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2006年10月28日 (土)

とんかつ屋で疲弊

今日は父親とご飯を食べました。なんて言うとあえて書くようなことか、とか言われそうですが、実は私は母親と二人暮らしで、父親とは週1で土曜日ご飯を食べると決まっているのです。だからちょっとはブログのネタチックというか。

それでまあ今日はとんかつ屋に入店し、父親はヒレカツ定食、私はしそチーズカツ定食を注文。そんでしばし待った後来たのが、ヒレカツ定食とロースカツ定食。私は全く気づかず、ボーっとしてたんですが、父親がこれ違いますねと言い出した。ああ、そういうパターンね、などと訳の分からない事を考えながら、父親が喋ってるのを聞いてたのですが、次の瞬間父親が梅しそなんちゃら、とか言っている。しそつながりか、などと考えつつ「いえ、しそチーズです」の一言が言い出せずあわあわしてる内に店員退出。ああチーズ。

父親があれ違ったっけ?とか言ってるのを、でもまあどっちでもいいよ、といいつつ言い出せなかったことを心底後悔していると、注文をとった店員がやってきて「ドリンクをお持ちしましょうか」とか言っている。その程度のミスでドリンクサービスってのも悪いと思ったのと、店員のコカコーラとオレンジジュースという決め打ちにいささか戸惑ったのとでとっさにいいですと断ったものの、「こちらのミスですから」と引き下がらなかったので、無事コーヒーを注文する事ができた。

というか、いくら私が幼く見えるからといって(携帯ショップでは中学生に間違われた)、その決め打ちはどうなんだと。しかもその店員の言い方がまた、いかにも子供の機嫌を取るような感じで、オレンジジュースとかコカコーラとか言ってやがるのであって、まったく失礼な話です。残念ながらジュースでご機嫌を取られるような年ではないんですね、本当に残念ですが。

そんなことはありつつも、今日はミルクを入れないとうまくないだろう、などという父親の言葉に負けず、コーヒーをブラックで飲む事ができた。3回に1回ぐらいは流されてミルクを入れて後悔するのだ。どんだけ気が弱いんだ、といつも思う。

最近正直ここでの言葉遣いに迷っている。ですます調でいくべきか、もういっそのことタメでいくか。今はすっごい言葉遣いが色々混ざってますよね。口調に一貫性が無いのは困るなあ、と思いつつ、どうしたもんかと。考えとります。

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2006年10月26日 (木)

投げ遣りな日記

前置きなんてまどろっこしいものは私のブログには必要ないのだー。なんて、思いつかないという事を巧妙にカバーした前置きをしつつ、今日はこのブログがあまりにも愚痴の割合が高くなってきた事を考慮し、たまには普通の話題で書いてやろうじゃねえか、ということで意気揚々と書き出したところでございます。

愚痴以外、愚痴以外でしょ、えーっと、えーと、えーと…。あはは。思いつきません。そんなお約束をかましている場合じゃない。本当に思いつかないじゃないか。じゃあなにか、あんたの頭の中は愚痴でできてんのか、と聞きたくなるような体たらくです。えーい、でも私は諦めませんよ。

そうだ、風邪薬ってのは何で効かないくせにあんなえらそうに宣伝してるんでしょうね。そりゃあ私だってきれいサッパリ風邪がその日から治るなんて事は期待してないですよ。でもそれにしたって緩和すらされてるのか疑わしいぐらいの効かなさ。でもかといって飲まなかったらもっとひどかったんじゃないか、とか言う考え方が出来てしまう所がたちが悪い。効かなかったということを証明する手だてがないんですもの。

えーっと、今テレビでぼったくり水道修理をやってます。ひっかかりたくないものですよねー。えーと、えーっと、ちょっと待ってくださいね。……ごめんなさい。もう無理です。何も書けない。何も思いつかない。わーん、泣いてなんかないもん。

というか、つくづく思うのが、何で私はこんなタイミングでブログを始めたのかと。正直考えうる非日常はすべて済んでしまっている。7月に約7年半通っていた場所をやめ、8月に高卒認定試験を受け、同月両親の実家に帰省し、9月には失恋。ネタの宝庫ではないか。

今待っている事と言えば、8月と同じ試験会場でなんの驚きも感動もない試験と、それに向かってしなければならない、したくもない数学と生物に向き合う日々。ネタもクソもあるかって思いません?思いますよね。うん、絶対思うはずです。

