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2006年11月30日 (木)

布団の中でのぼやき

今携帯から更新ってのに挑戦してます。布団の中から。なんというかもうだるくて布団から出られんのです。

ちなみに今日の起床予定時間は11時。どんだけのびのびなんだよ。

やりたい事はいっぱいあるけど、布団の中にいるとそれらの雑事と向き合うのがやんなってきて、ついうだうだしてしまうんです。もうダメ人間の極致っていうか。

早く起きるためには早く寝るってだけの事がなぜもっとすっと出来んのか。ほんとに自分が嫌になる。

こんな風に時間を無駄にしつる場合じゃないってのは分かってるつもりなんですが、どうも体がゆうこときかない。

もうこの年からこんなババアみたいな事言ってたら駄目ですよね。若い内はもっと生きてるのが楽しくて仕方がない、みたいな感じでガバっと起き上がらないとさー。

ああもう、そろそろ起きます。でもこの時間に起きるとちょっとボーっとしてたらすぐ外真っ暗なんですよね…。またやる気が失せてきた。いかんいかん。よし、起きるぞー。

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2006年11月25日 (土)

心境の変化

7月に通っていた所をやめて以来、父親との週1の食事以外はほとんど家に引きこもっていた私ですが、最近ようやっと外に気持ちが向きつつあります。まあ引きこもりも悪くないんですけどね。

今日もその勢いに乗って外出。これといった用事もないのに外出したのは何年ぶりのことだろうか。というのも私にとって外に出るということは精神的、体力的に疲弊する事以外のなにものでもなく、「用事もないのに外に出るなんて体力がもったいない」との理由から散歩という概念もついぞ理解できずにいた。

でも今日少しふらっと歩いてみて「ああ、こういうことか」と少し理解できた。電車がよく見える方に歩いてみたり、ああこの道はここに出るのか、なんて驚きもあったり。今まで生活範囲が狭かった私には結構新鮮な事ばかりで。といっても方向音痴な私は駅へ出ようと思って歩いてたら家に戻ってくるなんてお約束もかましてしまったわけですが。

それと今回外に出てみようと思ったのにはテンション以外にももう一つ理由があって、それはやっぱりこれからバイトなどを始めるにあたって、週1外出のままでは精神的にも体力的にもきついだろうという事で、軽いリハビリを兼ねてこれからは少し頻繁に外を歩いてみる事にしました。

変な話4、5人の高校生とすれ違うだけでもリハビリになりますしね。今まで家という自分の身の安全が保障されている場所にいた人間からすると、すぐそこに知らない人が歩いているというだけでも結構緊張します。

今回外に出ようというテンションになるまでは、玄関から一歩出た瞬間からそこの角から誰かが出てきて刺されるんじゃないかと不安だったし、道を歩いていても後ろから車がつっこんで来たらどうしようと気が気じゃなかったし。

やっぱり引きこもりは家から引っ張り出したらダメです。私は外に気持ちが向いてきてからはそれらの恐怖からは開放されましたが、やっぱり自分が望まないうちから外に引っ張り出される事の弊害みたいなものは今一度考えていただきたい。家にいたい時はいさせてあげられるような環境づくりが大切というか。

なんか話がそれてきましたが、とりあえず今は少しずつ自分の世界を広げるための作業に着手中。紅葉がきれいなところをボーっと歩きたいとか、美術館めぐりがしたいとか、色々考えてます。生粋の引きこもりの私がこんな事を言うようになるとはね。母親にも奇異のまなざしで見られてます。意外意外。

でもまずは4ヶ月ためてしまった新聞を片付けねば…。前回の8月の試験の時から滞り始めたんですよね。本も数冊たまってるし。家の中でやらなきゃいけない事もいっぱいあるなー。やりたいことはいっぱいあるけど出来る事って意外と少ない。時間がもっと欲しいです。

はー、きっと鼻水が止まらないのは気のせいに違いない。ちょっと歩いたら早速風邪を引くなんてそんな分かりやすい事があるはずがない。私はそんな事認めない。私は…ああ鼻かみすぎて鼻が痛い。

そんなわけで寒くなってまいりましたが、皆さまも風邪などひかぬよう暖かくしておやすみください。それでは。

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2006年11月20日 (月)

試験終了

はー、やっと終わりました。一昨日は見るからに鬱って感じの記事を公開してしまいましたが、今日はなんとか平気です。疲れがどっと出てはいますが、試験二日目の昨日は制服の人たちがいなかったので随分楽でした。

やっぱり私はあの手の人種が苦手らしく、昨日は場の雰囲気だけでこんなにも違うもんかってぐらい安心して試験を受ける事ができました。

やっぱり色々な年齢層の人がいて雑多な感じだと、私もその雑多な中の一人として人格を否定されない安心感があります。でも制服の人がいっぱいいて既に集団が出来上がってる感じだと、自分がいかにこの世の中にとって規格外な存在か、いかに弱っちい人間かということをいやでも思い知らされる。

だから昨日は会場につくまでもう怖くて仕方がなかった。電車に乗ってる間も過去に感じた疎外感、びびってばかりで何一つうまくいかなかった出来事などが思い出され、周りの人は全員敵に見えるし、もう泣きそうになりながら向かいました。

