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2007年7月31日 (火)

政治と小嶋よしおのコラボ

参院戦は民主圧勝ということで。自民党が勝つよりはずっといいですが、こういう自民逆風の時に社民、共産が伸びないっていうのはなかなか厳しいですね。民主ったって、憲法しかり教育しかり、自民党と大差ないような部分が山ほどある。今回の勢いのまま民主だけが躍進して政権を取るような事になれば、それはそれで自民と大差なくなっていくのではないか、と。

そもそも自民と民主をとっかえひっかえしてみた所で、根本的なところは変わらない思うんですよ。だから社民、共産の議席を増やして、民主に影響力を行使しうる勢力、ブレーキをかけうる勢力を確保しなければ、私は危なっかしくて見てられない。

今回のように2大政党制の流ればかりが強まっていく事には危機感を覚えます。選挙特番にしたって中盤に差し掛かるまで自民、公明と民主の事ばかりで、社民、共産、その他の野党に関しては一切報じなかった。ああいうのはちょっと私はどうかと思うのですが。

なーんてえらそうに書いてみましたが、今回は私が政治にもアンテナを張り始めて初の全国区選挙です。ある意味安倍さんと同じ、というわけで、正直まだ大したことは分かっていないので、次の選挙の時はもっと書けるようになるのが目標。

ま、今日は次の話題に行きますが、あれです。小嶋よしおっているでしょ。選挙の話をした後にあの人の話をするのもなんですが、私はあの芸風は好きですねー。

といっても最初に見たのは笑金の最終回で、その時は色んな奴がいるなあ、ぐらいにしか思ってなかったんですが、その後何回か見るうちにすっかりとりこに。さっきもレッドカーペットに出てましたが(前回あれだけ口汚くけなしておきながら結局見てしまった。今回は中笑いすら出ず前よりひどくなってましたけども。)やっぱりいいですね。

なんだか意外と人気があるようですが、ああいう売れ方は悲しいかな、やっぱり消えゆく運命でしょうか。まあそんな事は本人が一番よく分かっている事でしょうけども。でも私は基本的に一度好きになった芸人はブームが去っても見捨てません。ヒロシだって嫌いな旅番組を我慢して見るぐらい未だに好きですし、ほんとに好きなら世の中のブームなんて関係ないもんです。

オッパッピーがオーシャンパシフィックピースの略であるということのどうでもよさもなかなかいいと思う。それを知った所で誰も何にも得しない、そのどうでもよさがすてき。

とりあえず今は小嶋よしおのファンです。ブームに乗っかるようで申し訳ないのですが。ま、そんなの関係ねえ!ということで頑張っていただきたいわ。じみーに応援してますから。

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2007年7月26日 (木)

調子悪い

またずいぶん長いことこの場をほったらかしてしまいました。こういうことしてると読者に見放されるんだろうなあ。反省せねば…。

以前バイトがどうとかいう話をここで書きましたが、気がつけば働く気なんて一切失せ、まあ時間がある時しかできないこともあるよね、という所に落ち着いてしまいました。なんかもう面接とか受けたくないしなあ。

というわけなので、もうすぐ溜まっていた新聞も片付くし、この機会に一通り勉強を済ませちゃおうかなあと。市内図書館巡りを敢行し、知識を入れて、もっと色々なことを広い視野で見れるようになりたい。語彙を増やして表現力を養い、ここでももっともっといい文章が書けるよう努力したいと思う。

面接は嫌だしなんか働く気もしないなあ、というのはまあ怠惰と言われればそれまでですが、今は私なりに、自分の世界を広げることに専念したいと思います。

久しぶりだからもうちょっと長めに書きたかったのですが、今日はあまり振るわないのでこの辺で。なーんかものを書く頭になってないみたい。ダメだなあ、またスランプかしら。

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2007年7月16日 (月)

まあまあな一日

はー、今日はほんとに大変でした。さっきの携帯からの記事の続きです。

私が今日なぜこの台風の中出かけてきたのかというと、ちょっと話を聞きにいってたんです。チェルノブイリ原発での事故についての講演会みたいなのが近くであったので、それを聞きに。

