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2007年6月30日 (土)

昨日の太田総理について

アクセス数があ、アクセス数があ!今までこのブログがどれだけの低空飛行だったか知ってます?昨日の夜から今日の昼まででもう私が完全にびびっちゃうようなアクセス数を記録してます。昨晩の太田総理は思いのほか波紋を呼んでいたようですね。私のまったく希望しない方向に、ですが。

平岡バッシングが物凄いことになっているのをあの記事を更新してから知りました。平岡秀夫で検索しても出る記事出る記事バッシングの嵐。これでは私まで被害者感情を無視した鬼畜のように言われてしまいますねー。私はあの人いい事言ってると思っちゃいましたし、それを昨日の記事でも書いてしまいましたからね。

あのバッシングの中で平岡秀夫いいこと言ってるなんて書いた私の記事はきっと浮きまくりなんでしょう。このアクセス数もその好奇の目プラス軽蔑しきりみたいな事で記録されたんでしょうか。

でもねえ、私は考え方を変えるつもりはありませんよ。だってこれ以上多数派の横暴を許せませんもの。平岡さんは確かに配慮に欠けていたかもしれないけれど、だからといって自らの偏った考えを棚に上げ、こちら側に対して被害者のことを考えてないじゃないか、なんていけしゃあしゃあと述べるような人間がのさばってるこの世では、私は書かねばなりません。

まずね、偏ってるって何なの。私今日は頭に来てるんで全般的に口が悪くなるかと思いますがご容赦いただいて言わせていただくと、てめえが言えた口かよ、と。偏ってる?あんたらにだけは言われたくねえわ。人に対して偏ってるというのなら、自分は公平な目でもって世の中を見れていることが大前提でしょう?

自分は加害者の側にも配慮した意見なんてのとは一切無縁なくせして、こちらが加害者を守れば被害者を無視してると喚く。じゃああんたらはどうなんだ。加害者を無視してるじゃないか。こんな横暴な理論がありますか。そもそも加害者にだって人権があるというごく当たり前のことすら理解できないような人間に、こちらの考えを偏ってるだの被害者を無視してるだの言う資格なんてないんです。それが言いたいのならそちら側も加害者の人権を配慮したような発言を心がけるべきでしょう。

平岡さんの問題となってるシーンは私も見てましたが、平岡さんの言っていることは間違ってはいなかったと思います。ただ被害者の方に直接言うには配慮がなかったと言わざるを得ないし「死んだってその人は帰ってこないんだよ」とか「じゃあ死ねば満足なんですか」的なことは本人に言うにはきつすぎる言葉であることは私も分かります。だから言ってる事は間違ってないけどそれを本人に言っちゃあ、と私は思いました。結局それが自分の事は棚上げ軍団からのバッシングの糸口を作ってもしまったわけですから。

でもそれはあの番組構成にも問題があると思いませんか。被害者の方を連れてきちゃったら、加害者側の人権を守ろうなんて言ってる人は何を言っても悪者じゃないですか。そうやって何を言っても被害者の事を考えていない、被害者感情を無視してる、なんて言われるようなフィールドに人を上げる事自体がフェアじゃない。とても姑息な方法だと思います。被害にあっても加害者に更生してほしいと思ってる被害者の方だっているわけですから、そういう方をもう一人呼ぶとか、そういう風にしないとこっちが一方的に悪者になるだけですよ。

で、その番組構成にそのまま流されてバッシングに走ってしまうような人がいるんでしょ。話になんねえよ。大体他の人と同じような事を言ってどうしようというのでしょう。別に私は気をてらう意味でこのような考えを表明しているわけではありませんが、他の人が散々言ってる事なら、ああみんな言ってるからもういいやって思いません?だってあなたが言わなくたって他の人がもう言ってますから、同じような事をね。

どうしても書きたいならもう散々言われてますが、みたいな前置きをするとか、さも自分が初めてこう考えたんだ、みたいに言ってるのを見るとちょっと笑ってしまいます。他の人がもう言ってる意見を声高に言うのって意味あるんですか。多数派の示威行為?これはこの件以外にも言えることですがね。平岡さんの配慮のない発言よりも、自分が常日頃からどれだけ傍若無人な発言をしているのか考えてみたらいいよ。

私は常日頃から犯罪は個人の責任だけに還元できるものではないと明言しています。それが子供ならなおの事、家庭環境や、社会環境に押し潰されてしまう事はままある。ですが今回の事で、他の人のブログを検索して読んでみてもそうだし、太田総理での竹山の発言を聞いてもそうだし、要するにそれがなんなんだ、とそっち側の奴は言うわけです。