だから私のブログのクオリティが下がるのは仕方がないことなんです。同情の余地がありまくりなんです。寛大な処置を希望します。あなたの山よりも高く海よりも広い神憑り的なお心でもって…ああもうめんどくさくなってきた。

もう締めなんか真剣に考えてられるか、ってことで今日はこの辺で。こんな文章でも更新に時間を取られる自分に
辟易。今日も一日が終わる。

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2006年10月25日 (水)

私の遍歴

今日も明日も明後日も生きてくことがとっても辛いぜー。なんて、いい加減な前置きをしつつ、なんとなく煮詰まってきたので、私が何でこんなんになったのか、勝手に振り返ります。

私は自分が自分でいていいんだ、この人は私の事を好きでいてくれてるんだ、という心の底からの安心感をもう何年も得たことがない。たえず何かに怯えて何かが不安で。何でかなーと思ったらやっぱり私はある種の虚像を抱えていて、今本来の自分と他人からみた自分がなんか違う、という思いがあるからだと思います。

私は一時期妙なキャラで活躍していた時期があって、いわゆる所の男勝りというか、やれクラッシャーだの、やれ粗暴だの言われながら、暴力的なキャラで生きてた事があった。今の私では考えられませんが、周りの言葉に乗せられて私も調子に乗ってそのキャラを謳歌していたりなんだったり。暴言を吐く、あからさまに不機嫌そうなオーラを出して人を引かせるなど、そりゃあひどいもんでした。思い出したくない痛い思い出の一つですね。

最近ではすっかり丸くなって、かつての面影はなくなりましたが、やはりかつてのイメージというものは抜けきっていないような気がして、未だに強い人、サバサバしてる人などの部分だけが一人歩きしている感がある。私はそんな強い人間じゃない。私はそんなかっこいい人間じゃない。いつも自分の中でそう叫んでる。

私は今の人間関係は、私という人間のつまらなさ、かっこ悪さ、くだらなさ、、暗さなど、あらゆる欠陥がばれていない、分かられていないからもっているようなものだと思えてならない。私みたいな人間のありのままを知ったらみんな離れていくに決まってるんだ、という考えがどうしても抜けきらない。自信なんて数年前からとんと見かけなくなった。どこへやったっけなあ。数年前までは確かにここにあったはずなのに。探したら押入れの奥とかから出てきてくれないかなあ。

私は実はこんな性格が如実に表れだしてから結構日が浅い。気がつけばもうずっとこんな性格で生きてきたみたいな顔してるけど、4、5年前までは訳の分からないキャラで能天気に生きてましたからね。まあその頃から気質的には今みたいな人間になる兆候はあったのかもしれないけど。それでもその頃の私は今よりずっと強かった。いつからこんな弱体化したのかサッパリ分からない。

なんかきっかけは知人に「プラス思考過ぎじゃない?」って言われた事だった気がする。当時の私はそれが結構ショックで、ああそうか、私はプラス思考過ぎるんだ、とものの見事にそのまま受け取り、それから物事をいい方に考えなくなった。いや、ちょっとあんた単純すぎやしませんか。まあもとからそういう気質があってのきっかけに過ぎないとは思うんですけどね。

なんかそれを指摘された事によって、物事をいい方に考えてそれを信じて疑わない事の滑稽さを悟ってしまったように思う。自分が今までいかに愚かであったのか分かった時、子供ながらに恥ずかしかった。もうそんな恥ずかしい思いはするもんか、という発想が今のとりあえず最悪の結果を想定するといった行動につながっているんだと思う。私はわきまえている、身の丈以上の事を期待したりしないんだ、ということを誇示することによって過去を汚点を清算し、恥をかかないように、傷つかないように必死になっている。

傷つくことを避けようとすればするほど苦しみ、でも怖くて前が見れない。いやー、もう困った。どうやって生きていけばいいんでしょう。

なんかよく分からない内に色々と書き連ねてしまいました。こーんなもん誰が見て面白いって思うんだろう。まあ所詮はこんなもの自己満足に過ぎないんだから、その手の疑問はもう放っておこう。

生きてるだけで誰かしらに迷惑をかけているなんて考えは、自分の影響力に対する思い上がりなんだろうけど、それでも生きててごめんなさい的な感情を払拭できないでいる。そういえば生きる価値的なこともろくに向き合わずにここまで生きてきちゃったなあ。その内この場を借りて向き合ってみたいと思います。

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2006年10月23日 (月)