でもそんな感じで鬱々としながら行った割にはことのほか雰囲気がよかったんで、帰りはもう意気揚々と、「私が嫌な思いをしない場所もきっとあるに違いない、だって世の中はこんなに広いんだもん、あははー」といったテンションにまで回復し、まったく現金なものです。

だから今はそれなりには元気なんですが、考えさせられる出来事ではありました。孤独について、対人関係について。

やっぱり今回思ったのは集団の中で孤立して生きていくには拠り所がないと辛い。「ふふん、あんた等なんかに適応できなくたって私にはこっちに居場所があるもんね」という逃げ道がないと、居場所や友人を作れない劣等感でぐちゃぐちゃになってしまう。

私がフリースクールに通ってた時がそうだった。これといった友人を作ることもできず、一人の時間が多くて、そんな時私の逃げ道兼拠り所になってくれたのが、例の彼です。他の誰と仲良くなれなくても、彼が私の事を分かってくれて話しかけてくれてる内は、私には居場所があったし劣等感を感じずに済んでいた。

でもやっぱり彼があまり話しかけてくれなくなってからは劣等感や孤独感にさいなまれ、楽しそうにつるんでる人を見ては疎外感を感じてみたりする日々。

なんかこういう風に書くと誤解されそうなんで補足しておきますが、別に私はその多数派の集団と仲良くなりたいわけではない。つまんない奴と話すぐらいなら一人の方がましだと思ってるし、そういう意味では一人は好きです。ただ自分なりの居場所が作れない、関係が築けないという事それのみにコンプレックスを感じているわけでー、って言えば言うほどみじめって感じー?

…それにしても自分の力で安らぎやそれにつながる人間関係を築いていく能力に欠けるってのはうやっぱり悔しいし、もっとなんとかならないもんかなあ、と思います。人を求める気持ちはあるのに、私が人と接する際に消費するものはシャレにならないぐらい多い。自己嫌悪は必至だし、あらゆる恐怖は襲ってくるし。

つくづく人と関わるのに向いてない、っていうか最近私にはそんな資格ないんじゃないかと思えてくる。この自己嫌悪や恐怖は消せなくて、それが相手の負担になっているという思いも消せなくて、一人で悶々とする。ちょい虚ろって感じー。別に深い意味はないです。

でも私は自信が無いとか自己嫌悪だとか散々言ってはきましたが、今の自分にはそれなりに愛着がある。もし仮に明日から明るく元気なプラス思考人間になれる薬があったとしてもそんなの飲まないし、私はマイナス思考で弱くて対人関係に鈍くさいからこそ私なんであって、自分ではない他の誰かになりたいとは思わない。

その意味では自己肯定できてるはずなんですが、一度人と関わるとどうせ私なんか病に取り付かれてしまいどうやっても立ち行かなくなる。でもいつかは嫌わるかもなんて不安を感じる余地もないような関係を築きたい。私だって普通に幸せになりたい。とこの言葉は私の非公開の日記にいやというほど登場した言葉。

幸せになりたい幸せになりたいと書き殴りながら鬱々としていた日々が思い出されますねー。幸せを希求するテンションになってきたのはそれぐらい久しぶり。ふとどこかで諦めに入っていた自分に気付く。希望を直視してその通りにならなかったらと思うと怖いから、ついつい絶望ばかりを手に取ってしまう。

そんな風に楽な方ばっかりに流れてたらその内絶望がほんとになっちゃいますね。私もう少しだけ前向きになってみようと思います。頑張るのは嫌いだからほんとに少しだけ。何の報告だよって話ですけど。

ということで今日は試験も無事終わり一応はめでたい日です。今まで頑張った私を誰か褒めてください。失恋や一番信用してた彼との関係断絶を乗り越え、試験会場に足を運んだ私ってすごいでしょ。ねー、って無視すんなよう。まあ今日は一貫してテンションがおかしいわけですが、おかしいついでに今日はもうぶちっとこの辺で終わりにします。こんな長く書くつもりじゃなかったのにー。おっかしいなあ。

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2006年11月19日 (日)

世の中への疎外感

なんとか試験一日目は無事終了ー、といいたい所ですがテンションに著しい減退が。

というのも試験の結果がいまいちだった事もさることながら、今回は8月に受けた時と雰囲気が全然違っててその差に私はげんなりなのです。

8月に受けた時はなんかいかにも高校中退しましたみたいな若者とか、今から受けんのかよってぐらい年がいった人とか色んな人がいて、一応は世の中の筋道から外れたみたいな人の集まりだった気がして、その中に私がいてもそれほど違和感なく、安心して試験を受ける事ができた。

でも今回はなぜか制服を着た集団が大挙していて落ち着かない…。なんかあの手の集団を見ると自分が如何に世の中から外れた存在かという事を思い知らされる。私がかつて感じていた疎外感も呼び覚まされたし。

私は嫌な事は考えないようにするたちなんで、家にいるとすぐ実感がなくなってしまうんです。でも私がそうしている間にも世の中が変わるなんて事はなく、私にとって都合の悪いこの世の中は絶えず存在し続けている。

