってしまったそう。やっぱそうかな。

とにかくいろんな意味で、私が劇的に「治った」ことは間違いないと思われます。人が前ほど怖くない。余裕ができた分前ほど他人を敵視しなくなった。周りの視線からも解放されつつある。ちょっとした雑談ならもはやプロ級(?)ではないかと思うぐらいで。

こうして書いていても「なんだか最近いいですよ」という話で終わってしまいそうだ。その反面どうしたものかと思っていることといえば、今まで確固として自分の中にあった「不適合者としての自分」がぼやけてどこかにいってしまったような感覚。こうなると私はいったい誰なのか、よく分からなくなってくる。

というのも考えてみれば当たり前の話で、彼氏がいて一緒に住んでて幸せで、外に出ても他人の視線にそこまで困らされることもなく、雑談もそれなりにこなす。それってつまり自分が今まで「多数派」としてきた人間像そのものじゃない。生きててそこまで不適合な現実がないんだから、段々「普通」になっていくのは仕方ないことなのかもしれない。

それに伴って「多数派」とか「普通」とかいう言葉を使うのも億劫になってる。そんな線引き必要か、と。勝手なもので自分もそこに含まれるかもしれないとなるとその手の言葉自体を遠ざけるようになる。うるさい、うるさい。どうせ私は普通よ。

けどまったく世の中の一般の人に混じって遜色ないかといえばそんなこともないわけで、自分をクズだとしか思えない性根はまだ残っているわけで。なんというか宙ぶらりん。どこでどんな顔をしているのが「自分」なのか…。

とりあえず今は病気を治療することに専念してます。他人が怖くなくなれば、本当の意味で私は私として生きていける気がして。治療の中で、私は今までどれだけ取るに足らないことで行動を阻害されてきたのか、実感しました。やりたいようにやればいい。日々の場面場面で躊躇を取り払うように心がけてます。

私はこれからどういう人間になっていくか分からないけど、この場は残しておくつもりです。ああいう時期があったからこその自分、だし。

因みに団体での活動もしています。駅頭でティッシュとかビラとか配ったりね。これもまた精神的負担が大きいしかつての自分からもかけ離れてるしで大変なんですが、とにかくなんでもリハビリだと思ってやってます。私から「恐怖」を取り除けばもっと強い存在にバケると思うんですよね。

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2011年6月26日 (日)

社会不安障害の治療中。

どうも、皆さま本当にお久しぶりです。こんなに長く更新を空けてしまってすみません。ブログに書くような変化はいくつもあったんですが、内向してました。

前回の記事から変わったことを一つひとつ挙げていきますが、まず医者は変えました。あの記事の後の診察で私が「薬が効かなくなってきた。これでまた薬の量を増やしたり種類を変えたりしても、結局は元の状態に戻ってしまうんじゃないか」というような話をしたら「まあまあそう言わずに」とあっさり別の種類の薬を出されて帰されたためです。こいつは人の話をまともに聞く気がねえな、と。

その後の二人目の先生はなかなかいい感じで、話もそれなりに聞いてくれるし、説明もちゃんとしてくれます。その先生によると私が出されていた薬の量は十分でなかったらしく、薬を飲まないで治す方法もあるけど、どうせ飲むならきちんと効く量をちゃんと飲んだ方がいいとのことだったので、薬の種類はルボックスだけになり量は三倍に増えました。150㎎を朝晩に分けて飲んでます。

薬以外の認知行動療法的な部分についても的確なアドバイスをしてくれて、今は鋭意リハビリに励んでいます。社会不安障害はやはり事実に基づかない思い込みや恐怖が症状なので、恐怖を感じる場面をちょっとしたことから繰り返していって、「自分の思ったほど周りはそんな風には思ってない」ということを実感していくのが治療になるようです。

被害妄想やマイナスの思い込みは私にとっては大変愛着のあるもので、それを「事実ではなかった」として是正していくことは寂しくもあり、若干の抵抗も感じていますが、今は病気を治すことに専念しています。

リハビリと称して以前は距離を置いていたこと、絶対に無理だと思っていたことに取り組んでいます。ここでブログを書いていた頃の私とは随分変わりました。職場でのボーリング&飲み会にエイッと参加してみたり、ちょっとした内向サークルに出てみたり、カラオケで歌ったり。人と関わることに対して、前のようなじりじりとした恐怖感みたいなものは消えつつあります。