でもいざ話を聞いてみたらかなり当てが外れてまして、要するに核の脅威や事故の詳細を話すのではなく、活動報告みたいな感じだったんです。その市民団体の。向こうの食べ物はこんなで、とか、薬や保育器を寄贈しました、とか、竹とんぼを作ったとか団子を作ったとか…。そんな話ばっかりだったんです。あれに講演会という名称を使うのはかなり不適切だなあ、と思うことは思いました。

挙句の果てには懇談会もあるとか言うしさ。聞くだけでいいと思って行ったのに。もちろん用事があるので、と断って逃げてきました。

そんなこんなで話が終わったのが3時で、朝のニュースによれば台風が一番東京に近付くのが3時とのこと。このまま帰ろうかとも思ったけど、私はあんなつまらない話を聞くためにこの台風の中出てきたのか、と思うと心底ムカついたので、とりあえずここまできたら他の用事を済ませて帰ろう、と思い、どっかで1、2時間座って台風をやり過ごそうとうろうろしてたら往来ですっこけるという憂き目に。鬱々とする中でもうマックとかに入る気力は失せ、とりあえずひとりでゆっくり座れる場所、と彷徨う内にあのパン屋に辿り着いたと。コーヒーが高かった。

この台風の中私だって家にいたかったさ。こうなったらもう徹底的に他の用事を済ませるしかない、というかむしろ私はそれをしにきたんだ、と思うことにして1時間近くパン屋で座った後、楽譜屋に。ここでは言った事なかったけど、私は一応エレクトーンがそれなりに弾けるので、その楽譜を見に行ってきたわけです。とりあえずコードを見て自由にアレンジして弾けるようになりたい、というのがあったので「コード進行がわかる本」というそのものズバリな本を購入。

いつもの私ならここで疲れ果てて帰っていた所ですが、今日の私は一味違う。話がつまらなかった事によって不屈の闘志が培われたのです。今日出かける前にたまたま眼鏡屋のチラシを見て、見るだけでも見に行ってみようかなと思いつつ、そういえばメンバーズカードがあった、と思って見てみたら、眼鏡のクリーニングや鼻パットの無料交換をやってくれるらしい。

よし行こう、というわけで、雨風にさらされつつも到着し、この台風だしさぞかし空いてるだろうと思ったら、店員が2人ともふさがってやんの。こんな台風の中眼鏡なんて見にくんなよ、と自分の事は棚に上げ憤りつつも、店員が空くまで2、30分店内をうろついた後、快く眼鏡パットを交換してもらいました。眼鏡屋にいる間に台風もいい感じで通り過ぎてくれたし、最終的にはそれなりにテンションを持ち直しました。

そんなこんなで結構疲れたはずなんですが、なんだかいつもよりスッキリしている感じもする。やはり適度な運動は必要なのか、と引きこもりは実感しております。動かなきゃなあ。

久しぶりにブログに書ける生活をした気がする。これが一般人の生活なのね。よく知らんけども。

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2007年7月15日 (日)

気分わるー

ただいまパン屋でコーヒー2杯目。久々に携帯からの更新である。はたから見りゃあメールでも打ってる普通の今時の人間に見えるのかしら。

携帯って嫌い。変換トロいし、予測変換もちっとも便利じゃない。みんなそんなに日々同じ言葉ばっかり使ってんのかな。

やはり携帯じゃ私の溢れ出る知性を生かしきる事はできないんだわ。この台風の日に何でこんな所でコーヒー飲んでんのか、そして私の機嫌が何でこんなに悪いのか、そのどれもがこんなちゃちな機械では説明不可能。

あー、ほんと携帯で文字打つのはストレス溜まる。余計イライラするので帰ってからもっかい更新しようと思う。

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2007年7月10日 (火)

つまんない生き方

人生って常に矛盾。人生はこうだけどこう、という事の繰り返しです。こうだからこうなんて単純な事は実はめったにないのだと私は思う。

かっこつけた書き出しから始めてしまいましたが、なんか今って短絡的な見方をして楽してる人がいっぱいいますね。安易なこうあるべき論にそのまま乗っかってる人とか、特撮ヒーローものとか水戸黄門みたいにはっきりくっきりした善悪を振りかざしてる人とか。そういう生き方って楽だろうなあ、と思いますよ。でもつまらない。