私とは相反する強い人がいっぱいいるんですね、この世には。私はどうあがいたってあの人たちのようになることはできないし、馴染むこともできない。私は一生弱者の側で生きていかなくてはならないのだと、今日改めて実感しました。

正直怖いんです。あの制服を着た人たちを見ていると「お前は弱者の側で生きていくしかないんだよ」と言われている気がして。ああ、私って弱い人間だったなあ、と思い出させられた格好。強い弱いなんてのは比較対象があってこその話で、家にずっと引きこもってたら自分が弱い人間だって事も、人と関わるのが苦手だって事もすぐ忘れます。

特に私みたいな現実逃避をモットーにしてる人間は。で、その頭の隅に追いやっていた自分の欠陥や世の中の生きづらさみたいなものが現実感を伴って一斉に襲い掛かってきているわけで、もう私は耐えられません。

頭では分かっていたはずだった。居場所が見つかる可能性が低い事も、自分が弱い人間である事も、世の中が私とは相反する人種で構成されてることも。でもいざそれを見せつけられるとこれでもかってぐらいあっさりと傷ついてしまう。つくづく弱い。

私みたいな人間は誰にも受け入れてもらえないんじゃないか。私みたいな人間はどこに行っても疎外感を味わい続けるんじゃないか。私みたいな人間は…って考え出すともう怖くて仕方がない。


すいません、明日も試験があるんで今日は寝ます。遅くなってしまった。きっと明日も疎外感を味わう事になると思うので、明日また書きます。おやすみなさい。

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2006年11月16日 (木)

やる気が起きん

まあ私は高卒認定試験を明後日に控えた身な訳ですが、どうもやる気が起きません。

というのも、前回8月に受けた時は10時50分から4科目ぶっ続けが二日連続というのと、小学4年で学校に行かなくなって以来の試験ということでそれなりに緊張感があったのですが、今回は二日間で二科目だけだし、開始時間も遅いし、なんか気合が入らない。

やっぱり1回経験すると慣れってのが出てきて、場所も分かってるし、私が意外や意外、試験好きだったことも分かり(全然緊張しないのです)、もう元来無精者の私は気が抜けきってしまう。今も頭がボーっとして何もやる気がしない。

でもこんな風に気が抜けてる時こそ危険なんですよね。忘れ物とか遅刻とか。試験に向かってもう少し気合を入れたい所ですが、どうもシャキッとしない私です。

また試験が終わったら更新します。ああもう早く終わらせたい。

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2006年11月13日 (月)

陰気な恋バナ2

この日記は微妙に前回からの続きもんです。順を追って読みてえよ、という人はこちらをどうぞ。


まあ一回話が途切れるとどういった書き出しで始めていいのか非常に困るわけですが、ここで一旦総括して言っておくと、彼は私のような弱い人間が関わりを持つには強すぎたんじゃないかと思うのです。

彼とのやり取りは常に恐怖との戦いだった。嫌われるんじゃないか、拒絶されるんじゃないか、という恐怖との。会話をすれば何であんなこと言ったんだろうとか、何であそこでこう言わなかったんだ、とかで自己嫌悪になることは分かりきっていたし、メールは常に恥の上塗りだった。

自分から口を開く事はクソほどハードルが高く、メールは嫌われるんじゃないかという不安感から送信ボタンを押すのに1時間かかった事もある。

でも彼はそんな私とは対照的です。話しかけることにはなんらの精神力も要せず、メールの返信も適当。私はやっぱりそれをねじけた考えで不公平だとか思ってしまったことがある。彼は私の感じている恐怖とは程遠い所で何も考えずに喋ってるかと思うと腹立たしい事この上なく。

やっぱりその人種の違いは埋めることはできないもので、もっと早くに気づいて区切りをつけておくべきものだったと思う。私は彼の不定期な優しさでその都度彼との人種の違いをなかったことにしてきたような所があって、でもそれじゃあやっぱりダメで、人間性を見極める冷静さが私には足らなかった。

その当時つけていた非公開の日記はもう彼一色です。落ち込むたびに愚痴を4、5時間かけて書き込み、もっとやりようがあるはずと自己分析を繰り返し、何故こうなのか、どうすればいいのかを足らない頭で必死で考えても、会えばまた同じ過ちを繰り返す。すべてが不毛だった。

なんかねー、一人でしょうもないことに傷つくことがとにかく多かった。例えば私は彼のことを人として好きなのか、それとも恋愛感情の上だけで好きなのか、ということを真剣に考えた時期があって、その時彼と話す機会が欲しくて、誘ってみた時の話。

まず最初に誘ってから日時が決まるまで1ヶ月以上かかった。別に何も断り続ける彼に1ヶ月迫ったわけではない。彼は断らないし、いつが空いてるとか、日程も考えてるとか言うのに、具体的な日時につながらない。

メンタルが弱い私にとってその1ヶ月は地獄だった。でも彼と話がしたかったから、やっぱり私なんかと話したくないんだ、とか諦めに入る自分を必死につなぎとめて、具体的な日時を決めて、やっとこさ当日。