だからなんなんだ。家庭環境が悪くたってちゃんと育つ奴はいるじゃないか。そんな事は罪を軽くする理由にはならないよ、と。

頭が痛くなります。このセリフに潜んでいるおぞましさに皆様はお気づきでしょうか。こんな人間が多数派を占めている世の中に私はゾッとします。ほんとに背筋が寒くなる思い。

あなた方が言っている事はこうです。虐待をされたってちゃんと育つ奴はいるんだから、犯罪に走るのはお前が弱いからだ。いじめを受けたって死なない奴は死なないんだから自殺するなんてちょっと精神がたるんでるね。受験のプレッシャーぐらいで何なの。そんな事で親を殺すなんてどうかしてる、弱過ぎる。そんな弱い人間は死刑で当然。社会にはお前みたいな弱い人間はいらねえんだよ。

そういうことでしょう?あなた方が普段言っているのは。強い人が、環境によらなかった人が一人いたら、私たち弱い人間はみんなそれに合わせねばならないのですか?居場所がなく拠り所もなく、押し潰され踏みにじられされた挙句人を殺せば我関せずなのですか。あなたのせいではないのですか。普段から人を差別してませんか。人をふるいにかけていませんか。そのせいで人殺しに走った人はほんとに一人もいませんか?

このように、普段あなた方が発している暴言に比べれば、平岡さんの配慮のなさは100倍ぐらいマシです。自分の考えが全てだと思ってるというような批判も見られましたが、私に言わせればどっちがだよという事になります。自分の偏りきった考えを棚上げし、人の考えを偏っているとなじる。人間として最低です。

想像力がない、人としての柔軟さがない、自分の正義が全てに適用されると信じて疑わない、相手の意見を聞かない。それがあなた方です。私はあなた方が怖い。太田総理の投票によれば、9割がたの人間が人殺しは死刑で当然と思い込み、9割がたの人間が自分が正義の鉄槌と信じて疑わないものを加害者に向けて全力で振り下ろしてくる。そんな状況じゃ私は被害者に寄り添えません。

だってそうでしょ。あなた方は偏った見方で加害者を断じるのが許されているわけですから、もうその時点で世論自体が偏ってるんです。そんな時に私が「被害者の心情も考えなきゃね、そういう法律を作ろう」と一歩でもそちらに歩み寄れば、その時点で加害者はリンチにされて殺される。そういう恐怖感、危機感が私にはあるのです。

私は被害者の心情を無視していいなんて言っていない。事情があるから殺しても仕方がないなんて言ってないし、責任を負う必要がないとも言ってない。こちらの言葉の意味を曲解し加害者を殺してもいい人間に仕立て上げようとするのは即刻やめていただきたい。あなた方が想像できようとできまいと、加害者に人権がある事も、犯罪に至る経緯を知る必要がある事も、死刑が人道上問題がある事も事実です。加害者が何をしようと、死刑を認める理由にはなりません。

私は今回の事は多数派の卑劣な言論統制であると考えます。まず相手の意見を冷静に聞く。その上で世論はどう動くのか想像してみる。そしてそれが多数派によるリンチになっているとしたら、じゃあ自分はやめておこうぐらいの自制心は持っていただけませんか。そうでなければ少数派はものが言えなくなる。あなた方は数に守られているいわば温室にいるのだという事をもう少し自覚した方がよろしいかと。

私は加害者をあなた方には殺させません。あなた方の想像力の欠如を加害者に負わせるわけにはいかないからです。世論の力は大変強い。だから私はこんな中で裁判員制度を入れるのには反対なのですが、決まったものは仕方がない。どうせあなた方は死刑を乱発するのでしょうね。被害者も法廷に乗り込んで報復裁判を作り出すでしょう。でも私は加害者を守ります。9割がたの人間が被害者に偏っている状況で、果たして私の態度が不公平だと批判できる資格を持った人間が存在するでしょうか。無理ですよね、自分の事を棚上げしなきゃ。

いずれにせよ、今回の事で私の考えは大声で表明したら投石ものなのだという事がよく分かりました。私がマイノリティたる所以もね。コメント欄を設けてたら完全に炎上してたでしょう。でも最後に言っておきたいのは、私だって被害者の事を考えなくてもいいなんて言っているわけではないという事です。私がここで被害者の立場についてあまり述べなかったのは、そちらが9割の圧力で加害者に死を迫ってくるからであって、それから加害者を守るにはこちらも被害者と加害者を同じ比率で論じていては手緩くなってしまうという事情があるのです。