こうあるべき論も善悪くっきりも話は繋がってるんですが、要するにどちらもここまでは善でここからは悪、という誰が決めたのかも分からないような基準を採用し、それにしたがっていれば安心するというふざけた生き方を説明したものです。

確かにね、楽ですよ。世の中全部水戸黄門みたいに懲罰を加えるべき相手がハッキリしてればこんなに楽な事はない。でも実際の世の中ってほんとに複雑ですから。

悪者のような善人、善人のような悪者など、そういう人間が入り乱れているのが社会であり、何が正しくて何が間違ってるかなんてことは本来不確かで、それは自分自身の経験や憶測に基づいてひとつひとつ判断していく以外にない。なのにそれをめんどくさいと思った奴がいるのかなんなのか知りませんが、勝手に一つの物差しを作っちゃった。

誰がそんなものを作っていいって言ったんだ。諸悪の根源はどこなんだ。戦前教育の残留毒素か戦後教育の失敗か。今の私にはよく分かりませんが、とにかくそういう安易な枠付けが今の惨状を作り出したんです。

不登校はバツで東大卒はマル。引きこもりはバツで毎日人と会うのはマル。友達がいないのはバツで知りあい程度の奴を友達と呼び人数を水増しして100人!とか言える奴はマル。人と話すのが不得意な奴はバツで、親は!?兄弟は!?ご主人は!?お子さんはー!?とデリカシーもへったくれもなく質問を浴びせられる奴がマル。

とまあ上げれば切りがありませんが、一人ひとりの在り方や生き方をすっ飛ばして手元にある物差しで全部測れるっていうんだから、便利なもんです。羨ましいなあ。私も物差し買おっかな。

でもその安易な振り分けによってバツのレッテルを貼られた人間の悲劇を考えれば、やっぱり物差し購入は遠慮しておこう、と思えます。だって根拠がないんですもの。みんながそう言ってるから安直な理由で人を弾き飛ばしていいはずがないじゃん。

人はねえ、もっと苦しむべきだと思いますよ。何が正しくて何が間違っているのかという事をもっとひとつひとつの事例と真剣に向き合って、自分の頭で考えるべき。悪の側面と善の側面、両方を自分の目でしっかりと見て、悩むべき。その上でバツとされるのならされた人も本望でしょう。手近な物差しで測られるよりもずっと。

今の日本の人たちは自分の主体性を放棄して、社会が決めた枠組みを自分の考えだと思い込み、それで人を断じてそれが正義だなんてたわ言を抜かす。それでいいのか。短絡的な善悪に逃げてるだけでしょ。それが本当にいい事なのか、悪い事なのか、自分の頭で考える事から逃げ続けてる。つまんない人生だなあ、と思いますけどね。頭使わないで生きてんですから。楽だろうな、とも思うけど。

確かにめんどくさいですから。相手の立場にたって考えるのも、相手の意見を聞くのも、自分の考えは間違っているのかもしれないと思うのも。自分の考えはできれば手放したくないですからね。これが正しいの、こうあるべきなの、と相手の意見を封殺して物差しを握り締め激昂できれば楽ですねえ。でもそれをやっていては一生溝が埋まりません。多数派と少数派が一生いがみ合って暮らしていくのは私は嫌です。

よくそちら側の方は不登校に関しても引きこもりに関しても、わがままだとか怠けだとか言いますが、私から見れば不登校引きこもりの何が問題なのか、自分の頭で考えないことの方がよっぽどわがままだし怠けてる。転職も離婚も認められていて、なぜ子供だけが選ぶ権利がないのか。選んだ結果が家だったということもあるでしょう。そういうことと真摯に向き合わずして不登校を怠けだなんだとなじることは到底許されることではありません。

とにかくまずはその握り締めている物差しを一度机の上に置いて、これってほんとにメモリあってんのかな?と考え直すことが必要です。とにもかくにも物差しをぐいぐい押し付けられたんじゃたまりません。議論にもなりませんし。

枠組みだらけのこの社会にはもうウンザリ。もっと複雑にめんどくさく効率悪く考えていきたいんですよ、どうしても。何でも手元の物差しで測れば事足りるようじゃつまんないでしょ。だってそれなら人間の頭は必要ないんだから。その頭は飾りか!ってことです。