と思ったらドタキャン。まあそれはいいんです。理由ももっともらしいものだったし、また日時とか連絡するって言ってくれたし。それにマイナス思考ってのも恐ろしいもので、ドタキャンされるんじゃないか、という事もしっかり予想していた。傷を最小限にとどめる技術は世界最高峰です。

でもその後彼から連絡はなかった。もうあの時の鬱ったらなかったですよ。1ヶ月間恐怖に耐え、何とか当日に持ち込んだと思ったらドタキャン、そして放置。やっぱり私の事なんか誰も好きじゃないんじゃん、世の中うまくいかないようにできてんなあ、と。

でも私は彼には何も言えなかった。やっぱりどこかで私みたいな人間はこれぐらいされても当然だろうと思ったし、何よりそれを聞いてまた傷つくのもやだったし。何事もなかったかのようにふつーに会話しました。しょうがないからさ。

まあそんな風に地味に傷つき自信は目減りしていき、今から思えばちっとも幸せじゃなかった。その不安感たるやもうって感じです。やっぱ人種の違いですかね。私の性格のほうに問題があるとはいえ、私を傷つけることを平気でする人だったのは事実です。

今回振られた時も色々とあった。あまり細かく書くと見る人が見たら私が書いてるってバレるのでざっと書きますが、彼が私に軽い告白とも取れる思わせぶりなメールを送り、そして私が普段はマイナス志向のくせに、こんな時は調子に乗ってメールで呼び出して告白したら、勘違いだっただけでなく彼はメールの事なんて覚えてなかったと、こういうことです。

まあそりゃないだろうと思いますよね。私のような人種にとっては一番やな事です。引っ張り出されて改めて振られる意味が分からないし。正直現段階で私は彼を許せませんし、今メールが来ても無視するし、電話かかってきても出ないし。

でもその呼び出して会った時、私が一番力をいれて言った事、それは「私みたいな人間を嫌いにならないのはおかしい」というものでした。何でだよって話ですよね。怒んなきゃいけないところなのに。

結局今まで思っていたことが爆発したんだと思います。私はお前なんか嫌いだ、とはっきり言われる事よりも相手が自分の事をどう思ってるか分からない事の方がよっぽど怖いと思う人間なんで、彼のどっちつかずな中途半端な態度は拷問に近かった。

だからもうこの際「ああお前なんて嫌いだよ、ずっと鬱陶しいと思ってたんだ」という言葉を引き出したくてもう散々言いました。

「私の事嫌いになったでしょ」とか「自分はそういうつもりで言ったんじゃないのに、勝手に違う意味にとられてやっぱり鬱陶しいと思うでしょ?」とか仕舞いには「私の事を嫌いにならないことが不思議でしょうがない」とか。

我ながらめんどくさい女です。でも彼は引かなかった。そこだけ見れば幸せな事ですが、その後のメールでのぐちゃぐちゃの相違を考えると、ここで関係が切れてたほうがずっと楽だった。謝罪が足りてる足りてないでもめ、不誠実かそうでないかでもめ、何一つ分かり合えませんでした。今はもう疎遠です。

なんか人種の違いというものをここまではっきり自覚してしまった今、彼のことをまだ好きかと聞かれてもよく分からない。今後友達に戻ったとしてもそんな仲良くはなれないんじゃないかという気すらしてくる。まあ縁がなかったって事かなあ、なんて7年間の付き合いがありながらこんなセリフも吐いてみる。

何かまたクソみたいに長くなってきましたね。単なる愚痴って奴でしょうか、これは。まあ私がどんだけへたれかって事がよく分かる文にはなってると思います。要は何も成しえなかった人間の話ですからね。

ここまで読んでくれる人がどれだけいるか。私だって人のブログを見る時は長文は鬱陶しいと思うし、はっきり言って全部は読まないことの方が多い。でもまあ書いてしまったものはしょうがない。こんな文を最後まで読んでくれた人がいたら感謝します。それでは。

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2006年11月12日 (日)

陰気な恋バナ

今日はたまには17歳の女の子らしく、鬱だのなんだの言ってないで色恋の話にでも興じてみようかと。というのも最近ちょっとスランプで何書いていいのか分からなくなってきたんで、今の私にさらさらっと書けることって言ったらこんな話かなあ、と思って。

まあ現在進行形の話ではないんですが、そんな昔の話かって言ったらそれほどでもない、っていうかはっきり言ってしまえば私は9月に振られたばっかりだとそういうことです。別に振られた恨みつらみを書き殴ろうとかそういうわけではなく、ほらなんていうか、そういう事を書いてみたくなる夜だってあるんだい。

私はその人の事が7年間好きだった。7年前って言ったら私は10才、そりゃあ最初の内は楽しかった。でもすべてが終わった今7年間を振り返ると、明らかにマイナスが勝っている。その原因は私の性格にある。

私と彼は同じ場所に通っていたわけですが、まず話しかけるという選択肢はなかった。別に一目惚れでもして遠目から眺めるような恋をしていたわけではない。むしろそれなりには仲はよかった。では何故か。