ですから私は、被害者の人権も加害者の人権もどちらも同じように守っていかなければならないものだと思っています。同じようになんて表現を使うとまた棚上げ軍団に怒られそうですが。

とにかく殺されていい人間も人権を軽視されていい人間も存在しないということです。加害者だけの人権を見ているわけでも何でもないんですけどね。私の今回のこの文、かなり感情的で攻撃的な文章になっている事を認めます。ですが普段からあなた方が加害者に投げつけている暴言などに比べたらかわいいものかと。偏った見方に対して偏った見方で応酬するというのは子供じみているかもしれませんが、今の私はまだそこまで大人になる事ができません。まだ10代ですから。

そちら側の方を侮辱するような文言も含まれていたかもしれません。一応謝っておきます。申し訳ございませんでした。

7月2日追記:この記事に直接飛んできた方は、できればこの後の多数派の暴力も読んでいただけるといいかもしれません。この記事の方が比較的被害者の方の事も書いてあるので、私がただ単に加害者徹底擁護を主張しているわけではない、という事が多少なりとも分かっていただけるかと思います。長文なので無理強いはしませんが。リンクはこの記事の下にあります。

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個人特定の恐怖

さっき更新した記事のあまりのアクセス数の多さにびびり、とりあえずニックネームを変更。皆さんプロフィールのページも結構見られてたので。

実は今まではなんとなく見る人が見ればもしかして?ってぐらいには私を連想させなくもない感じになっちゃってたんで、ここはもう私の影を抹消しておこう、念のため、という事で、新しいニックネームはずばりニヒリスト。

虚無主義についてはまだそこまで勉強できてないのですが、まあ既存の価値体系や権威の全てを否定する思想ということなので、あながち今の私とかけ離れてもないだろう、という事で決定しました。タイトルに虚無も入ってることだしね。

という訳で、今後はニヒリストを名乗りますんで、よろしくお願いします。

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クソマニフェスト再来

いやあもう腹立った。何って、今日の太田総理の事ですよ。あのカンニング竹山のマニフェスト、少年法を廃止しますってやつね。以前のメタボ議員はクビ法案から更にひどくなってます。もう今回の何が嫌だったって、太田が賛成に回ったこと、これ以外にない。あの人殺しがのうのうとテレビに映ってるのも心底嫌だったけどね。あの戸塚のことよ。

もうあんまり腹立ったから、番組終了後ですが、番組ホームページから意見を送り付けてやりました。以下その内容。

カンニングの竹山さんはじめ賛成席に座っていた方々は、殺人という犯罪がなぜ起こるのか、という事に思いを巡らせた事がないのだろうと思います。片一方ではこうあるべき、こうあらねばならないという考えを押し付け、加害者予備軍を作り上げておきながら、もう一方では事件の責任を本人に押し付け死刑も辞さないと嘯いている。これは明らかに論理矛盾ではないのでしょうか。もう少し社会全体の責任、ひいては自分自身の責任という事も考えてみるべきだと思います。賛成に回った太田総理にがっかりしました。

多少説明不足感はありますが、まあまあでしょ。ここで書くより丁寧ですよ、ここじゃあ竹山にさんなんて付けません。あんな奴は呼び捨てで十分だっつうんだよ、ほんとに。ああもう腹立っちゃって腹立っちゃって。

じゃあ厳罰化で反省を促せるのか、再犯を防げるのか。そういう管理的な方法でうまくいかなくなって犯罪を犯してしまったのに、刑務所の中でまたそういう方法で何とかしようとする。学習能力もへったくれもない。

それにしてもあの民主党の平岡秀夫って人はいい事言ってたなあ。あの高慢ちきな金に向かって「自分の責任じゃないみたいに言わないでくださいよ、あなただって大人なんですから」って言ったのはもうほんとすっとした。私が言いたかった事を分かりやすくビシッと言ってくれて素晴らしかった。

で、その平岡さんの言うように自尊心ってのはやっぱり大切だな、と思います。どうせ自分なんて社会にとって、また親にとって何の価値もない人間なんだ、と思って捨て鉢的な気持ちになってしまう事から、犯罪の芽が生まれる。だからまずはその人の存在を認めて、その上で反省を促し、ある程度の刑罰は受けてもらうというのが必要だと思うんですよね。

こういう事を言うとまた加害者の事ばかり考えているとか言われてしまう訳なんですが、でもやっぱり被害者の権利を望むなら被害者の権利を守るような法律を作っていけばいいわけであって、加害者の権利を剥奪する事によって同じ立ち位置に戻そうとするのはかなり強引な考え方でしょう。