たかが愛

どうもー。ちょっと久しぶりでしょうか。いやでもこの程度で久しぶりとか言ってたらすぐ更新がおっつかなくなるので、久しぶりではないです。

そんな前置きもありつつ、今私が声を大にして言いたいことは、中島みゆきっていいなあ、という事です。すいませんね、藪から棒に。いやでもほんとに、なんといっても詞が深いし私の弱りきった心にクリーンヒットって感じです。

今もリピートで『たかが愛』をかけてるんですが、正直ちょっと泣きました。特にいいのが

あぁ この果てない空の下で 独りでも寂しくない人がいるだろうか

何故にたかが愛に迷いそしてたかが愛に立ちどまらされても

捨ててしまえないものがまだあるの

僕はたかが愛に迷いそしてたかが愛に立ちどまらされても

捨ててしまえない たかが愛

という部分です。

いやもうなんと言ったらいいのか。愛に迷い立ち止まらされても、たかが愛と思いつつも、それを捨てきれない人間らしさの中での葛藤がこれでもかってぐらい伝わってきて、泣けます。

どんなに傷つき絶望しても、捨てることができないたかが愛。どんなに孤独になりきってあらゆる希望を捨てた気でいても、心の奥底では捨てきれない、たかが愛。大切だって分かりきってるからこそ、無かったらどんだけ寂しいか分かってるからこその「たかが」なんです。「たかが」という言葉に込められた渇望感が心に突き刺さる。切ない。

今日はもう感傷にひたりきって暮らします。音楽っていいですね。

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2006年10月19日 (木)

世間一般への憎悪

私の使っているテンプレートだと、続きを読む、にして文をふせる機能が使えないようです。正直今回の日記は全文公開にできるような代物ではないですが、できないものは仕方がないので、今回はヘビーでも大丈夫な人だけお読みください。


気分が悪い。とっても。私はいつもそう。慢性的に鬱積物を抱え、一定の周期で虚ろになるたびに吐き気がするような不快感とともに生きてかなきゃならない。なーんで?って言いたくもなる。私は普段から楽しく生きていたらいけないの?別段不幸があったわけではない。いつもと変わらない日常のそこかしこに私を不快にさせるものは潜んでいて、それに触れるたび私は生きている事が途方もない苦行に感じられ、さまざまな破壊衝動に駆られる。つって家具を破壊したりとかはしないけどね。

考えられる原因は、この社会全体が私のような人種を認めていないこと、私が人とうまく関係を築いていけない事、などでしょうか。とりわけ前者の原因が大きい気がしますが、私は社会に排除されるような事をした覚えは無い。

この日本という国はとかく「当たり前」を振りかざしたり、なになにらしく、というのを追求して型にはめようとしたりするのが大好きなようで、親を愛し敬うのは当たり前、学校に行くのは当たり前、不平を言わず働くのも当たり前。男らしく、女らしく、子供らしく、大人らしく、妻らしく、夫らしく。そんな規範に従ってたら人格が破滅する。全く以って付き合いきれません。

私はそんな「常識」と呼ばれるもののうさんくささや危険性をここで指摘しておきたい。皆が母の日のコマーシャルみたいに家族でカレーを食し、何の疑問も抱かず学校に通い、自分の体力、精神力、自分が本当にやりたいことなどを一切無視して盲目的に働き、男らしく、女らしく(以下省略)してりゃあ満足なのかと。ふざけんな。そうやってその型からこぼれ落ちていった人間が、型に収まりきらない人間がどんな思いをするか、ちょっと考えれば分かりそうなものなのに。

そんな世間の残酷性に触れるたび精神の具合が悪くなる。そうやって自分達が追い込んだくせに、自分達が排除したくせに、自分達は関係ないみたいな顔をして、犯罪者、不適合者に軽蔑の眼差しを送る。自分は絶対そんな事はしない、という訳の分からない自信がおありのようで。

そりゃあそっち側の人間には想像もできないだろう。そうやって排除された人間がどうやって人殺しに変換されていくのか。そうやって自分が侮蔑し、排除してきた人間が巡り巡ってあんたを殺す。ふん、自業自得だ、なんてどす黒い感情すら芽生えるほど、今日の私は病んでいる。そんな事を言っている私自身も、今背後から誰かに刺されて死んだら、ああやっぱりって思うだろう。私みたいな人間が犯罪に巻き込まれないはずが無いとずっと思ってる最近。