なんか最近多数派批判に堕しがちなんだよなあ。やっぱりあの平岡バッシング以来敵意が抑えられなくなってるのかも。個人個人に文句を言うつもりはないんですよ。この社会の中でそうなるのは当たり前っていうかね。でもやっぱりあの集団はタチ悪い。嫌いなんです、どうしても。

まあそんな弁明はさておき、遅くなったからそろそろ寝ようかな。早く寝た方がよかろうとなんだろうとブログって時間取られるんだよね。明日きついなあ。おやすみなさい。

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2007年7月 4日 (水)

戦いっていうかなんていうか

さて、そろそろ普段のブログに戻ろうかな、と思っていたんですが、相変わらずピークほどではないものの、以前からは考えられないようなアクセス数を日々記録しています。ブログ界の底辺をいっていたこのブログも時事ネタにうっかり乗っかってしまった事でずいぶん成長させていただきましたわ。

で、私のブログに対する批判をとある掲示板で見かけました。そこには戦いと言うのならコメント欄を設けて欲しい、それでは戦いになっていない、という事が書いてありました。うわあ、図星かも。ただの誹謗中傷なら笑って流せますが、一理あるとそうもいきません。

今までコメント欄を設けてなかった理由はただ単にめんどくさかったからです。コメントっていうと短文って感じがして、2、3行の薄っぺらい会話をちまちま交わすのもかったるいなと。それプラスつい最近まではアクセス数も低かったので、私に物申したい奴なんていないだろう、という前提で向こうからのアクセスは遮断してました。

あの一連の記事(最近の記事から適当にどうぞ)も最初は愚痴というか、世の中おかしいよ、こんなんでいいのかな、という自己完結的なつもりでした。しかし世論のあまりの一極集中的なバッシングに段々腹が立ってきて、この社会こんなんでいいはずがない、私は多数派と戦うんだ、という半ば思い上がった使命感に駆られ始め、気が付いたら人に喧嘩を売るような文章になっていたと。

だから世間一般の一人ひとりの方と直接的に議論をする覚悟まではできていなかったと言うのが正直な所です。私の文章の趣旨自体が個人個人を攻撃するというよりは、社会全体を批判しているつもりだったんで。私は社会全体に対してこう思っている、という事を表明するだけでも十分意味のある事だと思っていた。

でも私も戦うとかいう言葉を使っちゃったわけだし、このブログも当初は予想もしていなかったようなアクセス数を記録している。私に物申したいという人も出てきているらしい。そんな中で、向こうから私に対して意見を言う機会を設けないという事はやはり筋が通っていないのではないか、と思うに至りました。あそこまで言うのならそちらの意見や攻撃を私が直接受ける必要があるのだと。

というわけで、コメント欄はなんか浅い内容の誹謗中傷とかが大挙しそうで嫌なので、とりあえずメールアドレスを公開します。意見のある方はどんどんメールをくれて結構です。ブログ上でも個別の返信でも、私が答えるべき事があれば、その都度対応させていただきます。

とりあえず門戸はしっかり開きましたから、後は私も言いたい事を自由に表明させてもらいます。

あんまり世間との戦いばかりを推したブログにしていきたいわけでもないんで、実はそろそろほとぼり冷めねーかな、とか思ってたりします。すいませんいい加減で。

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2007年7月 1日 (日)

多数派の暴力

なんか何回書いても釈然としないのよね。相変わらず平岡さんに対するバッシングは続いているみたいだし、私の記事を2ちゃんねるに貼り付ける奴まで出てきてるし。すっごい分かりやすく嫌われてるよね。

まあそれだけ世の関心事だったという事でしょうか。前回の記事前々回の記事を更新した昨日のアクセス数は前日比664倍。考えられない数字ですね。これは平岡さんに対する関心が集まってるからなのか、私の考え方が異質だからなのか。まあ前者ですよね。あまり自分を買いかぶっちゃいけないわ。

それと私の記事を題材に記事を書いてくださった方がいました。加害者の人権を認める気はないなど相容れない部分はありますが、それなりに私の文章を評価してくださっているようです。(http://blog.so-net.ne.jp/c-cat/2007-06-30)私の記事に対してその方が言う、10代ですからはいらねえだろ、というのはごもっとも。私も最後の最後で弱気がでまして、やっぱ言いすぎかなあ、語弊ありまくりだろうなあ、と思っているうちに10代ですからがぽろっと出てしまったというわけです。次からはもう言いません。