これは恋愛に限らず私の致命的な欠陥なのですが、人に話しかけるということがどうしても出来ないのです。世の中の大多数の人間にとっては日常動作であるはずの人に普通に挨拶をする、人に普通に話しかけるということが、私にとってはとてつもなく高いハードルだった。

話しかけて無視されたらどうしようとか、失敗したらどうしようとか、迷惑なんじゃないかとか、鬱陶しいと思われるんじゃないかとか。そんな不安が先行し、会話はいつも向こうから。私から話しかけたことはここ何年かでは数回しか覚えがなく、しかもその数回はものすごく勇気がいった記憶があり、その時の自分の挙動不審ぶりは鮮明に覚えている。

そんな体たらくですから必然的に受身にならざるを得ず、その結果待っていたのは彼の言動に振り回される日々。自分からは会話に持ち込むことすら出来ないわけですから当然っちゃあ当然です。


…ダメだ。眠い。この手の話は時間をとられると分かっていながらこんな夜中から書き始めた私が悪いのです。お、お許しをー。続きは後日必ず。寝ます。

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2006年11月 8日 (水)

野中作品

マガジンにて8月から野中氏が新連載を始めていたことが発覚。全然気がつきませんでしたよ。その名も「未来町内会」。例によってここで第一話が読めるのでどうぞ。

さきクロ(魁クロマティ高校の略です)のような8ページずつの短編に慣れてると長いなーというのが実感としてありますが、やっぱり面白いです。野中ワールドは健在ですね。おっさんが必死になってるって意味では課長バカ一代の笑いに近いかも。

おっさんが主人公でしかも家族ものって事はさきクロのめちゃくちゃさはないでしょうが、ある程度の常識の中だからこそのおかしみを放つおっさんの笑いというのはもう前作課長バカ一代で立証済み。単行本出たら絶対買っちゃいますねー。

でもさきクロ自体こんな漫画さっさと打ち切りになるだろう、と安心して買い始めたら17巻まで続くという憂き目にあい、もう漫画を置いておくスペースがない。ちょうど全17巻ピッタリ収まって安心してたのに。

でもまあよく考えたら漫画家なんですから、そりゃあ新連載ぐらいしますよね。なんかあの人の脱力感を見てると、もう漫画なんかめんどくさがって書かないんじゃないかとすら思えてきて。今回だって「また漫画書いてるんだ、すごいなあ」とか思っちゃいましたもん。考えてみたら当たり前なんですけどね。

まあでもスペースの問題は真剣に取り組まなければ。他の漫画は見たら集めだしちゃうから見ない、という風にも出来るんですが、野中作品は別格ですね。とか考えてると、前々作のしゃぼてんとかドリーム職人とかも集めなきゃいけなくなってくるし。明日あたりブックオフに繰り出すか、とか考え出すともう勉強そっちのけです。

試験もあと十日、やることやっちゃわないとダメなんですが、野中ワールドに取り付かれたら逃げられません。やっぱ明日買いに行こうっと。

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2006年11月 6日 (月)

早1ヶ月

なんだかんだでこのブログも始めてから1ヶ月が経ちました。早いもんです。

この一ヶ月せっせと駄文を書き続けた結果それなりの更新頻度を維持できたのはいいのですが、質より量にしただけじゃねえか、と指摘されればまったくその通りでお恥ずかしいかぎりです。恥ずかしさで自分のブログが見れなくなったこともありましたしね。

でも散々ネタがないと言いつつもこの更新頻度で書き続けたのは理由があるのです。それは…なんとなく自分のブログを放置しておくのが恥ずかしかったからというか。

例えばはじめましての記事一つだけで放っておいた場合、私の存在は見る人にとってはその一つの記事に凝縮されてしまうわけで、という事はその文がイタい文だった場合、私はもう全面的にイタい奴になってしまうのです。それはまずい。

ということで恥を薄めるためにまた恥を注ぎ足し、そんなことをしている内に更新は過熱し、同日内に2つもの記事を公開する、といった状況になっているのです。ある程度過去ログがたまれば、恥も蓄積していくうちに薄まってくるし(濃くなっていくのでしょうか、ひょっとして)、安心して放置できるに違いないと思って。

私の安心して放置できる目安はとりあえず半年、まだまだ恥を薄めるための更新は続きそうです。

それと、私は今後もっと色々な事を勉強していく気でいて、関心だけはとにかくあります。政治経済、日本史、世界史、英語、精神医療、その他もろもろ。だから今回高卒認定試験が終わったらそれらを勉強して、ここでもっと北朝鮮問題とか、社会保障とか、犯罪者の更生についてとか、そんな話も多岐にわたって書いていけたら、と思っています。

なので、まだしばらくは内面のぐちゃぐちゃした話などに偏ってしまうかもしれませんが、その内もっと様々な自論を展開できるよう鋭意勉強に励みますので、温かい目で見守ってやってください。

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2006年11月 4日 (土)

大学論争

どうも。脅威の更新頻度を誇る今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

私は普段世間一般のいわゆる進路的なものをあまり意識しないで生きているので気がつかなかったのですが、私は今いわゆる所の高校三年生というやつで、いわゆる大学か就職かみたいな年齢らしい。元不登校児にそのお約束はもう無しだろう、と思うんですが、まあ親っつうのは馬鹿な生き物です。今さらながら私につまらんことを要求してきやがる。