日本の法律は復讐を認めていないし、裁判は報復の場にしてはならない。被害者の感情は尊重すべきものですが、だからといってそれを満たすために加害者を痛めつければそれでいいというものでもないでしょう。犯罪が凶悪な事と加害者に何をしてもいいという事は繋がってはいない。

国による死刑の執行は世の中には殺してもいい人間がいるというアピールになってしまう恐れがあり、人の命は大切なんだという言葉自体も説得力を失います。人間の命は何にも代えがたい大切なものだ、という事が言いたいのなら、どんな人間の命だって大切にすべきです。人を殺すような人間は国が殺してもいいという事なら、次はどんな人間が殺されて当然になるか分かったもんじゃない。

何故、という所を掘り下げていけば同情の余地のない犯罪者なんているはずないんです。それが子供なら特に。個人の責任に押し付けて死刑なんて事はあってはならないし、家庭的な雰囲気の中での更生という少年法の趣旨も尊重すべきです。

確かに被害者の事は常にきちんと考えなければならない。けど最近は報道も世論もあまりにも被害者に偏りすぎてるから、私も加害者の事を必死に庇わなければならなくなるのです。加害者が犯罪を犯すまでの過程をあまりにも誰も見ようとしないから。

自分だって加害者になるかもしれない、ぐらいの想像力を持ち合わせてたら、加害者の人権や社会復帰にも考慮した世論になっていくと思う。まああの少年院の1、2年で出てこれるってのは短すぎると私も思いますが。ある程度の期間刑に服してもらうという事は被害者感情からも更生の観点からも必要だと思います。でもそれと少年法を全廃するのとは全く次元が違いますから。刑務所で管理しても更生はできません。

最後に、竹山が反対席の民主党の人に「子供だって犯罪を犯さざるを得ないような状況に追い込まれているんですよ」みたいなことを言われた時に「そういう状況ってなんですか?」と聞いていたのが非常に印象的でした。まあ率直に言わせていただくとそんな事も人に聞かなきゃ分かんねーならこんなクソマニフェスト持ってくんなよという事になっちゃいますかね。想像力なさ過ぎでしょう。

被害者本人が加害者に対して感情的になるのは当然と言えますが、そうでない人までが第三者的な立場を超えて被害者にばかり同調するのは、やはり人を殺すような人間は自分達とは違う世界の人間なんだ、という考えがあるからのように思えます。そういう偏見がなくなれば厳罰化ありきの世論も変わってくれると思うんですが、なかなか難しいでしょうね。

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2007年6月28日 (木)

ウマいこと

今非公開の日記を書いていて、ウマいことを思いついたので書き留めておきたいと思う。   
       

     
私の人生は恥のアップデートである。更新頻度はマカフィーの比じゃねえ。

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2007年6月27日 (水)

テレビっ子返上

以前馬鹿が付くほどテレビっ子というタイトルの記事を書いたことがありましたが、最近テレビのあまりのつまらなさに、かなりテレビ離れが進んでいるのでとりあえず今のテレビについて適当に述べてみたいと思います。

ま、簡単に冷めた理由というか、テレビが嫌いになった理由を言うと、まず一番の理由は、前々からゴールデンがウザいってのは分かってたんですが、近頃私の許容範囲がどんどん狭くなって、ゴールデンの笑いや趣向を一切受け付けなくなった事です。あのゴールデンの見え透いた、薄っぺらな、ベタベタな馬鹿騒ぎにはもうウンザリ。

それと夕方のニュースを見れなくなったことも大きい。あまりの下世話&殺人事件に一極集中な報道の仕方にこれまたウンザリして、前は夕方といえば各局にチャンネルを回して楽しんでいたものですが、今はつけていてもストレスが溜まるだけ。私が大人になったのか、報道が更につまらなくなったのか。

ジャーナリズムなんて言葉はどっかに消失してますね。他とは違う事をしようとかいう発想はないんでしょうか。どこもかしこも似たような事を繰り返し喚いているだけ。もっと独自の目線で報じるという事も大切だと思うのですが。問題が起きてから騒ぐだけではなく、問題になる前からもっと色々な事を取り上げるという習慣をつけたらいいと思う。殺人事件を詳述する時間を使って。

よく大局を見る鳥の目と現場を見る虫の目、といった事が言われますが、最近の報道は虫の目しか持ち合わせていないのでしょう。事の詳細を報じるばかりで、それが起きた本質的な背景や、再発を防ぐためにはどうするのがいいかという事をほとんど報じない。世界の中の日本といった視点なども欠落している。