それでは改めて前回言い足りなかった部分をまた書かせていただきます。しつこいですか、すいません。

まず私は、もう何回も言ってるんですけどね、被害者の事を顧みなくていいなんて事は一言も言ってないんです。太田総理で少年院で結局1、2年で出てこれてしまうケースが紹介されてましたが、それがおかしいというのは私も異論のないところです。犯した罪に対してきちんと責任を負う必要があるという事も分かっています。ただ私は刑罰としての死刑や少年への過剰な刑罰には反対、というだけであって。

少しでも加害者の肩を持とうとすると、すぐさま被害者がその犠牲になるかのような事を喧伝する人がいますが、そんな事はありません。私なりに何故そういう人間がいて何故それが支持されるか考えてみた結果、やはり根底にあるのは蔑視感情だと思われます。

加害者の権利や更生を訴える事は被害者をないがしろにする事には繋がらないのに、さもそれが直結するかのように言う人ってのは、口では被害者の心情とか人権が大切なんて言ってますが、結局自分の差別感情を被害者を通して訴えたいだけなのではないでしょうか。現に被害にあっても加害者の更生を願うような被害者がいる事はあまりピックアップしないでしょう。

自分の差別感情を都合よく代弁してくれそうな被害者だけを賛美するのは、それこそ被害者感情を利用する汚い行為というか、やはりあまりにも公平性を欠いています。もういっそのこと被害者の心情なんてものをかくれみのにするのはやめて、正直に言ったらいいんじゃないですか。

俺は人を殺すような人間は人間とは思えないし、そいつがこの世の中で息を吸っている事自体が許せない。そいつが育つ過程でどれだけ劣悪な環境があろうとも、殺人なんて行為に及ぶのはそいつ個人の欠陥によるもので、そんな奴に生存権及びその他の人権なんてものを認める気は一切ない。こういう考えなんですよね。

それを被害者の心情がなんて言うから気持ちが悪いんです。じゃあ加害者に更生してほしいと思っている被害者の気持ちはどうするんです?尊重しなくていいんですか。もし今大多数の被害者が加害者の更生を望むようになったら、今度は亡くなった人の事を考えてないとか言って遺族の方にまで攻撃の手を広げるんじゃないんですか、あなた達は。自分がそんな奴は死ぬべきだと思ってる事を被害者のためなんて美化するのはやめてください。被害者の盾に隠れているのは卑怯ですよ。被害者がなんと言おうと自分は加害者には死んで欲しいと思ってるとはっきり言ってください。

私は被害者が加害者に対して感情的になるのは当然だと思います。それに対して死刑にしたって亡くなった人は帰ってこないんだから、加害者の更生を望むのが一番いい方法でしょう?なんて言い方をするのにはやはり抵抗を覚えますし、被害者本人に言っていい事だとも思っていません。私だって身近な人が犯罪の被害にあったら、ここまで冷静でいられるかどうかは分からないしね。もちろん死刑には反対しますが無期懲役ぐらいは望むかもしれません。ですがやはり第三者はそのような感情的な立場であってはならないでしょう。

先日の太田総理の放送の中でケビンが「目には目をじゃないか、ハンムラビ法典か」と言ったのを、目には目をでいいじゃないかとおっしゃっている方を多数見かけましたが、率直に言っていいわけがありません。やられたらやり返すでいいなら、何のための裁判ですか。裁判は復讐の執行には手を貸しません。国会に陳情して仇討ち法でも人を殺したら無条件で死刑法案でも作ってもらってくださいよ、それが本当に正しいと思ってるなら。

被害にあった時、憎しみの感情に任せて相手に同じ苦しみを味あわせる事は認められていないんです。事件が起きた時被害者と加害者の間に入り、ただの報復にはよらない、被害者の心情も、加害者の更生も、両方を考慮したうえで、双方にとってもっとも妥当だろうと思われる落とし所を見つけるのが裁判の役目です。それは被害者感情を無視したものであっても、加害者の人権を著しく無視したものあってもダメなのです。