それを素直に「よかったこと」として喜べないのは、私がネクラ至上主義の価値観にどっぷりつかって生きてきたからです。外向的な人間は馬鹿なんだと思ってた。人と何も考えずに話せるような人間は軽蔑の対象だった。そしてネクラで人とすれ違うことですら疲弊する私はいい人間。ちゃんとした人間。ずっとそう思って生きてきましたから。

社会不安障害を克服しつつあって、これから色んな可能性が私には開かれていますが、それでも私の「趣味」は変わらないでしょう。別に明るい人間になりたくて、あるいは世の中の人に好かれたくてこんな治療に励んでるんじゃない。ただ「怖いから無理」を「めんどくせえからやらねえ」とか「嫌いな奴とは戯れねえ」とかに変えたくて。ネクラが好き。非社交的がいい。そういう趣味は変わりません。ただ不安や恐怖からくる回避行動をなくそうというだけ。

…言い訳がましいですが。しばらくは来るもの拒まずでリハビリを繰り返すつもりです。

そしてもう一つちょっとした変化を言うとすれば、彼氏ができた、とか。11年に渡って引きずり回してた人とやっと付き合うことができて。少し幸せです。

ということを書き連ねれば書き連ねるほど気が滅入る。暗いこと、死にたくなるような思いを書いてればハイになれるんですけどね。最近はそういう快感はないなあ。そこそこ前向きに保たれてしまっていて、うーんって感じです。悪いことじゃないんだけど。悪いことじゃないんだけどね…。

ぼろくそになじってくれて構いません。どう考えたって変わってしまった私が悪い。でも今はリハビリの期間なんだ。病気が治ったら、病気が治りさえすれば。今はさなぎの期間なんだと思うことにする。決めた。この期間を経れば、私は誰にも恥ずかしくない自分として生きていける。相手を選ぶぜ。普通の奴は切るぜ。興味の無いことについて質問したりしないぜ。そのかわり今はしょうがないんだ。さなぎなんだ!もっとネクラな自分になるための通過儀礼なんだ!そう思わなきゃやってられないぜ!

…実はとある人に誘われて、mixiまで始めてしまいました。でもこの場所とリンクさせる勇気はありません。ここはリアルで知っている人には絶対に教えないと心に決めて始めた場所だから。mixiの方でもちょこちょこ日記を書いたりするので、ここでの更新頻度はまたあれかもしれません。でも続けてはいきます。悲惨な時期に思いを吐き出してきた場所ですからね。今後ともよろしくお願いします。

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2011年3月26日 (土)

活動家デビュー?

まずここに、今私がとんでもないことになっていることをお知らせします。今までの私の自己像やキャラクターすべてを洗いざらいどっかに取っ払ってしまったかのような事態です。

その話の前に、医者はハズレを引いたようです。というかあの先生は臨床ではなく研究が専門なので、症状に対して薬を出す、ということしかできないんだと思います。診察はものの数分で終了し、薬の量が少し増えました。まずい傾向か。しかし自己診断でも社会不安障害には間違いないと思うし、セロトニンの再取り込みを阻害する薬が増えるというのは理に適っている。

グチグチ言っても仕方がないので、プロフェッショナルな診断を受けるという目的は一旦脇に置くこととし、そのクリニックは認知行動療法も手掛けているので、そちらへ受け渡されるのを待つことにする。自分の不安がどこからきているのかを分析し、不安な状況にあえて飛び込み(暴露療法)不安を是正していくのです。もうなんとでもなれという感じ。

しかしながら、精神科医にきちんとした診察、診断を受けることが私の当初の目的であったことは事実で、その目的が達せられなかったことによって、私はまた別に精神科を訪ねなければならないのか、精神科巡りか、ということで大変気分を害しました。だから私は緊張時服用のワイパックスを水なし一錠服用し、渋谷に繰り出したのです。馬鹿にならない交通費を掛けて診察が数分なんて不愉快極まりない、映画を観るか本屋を覗くかしようと思って渋谷へ。

これが私にとってどれほど凄いことかお分かり?私にとって予定の変更はご法度です(ちょっとアスペルガーっぽいでしょ)。今までそんなことを試みたことはないし、「これをしにここへ行く」という予定は絶対に守られなければならないのです。それ以外のことは絶対にしない、行かない。なぜと言われても困る。それが私の法則なんだから。でも私は気分が悪くなったからワイパックスを飲んで渋谷へ行ったわけです。