私は自分の親類を殺されテレビで奴は死んで当然の人間だと、死刑を訴える人にはどうしても感情移入できない。もちろん私だって親を殺されたらそうなるかもしれないし、被害者である以上ある程度は仕方がないこととも言える。でも、もとから人殺しに偏見があるかどうかは態度や言動で分かってしまう。人殺しは一部の異常者がやるもんだと思っているから、何の葛藤もなく死刑が当然なんて言えるのだと今の私には思える。被害者の心情は察するに余りあり、ここでこんな事を言うのも語弊があることは分かってはいますが…。

死んで当然の人間なんていない。排除したまま殺してしまうなんてひどすぎる。私だって人を殺さない保証。そんなものはどこにもない。排除され踏みにじられ、健全に生きていけるか自信が無い。本当は皆そうなはず。人を殺さないなんて言いきれる人間は、今まで世間の型にはまりきり、何も考えずに生きてきたという事を露呈しているようなものだ。誰だって環境しだいでは人を殺しうる。そんな認識が浸透すればいいなあ、と願ってやみません。

はー書いた。書き散らしてしまいました。誰かの気持ちを不快にさせるかもしれない文章、まあそんな事言い出したら表現そのものがそうなんですが、こんな私の黒い部分をぶちまけたような文章を公開すること、反省しております。もしうっかり最後まで読んでしまって不快感を感じてしまった人がいるならば、私は謝ります。でもこれは私の真実。きれい事を書くつもりならこんなもの始めなかった。今日はもう寝ます。この文の反省はまた後々…。

それとカテゴリーを新設。まだ適当に決めただけなんで、気に入らなかったら変わるかも。それではおやすみなさい。

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2006年10月18日 (水)

馬鹿が付くほどテレビっ子

今日はちょっと早起き。つっても10時ですが、私にしてはまあまあ早いほうです。久しぶりにこの時間に起きると、外の明るさが違うのにびっくり。10時ってこんなに明るかったんですね。なんかちょっとカーテン越しにも紫外線が、鬱陶しい、みたいなね。直射日光に体力を奪われるタイプなんで、ちっともすがすがしい気分になりません。

まあでも早く起きたら起きたで時間はさっさと経っちゃうし、早く起きた分お腹はすくし、あまり有意義な感じがしない。そんな事を言ってウダウダしてたらもう21時過ぎてて、一日はあっさりと終わってしまう。年を取ると時の流れが早く感じるって言うけど、この年からこんなに早かったらこの先20、30、40と年を重ねたらどんだけ早くなるのか考えるだけで本当に恐ろしい。

今だって2006年だということを信じたくない。ほんと早すぎませんかあまりにも。そうこうしてるうちにすぐ11月になって試験になっちゃうし。ああもうこの話はやめよう。

ってことで話題を変えて、私は何を隠そう筋金入りのテレビっ子。テレビのない生活なんて考えられないってぐらいの依存っぷりです。ですが、最近そんな私にとって致命的なことが一つあります。それが最近のテレビが全く以ってつまらないということです。いくらテレビっ子でも見たい番組がないことはいかんともしがたく、最近頭を悩ましているのです。

ゴールデンにしたって、前はなんとなくつけていたい番組が2つぐらいはあって、どっちにしようか迷う、ということすらあったのですが、最近ときたらましな番組を見つけるのにすら難儀する始末。安心してつけていられる番組がないのです。見ていると、うわー、嫌いな奴が出てる、ああもうこんなの何が面白いの、とかいいながらチャンネルを変えまくり、落ち着く先はNHKのニュース、みたいな事がざらにあるわけで、テレビっ子としては寂しい。

そんなに言うならテレビなんか見なきゃいいじゃん、とか言う人もいるでしょうが、見たい番組があろうがなかろうが、テレビが本当に好きなんですよ、これが。生活にあの雑音が不可欠というか。

そんな感じで最近はテレビはもっぱら深夜な今日この頃。で、深夜から面白い番組を探し出すのが趣味なんですが、昨日の夜やってた「働くおっさん劇場」、これはいい。ダウンタウンの松本が別室でウォッチングしつつ質問して、それに面接室みたいな部屋に通されたおっさんが答える画が続くだけっていう地味ーな笑いなんですが、なんか好きなんですよね。松本につられて笑っちゃうっていうのもあるんですが。お勧めです。ぜひぜひご覧ください。

今回テレビやお笑いの話はそれなりに字数が稼げることが判明。これからもちょくちょく書くかも。いいネタみっけー。

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2006年10月15日 (日)