今回も大学の事をぐちゃぐちゃと。父親が言うには特にやりたい事がなくても、この4年という期間が大切なんですって。そんなバカな話がありますか。

私はやっぱり人間向上心が無いと何も身につかないと思うのです。例えば私が今父親や祖母などの批判をかわすため、脱力しきったまま仕方無しに大学に入ったとしよう。そんな状態でただ漫然と通いつめたところで一体何が身につくというのか。

これが勉強したい、将来これになりたい、という確固たる意思があるからこそ、様々なものを吸収する事ができるのであって、ただ大学に行きさえすれば何とかなる、というのでは発想があまりにも貧困すぎやしませんか。

ただのんべんだらりと通った所で何もならんのです。中身がなかったらね。でも彼らはただ私が大学に通っている、ということそれのみに安心し、社会的な価値を見出したりするわけで、もうそんなもんに付き合いきれません、ということです。

私ははっきり言ってしまえば父親とは仲がよくない。今の関係だってお互いの人生に干渉せず、ただ週1回ご飯を食べる、というところでのみ維持できていたのであって、彼が今回のように父親として私の人生に干渉しようとするなら、今の関係は直ちに崩れ去ってしまうのです。だって一歩踏み込んでしまえば結局何もかもが違う訳ですから。

今回の態度だってひどいもんです。私は彼の中では17歳のガキで、人間として認められていないし、思いっきり見下されている。その証拠に私はそんなことよりバイトの方がしたいと彼に言った。そしたらまあ一笑に付され、まだ17、8だから分からないんだ、と言われましたよ。ちょっとカチーン。私は対等感のない大人というのがこの世で一番嫌いなんです。ガキだと思ってタメ口きいたりするような奴とかね。

あまりしつこく言ってくるようなら、そろそろ一度喧嘩しないといけないかもしれません。私は割り切った付き合いが出来ればそれでよかったのに、親ってのは本当にめんどくさいです。まあ喧嘩したらここでのネタができるからいっかー、とも思いますけど。論戦はここで絶対書くんで、楽しみにしててください。

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2006年11月 3日 (金)

見下げ果てた文

なんもやる気が起きない。やる気が起きないからこうやって画面に向かって文字を打っているわけだけど、ただ虚無的思考が頭の中を駆け巡るばかりで、何も書くことなど思いつかない。そんな状態でもこうやって書いているのだから、この場所も私の中でそれなりに定着しつつあるという事だろう。

さて、ほんとに何を書いたものだろうか。私はものを書くことは好きだけど、こんな時自分の感情をうまく文に乗せて表現するという術は持たない。ただ焦燥感だけが募り、なんらの行動も起こせない。こんな風に今書いていること自体無駄と言える。

私はもう様々な事に対して「何故」という問いを投げかける気力も無い。無駄と思うなら何故書いてるのかとか、何故生きてるのかとか、何故死なないのかとか、何故私が今こんな状態に陥っているのかとか。んな事はどうでもいい。というかこんな問いは愚問だ。

何故なら…とここまで書いてまた何も浮かばなくなった。こんな時無理に捻り出して書く文なんて、きっとなんの価値も無いのだろう。自分の思いを思うままに書き散らした文。それに価値があるのだ。でもなんも浮かばない。もうこれはあれです、私の中身がなんも無いということに他ならないのではないかと。

強いて言やあ、眠いとか寒いとか。そんなことしか。っつーか、最近ほんと寒くなりましたね。もうコタツの季節かな、なんて思っとりますよー、あはは。全然楽しくない。ただひたすらに気分が悪い。何がどうだからとかそんなんじゃない。慢性的な疲弊。

こんな退廃的なテンションに酔ってみたところで、何にもならん事はよく分かってるし、こんな恥の上塗りみたいな文章をせっせと書いている自分がいかに小物じみてるかもよく分かってる。でもどうにもならんのです。分かっててもね。

でも別に平気です。今日はほんのちょっと気分が落ちてるだけ。はっきりした原因が無い所がちょっとめんどくさいですが。よくあるんですよ、大した原因も無いのにいきなり誰かに突き落されたみたいにテンションが下がる事。今リッツでむせました。もうほんといやになるわ。

まあなんか憐れな奴だと思って、文章のめちゃくちゃさは目をつぶってください。こんなまとまりないのもそうないと思うんで。たまにはこんなんがあってもいいじゃんか、ということで、そろそろテンションを日常モードに戻して、いや別に人為的に落ちてたわけではないですが、今日はまあ何とか戻せそうかな、と。

結局なんらの中身もない文と成り果てました。ごめんなさい。でもこうやって更新してたら中にははずれの文だってそりゃあありますよ。だからこれからも見捨てないで読んでね、って誰に言ってんだ。

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魁!!クロマティ高校

さて、今日はトラックバックのお題にでも答えてみましょうかってんで、テーマは好きな漫画。最近は活字の本(もっとましな名称がある気がするけど思いつかない)に流れつつあるのですが、それでも私の中で絶大な人気を誇るのが「魁!!クロマティ高校」です。