で、ここからが冒頭の「とんでもないこと」に繋がってくるわけですが、そこへ行ったらたまたま都知事選候補者の小池あきらが演説を始めようとしているところで、これはラッキーと思って私は話を聞き始めたわけです。そしたら運動をしている若い人に声を掛けられて、普段ならそれだけで固まってしまって不安に襲われる私ですが、薬が効いてるからなのかなんなのか、そこそこ話が弾んでしまい、なんと最終的にその活動のメンバーになることが決定してしまったのです。

あれよあれよと言う間に「最初に会う日を」ということになり、私は次の日、昨日会ったばかりの人と駅で待ち合わせ、事務所で活動の説明を聞き、その他会話を交わすなどの所業をやってのけたのです。少し緊張はしたけど襲ってくるような不安はなかったし、会話も楽しめたと思う。これは暴露療法なのか。「私は一体誰?」という気もしてくる。薬を飲んでなかったら間違いなく無理だった、ということは言える。

私は政治的にシニシズムには陥っていない。割と色々なことを変えていこう、関心を持っていこうと思っている方です。でもそれを人に伝えていこうとか、連帯しようという気はなかった。というか自分には無理だと思っていたのね、だって人と少し接するだけでも激しく落ち込んでしまうんだから。ああすればよかった、こう言えばよかった、私みたいな無能な人間は死んだらいいんだ、と人と関われば思ってしまう。けど薬でそれを抑えた今、もしかしたら今までできなかったことも可能になるのかもしれない。

考えなければならないことは腐るほどある。この不安は取り除けるものなのか、最終的に薬がなくてもやっていけるようになるのか、そしてその不安から解放されたとして、どこまで人と連帯してやっていくべきなのか。世の中を変えたいなら、連帯した方がいいに決まっている。でも私はその言葉がクソほど嫌いだった。私と他人とが繋がれるはずなんてないと、思ってたんです。

不安と性格とアイデンティティとやるべきことと。私はどういう風に変わっていくんだろう。私なりの新しい形、立ち位置を見付けるにはまだ時間がかかりそうです。

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2011年3月22日 (火)

社会不安障害でした

どうも。前回の記事に引き続き、どんどん自分の内面的な話をぐちぐち書いていくつもりだったんですが、例の震災によって私も世の中もそれどころではなくなってしまったため、書くに書けなくなっていました。

あれから十日以上経ち、被災地はまだまだ大変な状況で、原発も危機的な状況ではありますが、私は私の話をそろそろ再開させていただきたいと思います。あの震災で被害を受けたり亡くなったりした方には本当に申し訳ないですが、「ご冥福をお祈りします」なんて口上を並べても上っ面だけな気がする。だから「私は今日ものうのうと生きています。電力や食料を消費して、物資の満ち足りた東京で。」ということは言っておきます。ごめんなさい。

話を始めますが、地震があったあの日、私は実はクリニックにいました。そう、前回の記事で書いたように、精神科(看板は心療内科なのですが)を訪ねてみたのです。大量に渡された問診票にせっせと書きこんでいる最中に地震が起きました。ビルの上の方だったことも手伝って尋常ではない揺れを感じやや慌てましたが、そんなことより気になったのはそこにいた人が口々に「怖かったですね~」等のコミュニケーションを取っていたこと。

「何だ普通にできるんじゃん」と私は思ってしまった。あんな時ですら私は「他人と口を利かなきゃなんねぇのがめんどくせぇ」と思ってました。それは確かに私だってあれだけ揺れれば少しは恐かったけど、だからって何故それをあなたと共有しなければならないわけ?今日会ったばかりのあなたと。みんな口々に「家で一人でいる時じゃなくてよかった」と言ってましたが、私は素直にそんな風には思えなかった。こんなところに治療に来てまではみ出し者なのかと思ったら泣きたかった。

そんな紆余曲折はありつつも、診察を受けました。いくつかの質問に応え、視線恐怖の症状を説明し、社会不安障害ではないか、ひいては回避性人格障害も当てはまるのではないかとの話をしたところ、「その二つを治療していくという感じでいいんじゃないか」との返答でした。きちんとした診断というよりは「あなたがそう言うならそうなんじゃない」みたいな雰囲気だったのはやや引っかかりますが、問診票も書いて質問にも答えたんだからまあそうなんでしょう。正式な診断としてはどうなのかということを次回以降は聞いていきたいと思いますが…。