とまあ報道批判は尽きませんが、こんな感じで私のテレビに対する依存度は下降の一途をたどり、それに加えて不都合な真実を観て以降、テレビをこまめに消すという事が習慣化したため、以前言っていたようなあの雑音が生活に不可欠といった事もなくなり、今は夕方もゴールデンもテレビが消えてる事が多いです。

まあ深夜番組は相変わらず好きなんですが、夕方もゴールデンも嫌いならこれはもうテレビ好きというよりは、芸人好き、お笑い好きといったほうが正しいでしょう。テレビは嫌いだけど、一部の深夜番組は好き、といった方がしっくりくる。この先はもうケーブルテレビでも入れない限りテレビっ子には戻らないでしょう。

という誰が知りたいのか分からない報告でした。ま、ブログってそういうものよね。

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2007年6月20日 (水)

松本…様?

まずいです。非常にまずいです。私ったらあの映画を観て以来、っていうか大日本人を観て以来、松本が気になって仕方がないのです。ああもう。

まさかこの私が今更あんな売れてる人のファンになろうとしているなんて。というのも、私が芸人に求めるものといえばやっぱり悲哀。さんま紳助がつかえてて番組が持てねえよ、という若手の叫び。深夜ですら冠を持たせてもらえず、ものの見事にオリエンタルラジオに抜かされる芸人の叫び。リットン調査団は今田東野と同期らしいよ。私はそういうのが大好物なのです。

だからあんなゴールデンを何本も持ってて人気もたくさん、みたいな人はそもそも眼中になかったのです。私の根底にあったのはみんながキャーキャー言ってる奴を好きになっても仕方ないでしょ、というポリシーにも似た気持ち。

それなのに。なぜ今になって松本なのか。くそうあの映画め。

私が言う「ファン」というのはただ面白いからとかそういうのじゃない。松本が面白いなんて事はそれこそもうずっと前から分かってた事で、そんな事が再確認されたからって私はファンにはならない。

私がファンになるということは、あくまで人間性がプラスアルファで乗っかってることが大前提です。上記のような悲哀プラス、大多数の人間とは別の所に属してるという事が大切なの。今の時代物の分かってる人ならこの国の大多数の人間がつまらない人間だってことが分かるはずなので、そういう社会に統合されてないですよ、という空気を感じられる人を私は好きになる。それが私の言うファンです。

面白い面白くないという事は私もお笑い好きですからもちろん大切なんですが、やっぱり場合によっては面白くないけど好きという事もありえます。私がファンになるかどうかはその人の人間性の部分に共感できるかできないか、ということで決まるのです。

まあだからそんな私の今までの松本の位置付けは「面白いけどあんま好きじゃない」というものでした。なんかあの顔を見ると軽薄な感じがして、発言にしてもあまり共感はできず。上記のような共感を松本に対して感じることはありませんでした。今まではね。

でもあの映画を観てから気になるんです。あの大佐藤の悲哀が。私はここ何年かのお笑いファンなんで、松本のああいう悲しい笑いを見たのは初めてなんですよ。で、ああいうのを描くのは、少なからず本人にもあの手の悲哀が存在しないと無理だと思うんですよ。

でも私の目が節穴だったのかもしれませんが、あんまり松本にああいう悲しいイメージって今まで全然なかったんだよね。それがなかったから今まで共感できなかったのかもしんない。人気があって天才とか言われてて、自分のポリシーっていうのもがちがちに固まってて、今までそれをまったく譲らずに生きてきました、みたいな感じを鬱陶しいとすら思ってましたから。

私が松本を知らなかっただけなんでしょうか。大佐藤と松本がどれぐらいリンクしてるのか、今の私じゃまったく見当もつかない。松本は普段はああいう人なんでしょうか?いやでもそれはちょっと…。正直映画観て帰ってきてから大佐藤と私の中の松本像とのギャップが埋まらず苦労したんです。

そうこうしている内に松本が気になるようになってしまいました。

ぶっちゃけて言うと、私は芸人を好きになる時は半ば恋です。女芸人はあまり好きにならないし。ファンレターを書くとか出待ちをするとか、そんなアグレッシブな事をする気はまったくないんですが、要するにまあ一時的な現実逃避です。その人を好きになった一定期間はテレビやラジオを軽い憧れの気持ちを抱きながら鑑賞しつつ、軽い妄想に耽るという。ただそれだけです。ヒロシの時は本とかDVDとか買いましたが、ほとんどは物を買いもしません。タダオンリー。デフレの立役者と呼んで。

今も松本の本を色々読んでみたいという気持ちはありますが、だからといって片っ端から購入するのには尻込みしているという状況です。こういうのはその人に共感した事は残りますが、疑似恋愛的な感情は残念ながらすぐ冷めてしまうので、その時々の感情で散財してたらやっぱりお金がね。大日本人のDVDは買っちゃいそうですけど。

ブラマヨ吉田への熱がなんとなく冷めて以来、特定の芸人に執着するという事があまりなかったのですが、まさかそういう対象が松本になるなんて、夢にも思いませんでした。今までブサイク芸人orコンプレックス芸人オンリーだった私からすればかなりの大転換です。松本はブサイクでもなければコンプレックスっていう感じでもないですからね。自信漲るって感じ?

