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2007年5月11日 (金)

子供の不登校は問題か

前回の前振りから1週間、不登校の事をがっつり書こう、と思ったらほんとに長くなってしまいました。やっぱり長文って敬遠されますよね。でもできる事なら「長文うぜえ」で済まさずに読んでみてほしい。なんてったって今回の記事はかなりの力作。不登校、教育関係に関心がある人はぜひ。


私自身は小学4年から学校に行かなくなり、それからはずっとフリースクールで育ったバリバリの元不登校児です。でも色々と悲惨な例がある中では、わりと不登校に関して悩まずにここまできました。最初のうちこそみんなが行っている場所に自分は行けないという負い目やらなんやらで多少苦しんだ記憶はありますが、うちは母親の理解も早かったし、自分の居場所となるフリースクールと出会えたこともあって、学校に行かないのは悪いことでもなんでもないんだ、と自己肯定できるようになるのが早かったんです。

そんな感じで何年も過ごしてきたから、もう自分の中で学校に行く行かないなんて大した事じゃねえな、というのが完全に出来上がってしまっていて、今更不登校の事なんて書くのは本当はちょっと違うんです。でも前にも書いた通り未だに学校に行かないのは問題だとか抜かす輩もいることだし、一度はここで書いてみたいとも思ってたから、まあ不登校に限らず、引きこもりとかニートの問題なんかも絡めつつ、述べてみたいと思います。

まずタイトルに不登校は問題かと書きましたが、結論から言えばまったく問題ではありません。学校に行かないという事は学校に行く事と同じぐらい当たり前の事だからです。人間には色々なタイプがあるわけですから、行きたいと思う人がいれば行きたくないと思う人もいるのは当然ですよね。楽しいと思えば行けばいいし、嫌だと思えばやめればいい。もうこれではい終わりって事にしてもいいぐらい、不登校ってのは本来は簡単な話なんです。

でもこの事をそれで終わりにできないのは、今の日本社会において学校信仰というものがかなり根深く存在するからです。学校に通わなければ人間性が育たないとか、学校に通わなければ協調性が育たないとか、同世代同士で過ごす事でしか得られないものがあるとか、我慢を覚えないと社会で通用しないとか、なんかまあそういう事を社会全体が言ってくる。そういうことをステレオタイプにずっと言われ続けていると、親も子供も学校に行かないとダメなんだと無条件に思い込まされてしまう。

でもそれらの主張には何の根拠もありません。私の父親も学校でしか学べない事があるとか根拠のない事を言って私を苦しめましたが、じゃあそれは何と聞けばろくな答えは返ってきませんでした。いい加減なもんです。

勉強はどこでだってできる。人間関係で言うなら、同年代の人間がすし詰めにされてる教室なんかより学べる場所は他にいくらでもある。校則やその他のルールに関して言えば、そんなものを守る事で身に付くものなんて何もありません。あるとすれば、個々人の人権よりも集団の秩序を優先する心だったり、自分がしてきた我慢を人にも押し付けようとする浅ましい精神だったり、みんながやってるから大丈夫なんていう主体性の無さだったり。もちろん学校を出た人がみんなそうなるなんて言うつもりはありませんが、多くの人がそういう考えに染められてしまったから、今の社会は管理先行の全体主義に陥っているのではないでしょうか。

私は今の学校教育にはかなり否定的です。テストの点で煽って勉強させるやり方も、運動会やその他イベントが強制参加なのも、制服だって校則だって、何もかもが子供の自主性や個性を破壊するために存在しているとしか思えない。そして学校は集団の秩序を乱さない「いい子」を大量生産する工場と化しているのです。

子供というのは何かを強制したりこちらから管理して育てるものではありません。点取り競争ではなく自分がしたいと思う勉強を自分からできるような環境を整備すべきだし、校則のほとんどはない方がいいものです。髪を染めたからといって何が問題なのか、なぜ授業に関係ないものを持っていってはいけないのか。校則だからという暴論以外にどう説明をつける気でしょう。必要のない管理や強制は教育現場から一掃するべきなのです。

とまあ学校教育への批判はつきませんが、それらの事を勘案すると学校に行かない事の何が問題かと言えば、むしろ行かない方が健全だぐらいのことが言えるわけです。

しかーし、それでも社会では不登校を許すとわがままになるとか我慢のできない人間になるといった事が言われます。でも私はもちろんそんな事はないと考えます。じゃあ学校を出た人達が優しいか、想像力があるか、人権意識が育っているか。抑圧されて育った人はそれを当たり前と捉えるようになり、自分の頭で考える事を放棄する。結果自分の頭で考えもがき苦しむ人間に異常者のレッテルを貼り排除する。そういった人達はただ単に秩序を構成する部品と化すのです。

人は自分の個性や人権を尊重されてこそ初めて個々人の人権がどれだけ大切なものかが分かります。今の社会の人権軽視の風潮は学校で人権を尊重されてこなかったからとも言えるのではないでしょうか。子供に対し一人の人間としての人格を認め、学校教育を受けない権利を行使できるような環境を整える事は、子供をつけ上がらせる事でもわがまま放題にさせる事でもありません。

これはもう既に知っている人も多いかと思いますが一応書いておくと、義務教育というのはもちろん、子供が学校に行く義務のことではありません。6歳から15歳までの子供に関しては教育を受ける権利を保障するため、親が子供に対して教育を受けさせる義務を負っているというのが義務教育です。