普通にGTOや湘南純愛組などの藤沢とおる作品も好きなんですが、やっぱりここで紹介するなら正統派よりもシュールだろう、ということでクロマティの方を推薦します。

ジャンルは脱力系漢気漫画。http://www.shonenmagazine.com/works/kuromaty/で第一話が読めるので、それで大体どんな感じの作品か分かってもらえると思います。

とにかく作者の野中英次にまったくやる気というものが見られないところが魅力です。アニメ化された時も放映日時をすっかり忘れて見ないなど、自分の作品への思い入れや愛着のなさにはもう頭が下がります。まああんなフレディとかゴリラに思い入れがあっても怖いですが。

作者がそんな感じなので、どこがどう面白いのかを真剣に語る事自体が作者に対する冒涜ではないかと思えてきます。ある意味作品そのものよりも全体のやる気のなさ、どうでもよさに惹かれている部分のほうが大きいのかもしれない。そんなどうでもよさが魅力なだけに、私がここで真剣に分析するのも魅力を損ねてしまう恐れがある。決してめんどくさいから言っている訳じゃありません。

野中英次という人間の神懸り的なやる気の無さに触れてしまったら、もう真剣に語るなんてことはバカらしくてやってらんない、って感じなのです。作品の魅力を損ねない程度にざっと説明すると、キャラの入れ替わりは非常に早い。例えば第一話の山本なんかは、この先もう一切出てこないし。使い捨てのキャラが非常に多いですね。神山さえも主人公なのに途中ぱったり出なくなったりしますし。

神山は第一話ではまだ不良に虐げられている感じですが、話が進むにつれて、どんどんたちが悪くなっていきます。進級して後輩ができてからの神山の横暴ぶりも見所の一つ。

この漫画自体マガジンの読み飛ばす漫画第1位などに選ばれつつも妙な所で活躍していて、テレビ東京でのアニメ化、プレステ2でゲーム化、なぜか実写で映画化、果てはフランスロケ(といっても自分達で行ったのではなく、普通に旅行していた知人に頼んで撮ってきてもらったらしい)で絵本を出版、など訳の分からなさ全開です。

おおよそ社会的には認知されないであろういい加減な漫画のくせに、講談社漫画賞なども受賞していて本当に不可解です。しかもアニメのオープニング曲は吉田拓郎だし。普通に凄い人じゃないですか。

唯一惜しいのは私がまったく野球に詳しくないために、クロマティやバース、デストラーデなど、野球選手から取っているらしい高校名が分からない、という事でしょうか。野球好きだったらよかったとこの時だけ思います。

それと、この漫画、野球選手のウォーレン・クロマティから自分の名前を勝手に使われた、ということで訴えられるというおいしい展開も。いいなあ、魁だなあ、とか訳の分からん事を思ってました。

実写版映画では、なんと私の愛するプロレスラー高山善廣も出演していて、私の好きなものはつながっていくんだ、と嬉しかったのを覚えています。板尾創路も出てるし。私の好きな人ばっかりです。しかし予定が重なり上映中に見に行く事ができず、今DVDを買おうとしている所です。いやもう上映から1年半ぐらい経ってるんですけどね。買おう買おうと思ってたらいつの間にやら。見たいなー。いかん、漫画の話じゃなくなってるし。

まあそんな感じで魅力満載なさきクロ(略です)ですが、一つだけ言わせて貰うなら、最後の17巻があんまり面白くないということでしょうか。いや、散々面白いとか言っといて(読み返したらそんな言ってませんでした)申し訳ないですが。でも全巻そろえた感想として、どう考えても最終巻が面白くないのです。

同じネタの続投が多い漫画なんですよね。ずっと樹海にいたりとか、ずっと新幹線に乗ってたりとか、ずっと地下のサルが喋る国にいたりとか。その設定とかキャラが好きな時はいいんですが、あんま好きじゃなかったすると、途中で多少だれるという事もまあ多々あります。だから最終巻も同じ感じで、バンチョーちゃんがあんまり好きじゃないもんで、そこら辺がいまいち…。

なんかひょっとして批判になってきてますか。いやそんな事はないんですよ、基本的にはとても面白い漫画です。ほら、だから全巻ちゃんと持ってるんであってね。フォローしなきゃ。まあそんないい加減を絵に描いたような漫画ですが、17巻もちょっとハードルを下げて読めばちゃんと笑えるんで、全巻買って読んであげてください。ってなんのキャンペーンだ。

私的には9巻が一番面白いと思われます。マスクド竹之内と林田のからみが全巻通して見ても秀逸です。あと四天王のくだりもなかなか。四天王なのに5人いるとか、全員メイクしてて入れ替わっても気づかなかったとか。もう伊賀ちゃんの独裁ぶりがツボで。四天王の方は全巻に点在しているので、買って読むのだ。

ということで、以上さきクロの紹介でした。お勧めという割には面白くない所を多々紹介するという勧める気ねえだろっていうこの感じも野中イズムです。たぶん。野中英次のやる気の無さを買ってやってください。それと前作の課長バカ一代もなかなか面白いのであわせてご覧ください。