気力を削ぐ言葉

今日例によって考えが煮詰まり鬱に陥り、無意識的に発した言葉。

「しょうがないよー、もう私は楽しく生きていくのは無理っ」

言った瞬間しまったと思いましたねー。そりゃあ分かってるよ。そうだろうね。でもそれを口に出しちゃったらさー。
もうほんと嫌んなる。今日も気が滅入る一日でした。おわり。

それと斜線の位置と文字の色を少し変えてみました。別に言わなくてもいいのかもしれないけど、一応。

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2006年10月13日 (金)

食べ物を捨てる人達

ネタがない。分かりきって始めたとはいえ、困るものは困る。まだ始めたばっかりなのに。やっぱ難しいね、ブログは。

結局今日も数学をやりませんでした。はー、大変です。試験に間に合わないよもう。とか言っておきながら急がない私。いつもそうなんですよね。電車とかでももう間に合わないなあ、と思いながらいつもと同じペースで歩いて普通に乗り遅れる。いつも心の中で走れよ!ってつっこんでるんですけど。

ってゆうかもうだめですね、ここで何か書こうと思っても、陰気な事しか出てこない。生きていくのが辛いとか、自分の欠陥についてとか、お腹がすいたとか、眠いとか。

最近夜更かしが過ぎるので生活リズムを戻そうと思ってるんですが、一回なると悪循環。遅く起きると寝るのも遅くなる。当然の結果。大体4時か5時ぐらいに寝て、14時か15時ぐらいに起きるって感じでしょうか。色んな人に怒られそう。まあこれでも一時期に比べたらまだ普通な方です。起きたらもう外が暗かったとか、、完全に朝日が昇ってから寝るとか、そういった事は最近ないからね。今のところまだ昼夜逆転の一歩手前って感じです。

そんな生活を漫然と生きてると、こんなとこで一日2食きっちり食べて、充足しきって、平和にかまけて、生きてる自分ってなんなんだ、とかちょっと思いますね。一歩外にでれば、空爆されてて、地雷原に住んでて、飢餓で苦しんでて、日本では助かるような病気で死んでて。そんな中たまたま衣食住保障されて、今のところは平和なこの国で生きてる私。うーん。考えてしまう。

だから私はせめて食べ物は捨てないようにしようって思うんだよね。日本は食べ物を捨てるって事をなんとも思わないような人間が多すぎる。日本は全体の食料の40%を捨てている。こんな事があっていいのか。自給率も低いくせに、ただ無限にあると信じて疑わない。当たり前だと思っている。

やっぱり食べるって事は人間の基本だと思うんですよ。もちろん病気などで点滴から栄養を取ってる人や、その他いろいろな事情で食べられる状態でない人もいる。でも、それでもやっぱり基本であることに変わりはない。それを軽視して、食べ物を捨てまくる人々ってのはどうも気に入らない。

どこにでも十分な量があるわけじゃない。たまたま恵まれていただけの話。外には飢餓で苦しんでいる人がいて、国内にだって食うや食わずの人がいる。食べ物を捨てるという行為は私から見ると最高に下品な行為だと思う。傍から見ればご飯粒一つ残さずがっついてる私のほうが下品なのかもしれないけど、だけど、限りあるもの、生きていくのに欠かせない食べ物を何のためらいなく捨てるっていうのは下品だ。絶対。


何でこんな話になったんだっけ。思いのほか書けましたね、今日は。まあ私の生活リズムの話なんかは誰が見て楽しいと思うのか、という疑問はありますが、あえて消さずにそのまま公開します。どうせその内ボロは出る。私という人間がつまらないという事はもうどうしようもない。

それはそうと、そろそろ手抜きの更新も覚えないときついかも。さらっと書ける短文を考えよう。うん、そうしよう。

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2006年10月10日 (火)

高卒認定試験

どうも。なんと今日はそれほど落ちてません。そんなにいつも鬱鬱言ってる訳じゃないですよー。

で、今日も一日家にいたわけですが、やっぱり外的要因無しに自分の脳内だけでネタを捻り出して書く、ということは想像以上に難しい。というのも、私は今高卒認定試験を控えた身なのです。勉強しなければならん訳です。そうするとほら、本を読んだり映画を見たりと見聞を広めるって事ができなくなってくる。そうするともとから少ない外的要因に更に出会えなくなってくる。

