相も変わらずマスコミは
世の中は無差別殺傷ブーム。さっき見たニュースでは女性が後ろから刺されて全治8日だって。その女性の方が受けた心身のダメージはいかほどかと思いますが、一対一で全治8日じゃニュースとしては弱い。それぐらいの事件ならたぶん普段からそれなりに起こってるだろうし、いつもならニュースなんかにはたぶんならない。でも今はその事件に秋葉原の事件によって付加価値がプラスされて、「犯罪増えてますよ、っていうか無差別に人が刺されまくってます!」というキャンペーンに使われる。
しょーもないマスコミのいつもの手口です。三菱のリコールの時も不二家の時もそう。何か一つ大きな事件が起きると普段は扱わない小さなニュースも総動員されてイメージの固定化が行われる。それで世の中の人はものの見事に引っかかって怖い怖い言いまくって、でもしばらくしたらもう忘れてるんだよね、次の旬のネタに夢中で。
日本は治安がいい。これは純然たる事実。この間の八王子の啓文堂の事件も、それがニュースになるということ自体が日本は平和だっていう証左だと思うんですよね。一人死んでニュースになるって事はそれだけ人が殺されるのが珍しいって事でしょ?誰かが誰かに殺されるということが日常茶飯事になったらそれこそそんなものはニュースじゃなくなる。なんせそれが日常なんですから。人が殺されて「怖いわよね~」なんて言ってるうちは日本は平和なんです。
だから世の中の人が怖がってるのはもう完全に平和病。これだけ治安のいい国で何をそんなに怯える必要があるのか。犯罪がゼロになるなんて事はありえないんだから、それぐらいのリスクとは社会全体で付き合っていくしかないでしょう。マスコミに踊らされるのもほどほどになされた方がよろしいかと。
社会というのは色々な人間がいて成り立っているわけで、マスコミの言うようななんだかわけの分かんない化け物のことも包摂してなんとかやっていかなきゃならないんだと思う。最近思うのは殺人者を否定するってことは人間そのものを否定する事なんじゃないか?ということです。殺人というのはそもそも人間の一側面なんじゃないかと。それをなんとか抑えて、あるいはうまく付き合って社会の秩序を形成しようというのが最近になってからの人間の努力で、一部のおかしい奴が殺人を犯すんだというのは違うんじゃないかなと。
人間の本質は社会の秩序を守る事でも犯罪を犯さない事でも傷つけ合わない事でもないから、そこから逸脱する者が出てくるのはある意味では当然。殺人は人間の一側面と考えれば、そこはやはり自分の身に照らして考えてみるべきだし、社会の秩序に浴する者としては煩悶すべき課題であると。
犯罪にどう対処するかというのは社会の在り方に対する理念が色濃く反映されるものと思いますが、私はやっぱり共生を掲げたい。あまり綺麗事も言いたくないのですが、実際問題この国にはくだらない制約が多すぎる。そういうものを取っ払っちゃってどんな人間でもとりあえず生きられるようにした方が私も気持ちよく生きられるし、社会の成熟度という面でもいい事だと思う。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)


最近のコメント