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2006年12月 4日 (月)

犯罪被害者のプライバシー

30代の男性教諭が交通事故死した6人の児童の写真を無断でホームページに転載していたというこの事件。(詳しくはこちら

もちろんこの教師がした事は許しがたい事で、遺族の方々の心情は察するに余りあるものです。それに追い討ちをかけるようなことは私だって言いたくない。でも、これって少しプライバシー意識に欠けているとは言えないだろうか。

インターネットというのは不特定多数の人がいて、心無い言葉なんてそこらじゅうに飛び交ってる。そんな中に写真を掲載してたらそりゃあそんな奴も出てくるだろう。だからしょうがないなんて言い方はしたくないですが、それでなくとも亡くなってしまった人はいい悪いの意思表示ができないわけですから、そういう場所に写真を掲載するのはもう少し慎重であって欲しかった。

こういった話をすると犯罪被害者の実名報道などの話にも及ぶのですが、私はそもそも犯罪被害者の実名や生前の映像などが毎回でかでかと出される事に疑問をもっている。もし私が何かの犯罪に巻き込まれた場合、今の報道のように連日顔と名前を出されるような事はほんとに勘弁して欲しいと思うし、もう死んだんだからそっとしておいてくれと心から望む。

それでこういう事を言うと知る権利だのなんだの抜かす奴が出てきますが、ほんとにそんな権利は必要でしょうか。「今日未明、東京都で30代女性の刺殺死体が発見されました」。これでは何か不都合がありますか。どこの誰でこんな顔です、ということを出す必要性が私には分からないし、即刻やめていただきたい。

遺族の怒りや悲しみを共有するためだとか、被害者の軌跡をたどり犯罪被害者となるまでのいきさつを知る事によって犯罪撲滅の気運がどうだとか。私は別にそんな個人個人のストーリーはどうでもいいと思ってます。被害者がどんな人か、なぜ殺されたのかなんて事が分からなければ痛ましい事件だと思えないのなら、むしろそんな想像力の欠落した人間ばかりになってきた社会の方が問題でしょう。

そうやってワイドショー的な味付けがなされなければ犯罪被害者に思いを馳せる事ができないのであれば、それは人間としての欠陥です。そうやって個人のプライバシーが社会全体の想像力の欠如の犠牲になっていることは悲しいことです。知る権利と守られるべきプライバシー、どう考えても知る権利がいき過ぎている。

そのように個人のプライバシーを考えた場合、当然のことながら遺族だって本人ではない。だから遺族らが写真や実名を公表するということを決断するのなら(現在では遺族が選べるようにはなってませんが)「あの人(故人)だったらどう思うだろう、公表することの社会的意義はなんだろう」という事と真摯に向き合った結果であって欲しいと思うし、その考えからいくと、今回のホームページに写真掲載という行動は軽率だったのではないかと思う。亡くなった子供にもプライバシーはあると思うし。死んだから何してもいいってわけじゃないと思うのよね。

でも自分の身内が死んでしまった時にそんな事まで考えろってのも酷なのかもしれません。今日ニュースで遺族の方が泣いているのを見た時、ちょっとこれ書くのをやめようとも思いましたし。でもやっぱり写真以外にも事件を伝えていく方法というのはあると思うし、何度も言うように子供にはもう許可は取れません。選べないのです。やっぱりネット上に公開するということは当然今回の事件のようなリスクも伴う事だと思うので、もう少し慎重に、そういったリスク込みで写真を掲載する意義があるのかないのか、考えてもらいたい。

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