で、薬も出ました。SSRIというセロトニン再取り込み阻害剤(脳内のセロトニンの量が安定すると気分の落ち込みが緩和されるそうです)と、それが効きだすまでの即効性が高い抗不安薬、それと副作用の胃のむかつきを抑える胃薬。そういうものへの偏見や恐れはほとんどゼロに近い私は(強いて言うならこの程度のことで薬を飲むなんて甘ったれかしらとの思いは少しあったけど)好奇心丸出しでクイっと飲んでみました。さあどこまで効くんだ。私の性格は?症状は?と。

飲んでみて、少し症状が改善してみて思ったのは「やっぱり私は普通じゃなかった」ということでした。人とすれ違ったり、店で店員と接したりするだけで不安を感じてイライラするのは普通じゃない。早朝のバイトから帰ってくる時も、人とあまりすれ違わなければ当たり、人とたくさん遭ってしまえば(誤字でなく、わざと「遭う」なんです)はずれと考えていて、はずれの日はもの凄く不愉快でした。他人を悪意を持った物体としてしか認識できてない。そんな状態はやっぱり普通ではないんです。

私は治療には消極的でした。前回の記事でも触れましたが、卑屈に生きていくことが私のアイデンティティだと思ってたんです。人と普通に関われるようになることなんて望んでなかった。でも私は本当にこれからもずっと、他人と接するたびにこんなに惨めでしんどい思いをしていかなければならないんだろうか。社会不安障害の発症年齢の平均は結構若い。それに照らし合わせても私はおそらく14、5歳の時にこの障害を発症し、そのせいで惨めな思いをしてきたんだと思う。それを今後もずっと続けていくの?本当にそんなものが私のアイデンティティなんだろうか。

一つエピソードがあります。信号のない横断歩道を渡るとき、車が止まってくれることがありますよね。私はそういう時、運転席が直視できなかったんです。だって私の世界の中では運転席に座っている人は明確な悪意を持って私のことを見ているんだもの。「早く渡れよ、邪魔くせえな」等、その他あらゆる悪意を持って私を見ている。だから私は車と対峙するのが嫌で、道を渡る時も車から逃げ回っていました。

でも薬を飲み始めて、何の気なしに、なんの気負いもなしに、ふと運転席を見やることができました。そしてその運転席の人は軽く会釈をして走り去って行きました。たったこれだけのこと。たったこれだけのことが私にとってはこれまで何年も耐えがたい苦痛だった。そう思ったら、もういいだろうと。もう何年も十分に苦しんできたんだから、それは治療してみたらどう、と自分に言ってやりたくなりました。

私はなんだかんだいって自分は普通に「社会生活」を送れていると思っていたんです。ひきこもってもいないし、自傷行為もアルコール依存も薬物依存も拒食も過食もしてない。バイト先でのつまらない会話も覚えたし、そこそこ外の世界と接点を持って普通にやれちゃってるじゃん、と思ってた。でも私のは「社会生活」ではなくただの「生活」だったんです。不安を感じる状況を避け、そしてそれが当たり前になり過ぎて避けているという自覚すら希薄になって、今の自分の安定した生活の外に、私にはできないことや、するのに苦痛を伴うことがあまりにも大量に存在しているという事実を忘れていたんです。

別に世間的な道徳を持ちこむつもりは毛頭ない。今の私は間違ってないし、「もっとこうあらねば」とも思わない。ただ客観的な事実として、私は自分ができてると思ってるほどには何もできてなかった、ということに気付いたのです。薬を飲んで、少し「普通」の世界を垣間見てみると、「あんた、その障害を抱えたままどうやって生きていくつもりだったの?」と言いたくなる。

できないこと=悪いこと、劣っているという図式にははまりたくない。けど、できないことがあまりにも多過ぎて、そのせいで辛い思いをしているなら薬の力を借りるのも悪くない。というか、私は自分で思っていたよりもずっと、治療が必要な状態だった。なにもパーティーに出たり友達を増やしたりしたいわけではないけれど、私の行動はあまりにもこの障害によって、この社会不安障害という病気によって制限されていた。こんなことはもういい加減にしたい。終わりにしたいんです。

だから私は本格的に治療に乗り出そうと思う。薬も飲むし、診察も受け続ける。ただなるべくこれまでの自分を否定しないように、ネクラであるというアイデンティティを損なわないように細心の注意を払いながらやっていくつもり。最終目標は「もっと底意地の悪い人間になる」です。思ってもいないことを飛びっきりの笑顔で、どうでもいいことを自動再生、ぐらいの狡猾さがなければ世の中やっていかれないもの。