だから子供にあるのは、学校教育を受ける権利と受けない権利です。別に不登校はその権利に則って行動しているだけの話であり、そんなに構えなくたっていいんです。ほんとはね。例えば、いじめとかがあって死にたいほど辛ければ行かなくていいけど、何もないならやっぱり学校には行った方がいい、みたいな狭い了見を繰り広げる人間がいますが、そんな狭義の意味での緊急避難以外にも、学校に行かないという事はもっと気軽であっていいと私は思うんです。

誰の目から見ても明らかな理由というのが証明できなければ休んではダメという事なら、救われる子供はごく少数になってしまいます。実は私もそれでちょっと嫌な思いをしたクチなんです。学校に行かなくなってからなぜ行かなくなったのか色んな人に理由を聞かれましたが、私にははっきり説明できるような理由はありませんでした。いじめもなかったし、同情を買えるほどの人間関係のこじれもなく。

説明はできないけどとにかく学校には行きたくないというのがあって、だから私は理由なんてなくてもいいじゃん、と言いたいのです。学校に行かないのはなぜかなんて事がうまく説明できなくたって、嫌なら休めばいいんです。毎日決まった時間に通ってすべての授業を強制的に受ける必要なんてない。学校の教育は管理偏重の捻じ曲がったものです。そんなものを真面目に受ける必要も受けさせる必要もないのです。いい加減根拠のない学校信仰から脱却しましょうよ。学校なんてそんなに根を詰めて通う場所ではないんですから。

と、ここまで書いてかなり学校批判に偏っている事に気づいたので補足をしておくと、私は学校に行く事が悪い事だと言いたいわけではありません。確かに個人的には学校は嫌いですし、管理教育を助長させるような従順な人間も嫌いです。でも今の学校を楽しいと思い充実した日々を送っている人を否定する気にはなりません。

何をいいと思い何を悪いと思うかは人それぞれ。管理や強制はない方がいいに決まってますが、それを苦痛だとは思わない人間もいる、という事も心に留めておかなければなりません。

それに学校に行かなければ人権意識が身に付くのか、マイノリティたり得るのかといえばもちろんそんな事はありません。私は以前通っていたフリースクールで知りあいが「ニートって親のすねかじりでしょ?」と蔑んだ口調で話しているのを聞いたことがあります。まあ慄然としましたね。マイノリティの中でも醜い見下し合いが存在がします。

何のために学校に行かないという選択をしたのか。せっかくマイノリティとして個々人の人権を考えるきっかけを得たのに、多数派と同じようなものの見方をする。その人が今何を思いなぜニートという形態をとっているのかというところまで頭が回らない。ニート=親のすねかじり、堕落した人間という発想は、不登校=怠け者、軟弱な人間というのと何も変わりません。なぜ被差別者側に回ったはずの不登校がはばかりなくニートを馬鹿にできるのか。

学校に行かなかったからといってマイノリティの立場に立ち、引きこもってていいじゃん、働いてなくてもいいじゃん、となるわけではありません。中にはお前さあ、学校の方が合ってんじゃねえの?的な奴がいっぱい交じってて、だから学校に行かないやつが優れてて行ってるやつが馬鹿だなんて事を言う気は毛頭ないのです。そこら辺は誤解のないよう。

学校に行くのが悪いとか学校に行かないのがすばらしいとかいう話ではなく、お互いが寛容の精神で自分と違うものも許容するということが大切です。そちらが「学校に行ってない?そりゃあ不適合者だ、異常者だ」と言うのをやめ、こちらも「学校に行ってる?あんな管理教育を受けてる奴は馬鹿だぜ」と言うのをやめればよいのです。私は学校嫌いですが前述のように楽しく通ってる人まで否定するつもりはありません。だからあなたもこちら側の人間を否定しないでね、というのが私の考えです(そのわりにはちょっと学校の事ボロクソに言い過ぎましたが)。

でも今の私はとっても無力。いくら私がここで学校なんて行かなくていいと言っても、周りの親や教師から圧力を受け不安に駆られる人を救う事はできない。居場所も拠り所もないような状態に追い込まれたら、そこから脱却し自分のあり方を確立する事がどれだけ難しい事かは、温室育ちの私にだって分かる。学校に行く行かないなんて、人生においておよそ大した事ではない問題が、周囲の環境の組み合わせによっては、その人間の価値まで打ち砕いてしまう。恐ろしい事です。悔しい事です。

だけど学校に行っていない事や引きこもっている事を引け目に感じることはないと、もう一度声を大にして言いたい。人間が育つのにこうあらなければならないなんて事はないんですから、小中高大就職とノンストップで進み1度も立ち止まるなというのが今の社会の要求ですが、そんな要求に従う事はないのです。

言って分からない親兄弟親類ならそんなものは捨てていいし、家族なんて単位よりも、個々人が自分らしくあることの方がずっと大切です。日本の家族観ってなんかベタベタしてて嫌。ただ馬鹿みたいにまとまってるだけが家族じゃありません。お互いがお互いのあり方を尊重し、別々の存在として自立して生きていくというのだって十分家族です。

だから、自分のあり方を認めないような親なら捨てていい。学校に行ってない?だからどうした。っていう社会になるといいな、と思いませんか。

長くなりました。全部読んだ人いるんでしょうか。でもまあいつも思ってる事を文章にしたらこんなもんです。私は普段は自信のないグズグズな人間ですがこうやって反社会的な事を書いている時は自信が持てます。不登校が問題として叩かれるのも、引きこもりが外の世界に引っ張り出されるのも、100%間違っていると胸を張って言えるからです。

これからもっともっともっと勉強してこのマイノリティにとってクソほど住みづらい世の中をちょっとでも変えてやるんだ。こんな暑苦しい事を言うのもかなりらしくないんですが、まあいいや。

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