まあでもあの顔ですから、色々調べるうちに人間性にケチがついて速効で冷める、というのも容易に想像つきますが。ただ今のところはどういう人か非常に気になる。

でもあの人レギュラー多すぎですよね。こんなに何番組も持ってる人追っかけた事ないから新鮮です。大概深夜とかで「あっ出てる!」ていう追っかけ方だったからね今までは。すごい人に恋してしまいました。この恋心はいつまで持つか。難しいところです。長持ちすればするほどずっと現実逃避してられますから、なるべく持って欲しいなあ。松本の人間性がなるべくこっち寄りなことを願います。

というわけで、これからしばらく松本人志に対する私なりの理解を深めていきたいと思います。楽しい事が見つかってよかった。この勢いでバイトも見つけなきゃ。

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2007年6月14日 (木)

大日本人とスリーハンドレットを観賞

さて、今日はタイトルの通りです。映画もいちいち出かけていくと交通費がバカにならないもんで、朝から2本立てでまとめて観てきました。

で、感想を順次書いていきたいのですが、いっやあ、面白いっすね大日本人。正直ねえ、そんな期待してなかったんですよ。確かに松本は(呼び捨てでいいのかなあ、でもさん付けもなんか違うよね)働くおっさん劇場とかすべらない話とかで当たりが多いけど、だからって何でも面白いわけじゃないしね。

だから私はもう今回はほとんど板尾目当てっていうか、板尾が出てるんだったらまあ何となく観に行ってみようかな、と思って行っただけなんです。私は板尾創路を愛してるんで。でもこの映画は間違いなく当たり。帰ってきてからヤフーなんかのレビューを読んで結構なわりあいでボロクソに言われてるのを見てビックリしましたよ。あれー、面白かったのに、と思って。

とりあえず私なんかの思いつく事ではたかが知れてますが、面白かったと思った部分を列挙しておこうかしら。

まず松本扮する大佐藤の悲哀っていうのをすごく感じました。私はここでも何回か書いてますが、悲哀を感じない人間は嫌いなんです。ただ明るく元気に生きてきました、みたいな人間には何の魅力も感じない。そういう意味で今回の映画でのヒーローが強くてかっこいいみんなから愛されるヒーローではなく、弱くて器のちっちゃい嫌われ者のヒーローということに単純に好感が持てました。

本当にかっこいい人間というのは弱さも滑稽さも兼ね備えた、世間からみればちっぽけで冴えない人間のことを言うんだなあ、と思いました。普段からこのかっこ悪さがかっこいい、面白くなさが面白い、とかひねくれた事ばっかり言ってる私にぴったりのヒーローでした。今回のヒーロー像はまさに完璧と言えます。かっこよかったです。

それともう一つは、この映画はインタビューを交えながら進んでいくのですが、そのインタビュアーのデリカシーのなさがまたいい。それを言っちゃあ、という事の連続でかなり笑えました。これは観ないと分からない、かも。

で、最後のエンディング。これもヤフーのレビューで色々言われてましたが、私はねえ、そんなにビックリしませんでした。意表を突かれたとか、意味が分からないとか言われてますが、そんなぶっ飛んでるとは思わないんだよね。何となくは繋がっているというか、ああそういう展開もあるなあという感じで。

あ、でもだからつまらなかったという事ではなく、エンディングも全体の中で1、2の指に入るぐらい面白かったです。というのも私は宮迫とか大輔のバイオレンス芸人との異名をとるあの笑いがそもそも好きなんですよ。アメトークとかやりすぎコージーでのTシャツを会う度に引き破ったとか、後輩に本気でプロレス技をかけているなどのエピソードで何度笑ったか知れない。あの2人の暴力は確実に面白いのである。

だからそういうところも目のつけどころがいいなあと。正直最近はガキの使いがツボにはまらなかったりする事もあって、ちょっと心が離れつつあったんですが、松本を見直しました。面白かった。DVDが出たら買っちゃいそうな勢いです。繰り返し観たい。