思えば2009年の年末2010年の3月の記事にあるように、この頃から私はそういう人間になりたがってた。不安障害という私がうまくいかない理由を突き止めた今、更にこの目標に向かってまい進すべきと言えるでしょう。考えてみれば思ってもないことを平気で言いたいという欲求自体、私がアスペルガー症候群ではないという証左よね。私はそんなに正直者でも純朴でもない。ただ不安障害によって縮こまっていたから性格の悪さが顕在化してなかっただけなんだわ。

私はきっとなってみせる。多数派とのコミュニケーションでまごついたりおどおどしたりなんかしない人間に絶対になってやる。もう惨めな思いなんてするもんか。自分の身は自分で守るしかない。一般人との会話で疲弊するなんて本当に無意味です。そして私はもっと活動の幅を広げるのです。

「回復」の過程はまたここで記事にします。私が底意地の悪い人間になっていく過程。

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2011年3月 9日 (水)

「自分探し」を敢行中

結局のところ私は一体なんなのかということが目下の課題となってます。どう考えても私がいわゆる標準的な人々と何も変わらないとは思えない。できないこと、不愉快なことが多すぎる。いったい何でこんなことに?

少し前までは性格だけでここまで卑屈に、かつねじ曲がってきたんだと思ってました。そしてそういう自分が好きだったんです。親に冷遇されたわけでも誰かにいじめられたわけでもないのに、こうも卑屈になった私とはなんて素晴らしいんだろう、と。まさに生まれながらのネクラ。それが自分のアイデンティティであり、誇りでもあった。

しかし。ここ最近やはり私はいわゆる「普通」とは違うのではないか、という思いがまた頭を擡げてきました。卑屈でネクラな自分は好きだったけど、他の人が当たり前のようにできていることが自分にはできない、という事実に傷ついてきた面があったのもまた事実です。「ここらでそろそろ原因を明らかにする必要があるのでは?」と思ったのです。

そこで何年か前から気になっていたアスペルガー症候群に一旦照準を合わせて動いてみたのですが、発達障害者センターに問い合わせたところ、診断を下してくれる専門的な病院は都内に二つで、最近は自分もアスペルガーではないかと考える人々が急増しているらしく、どちらも予約を取るのも一苦労とのこと。

そうなるとちょっと厳しいよなあ、とその病院のホームページを見ていると、「うつ病や統合失調症、社会不安障害などの違う原因によるコミュニケーション障害に起因する症状を、アスペルガー症候群によるものと誤解して受診するひとがきわめて多い」との一文が。鬱と統合失調症は分かるけど社会不安障害とは一体?と思ってインターネットで調べると私に当てはまること当てはまること。

私はむしろこっちなのかもしれない、と思いつつもアスペルガーではないかということへの拘りがあったので、なんだか社会不安障害なんて格落ちの診断を見付けてしまったようで素直に受け止められない部分もあり、とりあえず受診する前にアスペルガーと社交不安障害の本を同時に読み進めることにしました。

そして色々と本を読んでみた結果、やはり私はアスペルガーではないのかもしれない、と思いました。発達障害と呼ぶには私の幼少時のエピソードはあまりにも平凡だったのです。私は「早くしなさい」と言われれば「早くする」ということはどういうことなのか知っていたし、学校に行く準備をするという時に準備の中身が分からない、ということもなかった。つまりある程度抽象的な指示でも意味を読み取ることができた、ということです。

言葉の字義通りの解釈についてもそれほど困った記憶はなく、比喩も「本当にそういう意味で言っているわけではないこと」もそれなりに理解できていたと思う。私はアスペルガーとされる子供に比べたらずっと「常識的」な子供だった。周りに馴染めてはいなかったけどね。幼稚園からして登園拒否気味だったし。

でも大人のアスペルガーとされる人の話には共感する部分が多かったのは事実なんです。自伝を何冊か読みましたが、道に迷った時の感覚や(理性はどこかにいってしまう)、コミュニケーションについて他の人が知っているルールを自分は一切教えられていない、という感覚、他者に対するドライな反応、そもそも人との接触をそれほど必要としていない感じ等々。でも前述の通り、幼少時の私は「普通」だったし、もっと言うと感覚過敏だって思い当るところがない(太陽の光がまぶしくて嫌い、急に大きな音がすると心がざわざわする程度のことはありますが)。