なんて、んなこと言いながら勉強してるかって言ったらそうでもない、っていうか私一人だったら試験は8月と11月の年2回、正直勉強って気分じゃないし来年にしよっかな、とすら思う。しかし、やっぱり日本は肩書きってのが大事らしく、今まで不登校児だったこともあって、周りが皆高卒資格を求めるんですよ、これが。ああプレッシャー。私に言わせれば高卒資格ぐらいなんだってんだ、ってなもんですが、世間一般が求めるものには従っておいた方が楽なのもまた事実。勉強する気になんてとてもならない自分に鞭打って数学に精を出さなきゃならない。はー、結構追い詰められます。

で、勉強ができないなら適当にやりたいことをやればいいものを、勉強しなきゃなあ、という後ろめたさからそういった普段の娯楽にふける事すらできず、無駄な時間を過ごしてしまい、その結果やっぱりブログのネタは生み出されない。あーあ。

そんな感じで11月の試験が終わるまではなんだか落ち着きません。それさえ終わればもっと本に映画に音楽に、と堪能できて、そうすれば論評などでもっと潤ったブログになると思うのですが。それまではネタを渇望しながら地味に続けていくしかないようです。なにか面白おかしいハプニングでも起こることを夢見つつ今日は終わりにします。

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2006年10月 8日 (日)

2回目にして既に…

最初のうちはちょっとマメに更新しようかな、ってことで2日連続の更新です。とはいえブログに関しては右も左も分からず、何をどれだけ書いていいやら。困った。まあ取り留めのある事や健全な事を書こうったってそうはいかない。かっこつけてもしょうがないので適当に書いてみます。

私は人と関わるという事があほみたいに苦手です。そんな中で孤独ってのは私にとって一生ついてまわる問題です。もう人とうまく話す、傷つかずに話す、自今嫌悪に陥らずに話す、という事ができている自分、というのが想像できないのです。

人が当たり前のようにやっていることができない。全く無駄なところで気を遣い神経をすり減らし、そのたび人となんて関わらない方が幸せになれるんじゃないかと思う。でもそれがしばらく続いて人と話す感覚を忘れる頃になると、それはそれでちょっと寂しくなってきて、そしてまた話す機会ができると虚無感。人とのコミュニケーションが全くの悪循環なのです。孤独の辛さと人と関わる事の疲弊、どちらが楽かいつも天秤に掛けています。

そんな私にとって虚無はニュートラルです。そこから更に鬱に落ちたり、逆に元気になったり。要するに鬱になっても元気になっても、時間が経てば虚無に戻ってくるということです。ここで私の言う虚無と鬱に注釈を加えると、普段慢性的に感じている比較的軽い空しさが虚無で、そこから更に絶望感や自己嫌悪感が強まると鬱になります。因みに今は鬱よりの虚無って感じでしょうか。

最近では虚無状態ではない自分に罪悪感すら感じます。嬉しい事や楽しい事があってもすぐ虚無に戻そうとする自分がいる。元気な自分を認めないのです。幸せを拒んでいる節もあるかもしれません。お前は一人で鬱に陥っているのがお似合いなのだ、人と楽しく笑っているような事があればそれはもうお前ではない、という声がどこからか聞こえてくる。

ああ、ブログ2回目にして何たる暗さ。虚無と鬱の違いを真剣に語ってる場合じゃないですよ、姉さん。うら若き乙女の日記に鬱の文字が8個も。もうダメです。ごめんなさい。

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2006年10月 6日 (金)

はじめまして

ブログ。ブログですね、これは。少し前まで自分がこんなものを書くことになるとは思いもしませんでした。半引きこもりだし、友達いないし、ブログに書くような面白おかしいネタとは全く無縁の生活を送ってるし。

しかし、そんな一つも面白くない私も人と話す機会が少ないばっかりに、こういう所で自分の虚無的日々を綴ってみようなんて血迷った考えに取り付かれてしまったのです。ああごめんなさい。

そんな訳で、今までは非公開の日記をちまちまつけてたんですが、同じ書くなら人の目に触れるところで書きたいな、ということでブログに進出してまいりました。やっぱり自分の書いた事を読んでる人がいるかもしれない、という環境はかなり魅力的です。直接のコミュニケーションではないけど、独り言にはならない、みたいな感じがいいですね。

一番上に書いたように、私にネタなんてものは皆無で、面白い事が書けないという致命的な欠陥を抱えたままのスタートです。いよいよ何で始めたんだ、という気がしないでもないのですが、そんな私なりに何か捻り出して書きますので、よろしくお願いします。

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