なんかまだ書き足りない気もするけど、私の文才ではこんなもんでしょ、と納得させて、今日は終わりにします。それでは。

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2006年11月 1日 (水)

報道が語る正義

最近報道の節操のなさにつくづく腹が立っています。何か1つ目立つ事があればそれに飛びつき、その事象をことさら派手に報じて、不安や問題意識を煽るようなことを散々した挙句、ブームがある程度去ったらその問題が解決された訳でもなんでもないのに、とたんに報じなくなる。

今はいじめが「ブーム」なようです。別にここ最近急に増えたわけでもない。そんなものは前からずっとあって、たまたまちょっと目を引く学校のいじめ隠蔽と子供の自殺という事実があったから、報じられているに過ぎない。根本的な解決とは程遠い所で騒いだ挙句、その内ぱったりと扱わなくなるのです。

現に飲酒運転なんかは既に廃れてきている。飲酒運転が減ったのか、それともなにかすばらしい改善策でも講じられたのか。そうではない。ただ「ブーム」がさった。それだけのことです。ある程度騒いだら次のネタを探して、また飽きたら次のネタを、っていうのがエンドレスです。こんなものは報道じゃない。ただの馬鹿騒ぎです。問題の本質的な解決ではなく、下世話な憶測や決めつけをもっともらしく述べる評論家が諸手を挙げて歓迎される。

それに今の報道は正義がとても狭い。正義なんてものは本当はもっとあやふやなものなのだと思う。それこそ10人いたら10とおりの正義があるぐらいの。でも今の報道は一つの正しさでしか報じない。責任の所在を一点に絞って、自分自身や社会全体の責任は棚上げし、その事に対して批判し憤る事が正義だと思っている。

いじめの話にしたってそうです。いじめの隠蔽があれば学校を批判する。確かに間違ってはいない。でも私に言わせればあんたらはそうやって学校を批判するけど、そのふざけきった学校を信仰して、人格を形成するのにおよそ関係のないはずの学校を、さもそこに通わなければ社会に通用しないかのような事を喧伝してきたあんたらや社会には責任はないのかと思うわけです。

どんな問題でもその背景や社会が与えた影響を考える事なしには始まらない。人のせいにしたいのは分かりますが、個人の問題や病理だけに責任を押し付けられるほど、ことは単純ではない。集団や権力は人を変えるし、そこに身を投じた時あなた方は道を誤らないと言い切れるのか。そういう人間の集団心理や、権力を持ったときにどうなるか、といった精神的な背景まで考えて報じてもらわなければ困る。ただ個人への批判や軽蔑に終始してしまってはならない。

その時代がもつ正しさというのはもっともらしく見えてしまうけど、それが本当に正しいかどうか、という考えを常にもっていなければ危険だと思うんです。自分の正しいと思ってることなんて間違ってるかもしれないという謙虚な気持ちを持ち続けなければ。

所詮人間なんて周りの環境や時代の風潮に影響を受けまくって生きている生物です。ちょっとした事で間違った正義(何が正しくて何が間違ってるのかなんてことは不確かですが)に進んでしまう事だって十分ありえる、というかむしろそうじゃなかったらおかしい。それをわきまえずただ時代が決めた正しさに乗っかって、人を殺すなんてとんでもない事だ、いじめの隠蔽なんて考えられない、耐震偽装は人間のすることじゃない、なんて嘆いていても物事の本質は見えてこない。

もちろん殺人や耐震偽装は到底容認できるものではありませんが、その人が何故そうなるにいたったのか、という背景を慮れる人間があまりにも少ないと思うわけです。ただ表層の事象だけをなぞり、喚くだけ。誰も社会全体の責任だなんて言わない。私は誰かが人を殺した、誰かが自ら命を絶ったということは、私にも責任があると思っています。社会の責任ということは、ひいてはこの社会の構成員である私にもその責任の一端はあると。

私がもっと強ければ、もっと積極的だったら、もっとなにかしらのメッセージを出せていたら、この社会の間違いを、弱者を追い詰める構造を指摘できていたら、それがその誰かに伝わって、何かの抑止力になったかもしれない。

まあそんなことを言いながら誰かが死んだニュースを聞くたびに嘆き悲しむほどの慈悲深さは持ち合わせてませんが、それでもマイノリティとしてもっと出来る事がなかったか、ということは時々考えます。この社会に生きる人間一人一人が、そういう考えでもって人を殺したり自ら命を絶った人に対して、自分の力不足を詫びるような、そんな意識がどこにでも転がっていれば追い詰められずに済んだ人もたくさんいるような気がする。

こんな世の中に生きてたら、そりゃあ鬱にもなるし、孤独に落ちてみたくもなる。不幸な人が多いのも至極当然のことと言える。でもこんな世の中だからこそ、私に出来る事、私に出せるメッセージを模索していきたいとも思う。自己満足と言い切りつつも、この場所がまかり間違ってでも誰かへの抑止力になることがあったらいいなあ、とか思いますよ、やっぱり。

自分一人も許容しきれない人間が何言ってんだ、と言われればそれまでですが。さて、相変わらず締めは思いつきません。まだ寝ないけどおやすみなさいが一番手っ取り早いので、おやすみなさい。

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