その点やはり社会不安障害は自分の話であることが明らかなんです。人に見られている感じがたまらなく嫌で、馬鹿だと思われているんだろうな、こんなこともできない無能な人間だと笑っているのだろう、などという「思い込み」に支配されている。そしてその感じを味わうことを避けるために、どんどん社会的な状況を回避していってしまう、というのが社会不安障害です。人と接することをやめていってしまう、というわけ。

それは確かに私のことだ。私が人とすれ違うだけでもイライラしたり、「私は誰からも好かれない」という数年間に渡る強固な「思い込み」に基づいて生きてきたことは、この障害の症状だったのです。

ふうん、と思ったものの、まず最初に思ったのは「私はそれを治す必要があるのか?」ということでした。人ともっと関わりたい、パーティーにも出たい、友達も増やしたいとか思ってる人ならそりゃあこの障害はかなりの苦痛でしょう。馬鹿にされたり嫌われることに心が捕らわれていて、何の自由も利きませんからね。

でも私は?別に人と関わりたくもないし友達も増やしたくない。みんなが私を嫌い馬鹿にし見下しているんだ、という「思い込み」を是正したからといって、私にいったい何が残るだろう。むしろ中途半端に治療なんてしてしまえば、私のアイデンティティは崩壊してしまうのではないか?人と関わるのを楽しくしてしまってどうするのだ。私が今まで感じできたこの苦痛や不安は私を多数派と隔ててくれていたのではないのか?それを治して私は一体どうなりたいのか。そんなことを考えました。

それにこの障害の診断を受けて「治療」を受けるに当たってもう一つのネックは、先程から使っているこの鉤括弧つきの「思い込み」、つまりこの思い込みは本当に「思い込み」なのか?という疑問です。私が思い込みに括弧をつけるのは、嫌われている、馬鹿にされているという私の認識が完全に虚妄であるとは断じたくないからです。やはり私のこの知覚の方が正しいんじゃないか、とどこかで信じたがってるんです。

そもそも私が自分のそういった感じ方を完全な事実としてではなく被害妄想的な位置づけにしているのは、いつもいつも自分が他人から嫌われているなどという考え方は自意識過剰であり恥ずかしいことだ、ということに気付いてしまったからです。他人が自分を好いている可能性に賭けたいわけでも、自信がついたわけでもなく、単純に「そうとは限らないこと」に気付いてしまったんです。

自分が思うほど他人は自分のことを良くも悪くも思っていない、だなんて不愉快な事実を認識する機会が増えたものだから、私は仕方なく、どっぷり馬鹿にされた嘲られたという思いに浸るでもなく、かといってそういった考えと無関係に気楽に他者と口を利くでもなく、ずっと宙ぶらりんの日々を過ごしてきました。そして私がこの状況をどっち方向になんとかしたいと思っていたのかと言えば、やはりそれはもう馬鹿にされたい、徹底的に見下されながら生きたい、と思っていたのでした。

だから私は恐いんです。薬で不安感を和らげながら認識を改めてしまったら、「正しい判断」ができなくなってしまうのではないかと。馬鹿にされていることにも嫌われていることにも気付かずに、チャラチャラ他人と口を利くようなネアカに変貌してしまうのではないかと思うとたまらなく怖い。どうして周りの人間が私を馬鹿にしないなんてことがありえるんだ。そんなことはなくていい。やっぱり私は馬鹿でのろまなどうしようもない人間なんだ、そう思っていたい…。

などという思考の変遷を辿りながら、それでもやっぱり自分の原因、抱えている問題は明らかにしておきたいので、どこかしらの精神科を受診してみるつもりです。でも自分の中でどこまでを治療の対象とするかはまだ揺れています。苦しんでいたいこと、苦しまなくてもいいこと、苦しまない方がいいことなどが混然一体となっていてどうすべきか分からない。

でも一つこの社会不安障害について調べてて嬉しかったのが、この障害が重症化したものという位置づけで回避性人格障害が紹介されてたこと。回避性人格障害と言えばっ、五年ほど前に7つの診断項目を見付けて以来の心の恋人です。つまり私は社会不安障害を突き抜けて回避性人格障害と診断される可能性も十分に有しているわけです。ついニヤニヤしてしまう。

世間的には診断なんて差別や偏見に繋がるばかりで何の役にも立たないでしょうが、私がこれから生きていく世界では、何らかの診断名を得ることが肩書きとして役に立つ気がするんです。自分を明らかにすれば生きる糧にも繋がっていくかもしれないし。

とにかく、ここらで私が抱えている問題を専門家の手によって明らかにすべき時が来たようです。頑張って一歩を踏み出してみます。

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