裁判がそうした葛藤を踏まえて運営されているわけですから(もっとも最近の裁判は世論に配慮しすぎでそのような葛藤の上に成り立っているかは疑問なんですが)、第三者である私たちだって公平な目線で物事を見ねばなりません。しかも2009年からは私たち国民も裁判に呼ばれる事が決まっているわけですから、今の被害者に偏りきったこんな世論では、裁判が加害者に対する集団リンチに堕しかねません。

もうね、私自身よく分からないんですよ、自分ももしかしたら人を殺すかもしれないと思う人間と思わない人間の違い。単純にそんな事を思う奴の人間性に問題があると片付ける事もできそうな反面、社会の多数派に守られ、社会の「規律」と言われるものを問題なく遵守してきた人間の欠陥であると言う事もできる。やっぱりそうやって今まで生きてくるとそこから外れた者の気持ちが分からないじゃないですか。

人を殺す事は悪い事でお年寄りに席を譲るのはいい事だという分かりきっているはずの善悪からふっと外れてしまう瞬間がある事を私は身近に感じられる。社会の多数派から弾き飛ばされ軽蔑のまなざしを送られながら生きる事がどれだけ辛いか、少しは想像する事ができるから。とはいっても差別者側に被差別者側の気持ちが分かるかといえば分かるはずないんです。分かるなら差別なんてしませんから。

そもそもなぜ世論の大半が加害者に感情移入できないのかといえば、やはり自分達が常日頃から行っている差別や排他的な態度にあまり気付いていないからだと思います。というか差別を行っているという自覚すらない人間の方が多いのでしょう。例えば不登校にしてもたかだか学校に行かないからというだけでダメ人間のレッテルを貼られたりする事が往々にしてあるわけで、ニートや引きこもりも同様です。

そちらにしてみれば、学校に行くのも働くのも生きてれば当たり前でしょう、という感覚かもしれませんが、その動作を行うのがどうしようもなく辛い、と思う人間だっているのです。そのような状況にある人間に対して、集団の中で何不自由なく暮らしている自分の基準をそのまま適用し、弱いとかたるんでるとか言うのはやっぱり想像力が欠如していると言わざるを得ない。

そうやって一人ひとりが無意識的に行っている選別作業によって、異質なものを認めない均質的な社会が創られ、その結果そこに適合できない人は異常者とか、病気だとか、非人間的な扱いを受け、結果犯罪に走ってしまう、という構図もあるんですよ。

自分達が普段何気なくやっている事が人を追い詰めているかもしれないんです。人殺しを生み出しているのかもしれないんですよ。全部が全部そうとは言いませんが、そういう一面もあるという事を理解していただいて、犯罪は社会全体の責任であり、ひいては自分自身の責任でもあるという危機意識を持ってもらいたい。

社会に普通に生きてると気が付かないかもしれませんが、そこから少し普通じゃない生き方をしようとすると実はものすごい圧力がかかるんですよ、今の日本では。しかも社会全体のこうあらねばならないという考えはたいした根拠のない迷信である事が非常に多い。学校に行かないと育たないとか、家にずっといたらダメになるとか、社会が当たり前だと思ってる事は実は少しも当たり前じゃない。それが何故当たり前じゃないかはまた稿を改めたいっていうか、不登校の記事なら過去に書いたやつがあるのでどうぞ。http://kyomutotomoni.cocolog-wbs.com/blog/2007/05/post_788f.html

無意識的にそういう枠にはめ込もうとしていたり、そこから外れた人間に対してものすごい差別を行ったりしているんです、社会は。その結果、社会から外れた事により周りからすさまじい差別を受け、人格が壊れ犯罪を犯したらお前が悪い、という事ではあまりにも酷すぎませんか、と私は言っているんです。事情があるから責任を取らなくてもいいなんて言っていなくて、社会全体が加害者を追い詰めてしまったのかもしれない、という視点も持てませんか、という提案をしているのです。