でも今日の失敗はそのあとスリーハンドレットを観た事です。全然面白くなかった…。戦うならその理由なり背景なりがしっかりと描かれている事が大前提ですが、この映画はそれがまったく不十分で、ただの殺戮、ただの暴力にしか見えなかった。なんかストーリー性がほとんど感じられず、ずっと予告編を観ているような映画でした。

それで大日本人の余韻が台無しで、あんまり悔しかったからつい調子に乗って大日本人のパンフレットを買っちゃいました。普段はどんなに映画がよくてもパンフレットって買わないんですよ。だって2、300円なら分かるけど、パンフレットってやたら高いじゃん。今回のも700円もしたの。でも、スリーハンドレットがつまらなかったもんだから、大日本人をついさあ。大佐藤をずっと感じていたかったの。

さて、以上が私の評価なわけですが、もう一つ言っておきたい事がある。なんか映画の感想が批難の応酬に堕している気がする。お互いがレベルが低いだの高いだの、浅いだの深いだの、あんなものは映画の感想を超えてただの誹謗中傷なんじゃないか。日本人っていつからこんなに独善的な人間ばっかりになったわけ。

一つの映画が面白いか面白くないかに正解があるわけないじゃん。その映画についてどう思うかを表現するのは自由ですが、自分と違う考え方を否定しだすといき過ぎかなと。自分だけが正しいなんて何たる思い上がりでしょう。

確かに自分だけがこの笑いを分かってるとか思いたくなるのは分かる。人間ってのはとかく自分だけが正しいと思いがちなんですよね。でもそんな風に俺は笑いが分かってるぜ的な風を吹かすやつがどんだけウザイか。分かってる人は笑えて分かってない人は笑えないなんて蔑視的な言い方は控えるべきでしょう。私もなるべくそうならないようにしたいものです。気を付けなきゃ。

まあとにかく大日本人は面白かったです。なんかぶっつり切れちゃいますが、とりあえず今日はこの辺で。大日本人、ぜひ劇場でご覧ください。

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2007年6月11日 (月)

バイト探し中の身ですが資本主義ってどうなの

書くことねえっす。特に新しい変化もないし、かと言って普段私がやっている事などここで書くにはまったく至らず、だから要するにブログをやってる人にありがちな、ネタねえよー、ほんと僕ってネタと無縁の生活送っててさー、と、書くことがないという事を自虐的に書いておいて字数を稼ぐという姑息かつ滑稽な作業に身を投じているのである。

こうやってつまらないごたくを並べてる間に出来ることはどれだけあろう。もう嫌になってくるよ。

バイトの方は一向に話が進みません。なんというか私にピッタリの募集が意外とないんですよ。といっても私は贅沢を言っているわけじゃない。家からそれなりの距離で勤務日数と曜日が合っていれば後は何も言わんし。勤務時間は多少長くても頑張るし、時給だって安いなんて言える身分でない事は重々承知である。実際金に困ってるわけでもないんだし。

それでもなかなかない。そうこうしている内に働こうという意欲が消滅しそうだ。だるいしー、眠いしー、面接だって当たり前のことながら嫌である。その前の電話だって。正直私はなぜ働きたがっているのか我が事ながら全くハッキリしない。社会との接点などと反吐が出そうな言葉で説明するのも一興かも知れないけれども、実際の所は何なんだろう。

考えれるのは、働いて金を得る事により私の存在だって社会に需要があるのだ、と思えるようになり、全般的なコンプレックスを解消するというシナリオが一つ。もう一つは単純に月々の賃金を自分の活動資金に回したいという事。映画とか本とか講演会とか、最近多少金が掛かりつつあるので。

ま、こんな程度の理由か。やはり前回面接に落ちた事で、私は使えない人間であるという劣等感が植え付けられちゃったんですかね。だから金を得る事でそれを修復したいと。

まあでも難儀な事ですよ、働かないと生きていけないなんて。資本主義って何なんでしょう。結局生産手段を持たない者が生産手段を持つ者に労働力を買い叩かれるっていう構図でしょ。で、こっちもそれを売らなきゃ食べていけないと。つまらん仕組み。こんなんでよく働くなんて事をやりがいだのなんだの綺麗に言えるなあ。そんなものは恵まれた人間のたわ言なんじゃないの。

最近の非正規雇用の増え方を見ても分かるように、企業は労働者のことなんて何も考えてない。安く使えるものは安く使い、正社員で採ったからには徹底的に酷使する。例外はあるにせよ最近はこういう企業が多いんでしょ?