そもそも社会に不安を与えたなんて事が加害者に対する刑罰の際に加算される事が私はどうしても納得いかない。謝らなけらばならないのはどっちか。罪を犯す前に止められなかった社会の方なんじゃないの。虐待を受けていたケースなんかで言うと、その人は虐待を受けている間は被害者です。ずっとずっと被害者で、ある日ついに耐え切れずに心が壊れ加害者になってしまった。被害者である間に助けられなかった事を私達は詫びなくていいのだろうか。個人の責任に押し付けてしまっていいのだろうか。私はいいとは思わない。

虐待なんて分かりやすいケースでなくてもこの考えは適用できると思います。皆さん善悪の判断がつかなかったから人を殺したんだと本気でお考えですか?それならばどうして両親が教師であるというような環境の人間が人を殺すのでしょう。何がよくて何が悪いかなんて事はもうウンザリするぐらい教え込まれているはずですよ、そういった境遇なら。

ですから犯罪の背景にあるのは、孤独感であったり、自尊心の崩壊であったり、あるいはまったく逆で世間の差別感情に染まりきってしまったから、という事も考えられるでしょう。例えばホームレスを襲った中学生などは、親や社会のホームレスに対する偏見をそのまま受け継ぎ、ホームレスの事を暴力を働いても許される存在なんだと勘違いしたのかもしれません。皆さんも差別してるでしょう?ホームレスの事を。ある意味その中学生達はあなた方が定めた善悪を忠実に守ったとも言えます。自分達と違う人間は差別して排除するのが当然だというね。

太田総理に出てきた被害者の方の息子さんも、障害者で動けないのをいい事にかなり陰湿なやり方で殺害されたそうですが、普段から障害者やその他マイノリティに思いやりがないのはどちらかといえばむしろそちら側だと私は思うわけで、あなた方が加害者に死を!とものすごい勢いで叫ぶ姿勢は逆に加害者予備軍を作りあげる可能性があるという事なんです。分かりにくいですかね。

要するにあなた達は自分達と違うものが嫌いなんです。俺達に同化しないと人間として認めないぞ、という横暴を日々知らない内に働いています。それが自分と違う人間は差別してもいいんだという考えを生み、行き過ぎると殺してもいいんだとなる。人の上に人をつくり人の下に人をつくる教育をしているのはあなた方多数派です。マイノリティはそういう態度にことのほか傷ついていますよ。私だってそう。

そうやって少数派排除を推し進めていけば、いずれこの社会は立ち行かなくなるだろうし、その内あなた方は復讐されます。変な脅しをかけているわけではなく、あなた方が知らない内にこちら側の人間は結構な怒りを溜め込んでいますし、下手をすれば身内からも差別感情が行き過ぎた加害者が出てくるわけでしょう。大変ですね。その都度気違い扱いしてれば事足りると思ってたら痛い目見ますよほんとに。で、人を殺してしまえば自分と同じ出身でも鬼畜呼ばわりしたり平気でするわけでしょ。冷たーい。それでも人間なのかしら。こちら側が加害者に同調するのとはえらい違いだよ。

ですから加害者の犯罪がどれだけ残虐であろうとも、同じ痛みを味あわせてやれ、というような短絡的な発想で解決できるような状況ではもうないと私は思うんです。本当の意味で加害者の立場にたって、何故そうなったのかという事を社会全体で真剣に考えていかないと、犯罪の数も減らせませんし理不尽な理由で苦しむ人も救えません。

そのように考えるとやはりどうしたって死刑には人道上の問題がある。現実的な対案としては仮釈放のない無期懲役というのが必要ではないかと思います。模範囚をやっていればすぐ出れるなんて事では被害者も納得しないでしょうし、犯罪に対して一定のペナルティを科していかなければ社会秩序も守れない。悪質だと判断されれば一生を刑務所で終えるという事も仕方がないでしょう。ただ何をもって悪質とするかに関してはまだまだ偏りがあり過ぎる。私は何が何でも情状酌量なんて事を言っているわけではありません。とにかく公平な目で世の中を見ていきましょうという事です。分かっていただけたでしょうか。

もう全部読んでくれる人なんて今度こそいない気がするよ。この話はそろそろこの辺で区切りをつけたいな。この数日多数派と戦う事で頭がいっぱいでかなり生活が狂ってきてるんで。そろそろまた細々としたブログに戻りたい。アクセス数前日比664倍ですよ。おちおち愚痴も書いておれんじゃないか、まったく。

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