そんな場所に身を捧げる事がそんなにえらいんでしょうか。正社員だのフリーターだのニートだの、色々と線を引いて人を小ばかにするのが世間一般の方々はお好きなようですが、働くってのはそんなにえらいのでしょうか。働いた事もないのにこんな事を言うのもなんですが、私は別にそこまでえらいともすばらしいとも思えない。

やりがい持ってやってる人は勝手にやってくれればいいですが、労働力を買い叩かれ虚しい思いをしている人も居るという事を社会はもっと知るべきではないでしょうか。そんな事も考えずにただ働くのは当たり前だとかフリーターはチャラチャラしてるとか言ってても話になりません。

なんか話が著しくずれてしまったわけなんですが、私は上記のような事も考えてはいますが、普通に働くつもりでいます。とりあえず働くという事にチャレンジしないと先に進めないというか、やっぱりコンプレックスを抱えたままじゃあね。

だからまあ長期的なスパンでバイト情報を探しつつやって行きたいという話です。資本主義批判はもっと勉強してから本格的に繰り広げたいと思います。経済自体あまり好きじゃないので時間かかるかもしれませんが。

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2007年6月 7日 (木)

ブログをやる意義って

なんか何も書く気が起きません。最近ずっとだるいなあ、眠いなあ、と思ってて。

前回の面接の話はね、やっぱりダメでした。分かっていたとはいえ時間が経つにつれ段々へこんできて多少うじうじしてたんですが、今はそれなりに立ち直りつつあり、履歴書を書きながらバイト情報をあさってます。一応報告。

で、まともに書く気は起きないわけなので、もいっこ報告しとくと、なんかねえ、前々回の更新でイタい記事公開したでしょ、私。分かんない人は右にある最近の記事からクリックしてみてください。リンク貼る気も起きない。

たまたまかなんか知らないけど、あの時ぐらいからアクセス数も下がってるしさ、なんかやっちゃったなー、と。あの時非公開の日記がどうとかも書いたんですが、要するにやっぱりあの場所をやめたのが失敗だったのです。いくらブログが日記と訳される事があるからってやっぱり不特定多数の人が見る可能性があるものと、自分しか見ないものとは本質的に違う。

自分の弱ってる部分とかをさらけ出す事もブログの意義としてありだとは思うけど、読者だって見たくないものは見たくないし、鬱陶しいものは鬱陶しいと思うのだ。私だって自分で鬱陶しいと思うんだから。

別に私も恥を晒したいわけじゃない。私的な空間にとどめるべき事はとどめておきたい。愚痴を読んで欲しいとも思わないし、彼とうまくいかない寂しさを聞いて欲しいとも別にほんとは思ってない。ただあの時はほかにネタもなかったし、非公開の日記とブログを分けること自体も数少ないけど読んでくれてる人にちょっと失礼なのかな、と思ったから書いただけなのです。

やはりこの場所で全てを思うままに書き連ねるのは無理です。ただの愚痴に堕すれば迷惑が掛かるし、恥を晒す事にもなる。それに今の私にはどこからが愚痴でどこまでが内的葛藤を綴った文章の体をなすものなのかは分からない。それは私が決める事なのか、それとも読者が決める事なのか。それも分からない。全部分かりません。

だから私はやっぱり分ける。非公開の日記は続けます。迷惑を掛けないために、恥を晒さないために。

でもブログってほんと難しいですね。思ってること書くのがブログでしょ、と居直れる反面、こんなの誰が読みたいんだろう、これってただの愚痴じゃないの、とか思い出したら切りがない。非公開の日記ではなくブログをやる意味とはなんなのか。

なんかそう考えると別に非公開の日記でもいい気がしてきちゃった。そうすればネット上のゴミも増えないし、人に嫌な思いをさせることもない。私が人に読んでもらいたいと思った事ってなんだっけ。なんか気力がなくなってきちゃうなあ。

ん、でもこないだ書いた不登校の記事(ちゃっかりリンク貼っときます)を読んだらちょっと元気出た。そうです。私はマイノリティとしてああいう自分の考えを大々的に表明したくてブログを始めたのです。そうだっけという心の声はこの際放っておく。

だからまあもうしばらくは続けます。もっと色々勉強すればマイノリティとしてそれなりの記事も書けるようになるだろう。で、それなりの記事が蓄積されてきたら、今までの愚痴的な記事は分離して政治的なブログにしていってもいいし…。

ま、そんな構想もありつつ、今日はCBSドキュメントを見て寝る事にします。ふー、なんか今日の更新は神経使いましたね。長さ的にはそんなないんですが。まあいいや、とにかく今日はおやすみなさい。もうテレビ始まっちゃうから。

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