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2007年8月26日 (日)

一人で日常を生きる

今日は私の恋愛観とその他もろもろ、みたいな。世間で普通の女の子やってる人には卒倒しそうな内容でしょうが、まあお読みくださいね。

まず、告白して振られて今の関係が壊れてしまうのが怖い、とかよく聞くでしょ?私にとってはそんな考えはありえません。そんなぐちぐちぐちぐち煮え切らない関係は今すぐブチブチブチっと引き千切ってゴミ箱へポーンです(そうしろって意味じゃないですよ、私がそうだってだけの話です)。恋愛なんて好きか嫌いかのどっちかです。迷うぐらいなら断りゃいいの。駆け引き?ゲーム?そんな事してる時間があったら本の一つでも読みたいね。

そもそも自分の事を好きじゃないやつに時間をさく意義って私にはない。努力して自分を作って好きになってもらって何の意味があるのでしょう。一人でいる事ができるのに他人に自分の性格を妥協し切り売りする理由は私にはどこにもない。振り向かせるとかさ、私に自信が無いのも関係してるのかもしれないけど、そういう努力はする気がしない。自分を変えるとか治すとか、引け目を感じながら努力しなきゃならないような人とは私は付き合わない。

あと世間のここが分からないという事で、サプライズとか非日常とか何がそんなにいいんだろう、と。例えば恋愛で言うなら彼氏が自分の誕生日にサプライズとか、夜景の綺麗な所とかディズニーランドーとかそんないいかなあ。っていうかむしろいちいちそういうのに「わー!すごーい!」とか「これ…私のために?」とかいうリアクションを取らなければならないのだとしたら、またそれを求めてやっているのだとすればそんなものは迷惑千万、ひっじょうにめんどくさい。

何にも起きない日常こそが一番の幸せなのに、なぜ人は非日常を追い求め自らを酷使するのだろう。でもそれが楽しくてやってるんだから世間の人達にとっては酷使じゃないんだよね。私がどうこう言える事でもないか。でも私は何にも起きない日常を、ゆるーくじみーに生きてゆきたいのです。ディズニーランドとかたっかいレストランとかなんちゃらスポットとかいう窒息しそうな非日常とは関わらずに。ま、ここで宣言せずともそんな雑事に付き合わなきゃならんような男とは端から関係持ちませんけどぉ、あはははは。

すいませーん、結局自己満足的な内容に。ま、いいんだブログなんて誰でもそうさ。もっとひどいのいくらでも読んだ事あるもん。最後に、今日ここで書いた事はすべて私はこう思う、というだけの話です。一応。それでは今日は寝ますんでまた今度。

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2007年8月21日 (火)

×ゲーム読了

新聞に宣伝してあるのを見て面白そうだな、と思ったので図書館で借りて読みました。

×ゲーム  山田悠介著

Photo






それにしても、まずビックリしたのはこの本をたった2日で読み終わってしまった事です。最近は憲法や日本史などの勉強するための本か、そうでなければ町田康の小説など、辞書を引いたりパソコンで調べたりしなければ読めないような本を1週間くらいかけて読んでたんですが、私もそれほど中身のないサラッとした小説ならばまあまあ早く読めるのだなあ、という事が分かりました。

この本は小学生の時ずっといじめられていた蕪木鞠子がその約10年後に仕返しを開始するというスプラッタホラーです。その鞠子は当時いじめに加わっていた英明に×ゲームで告白されてそれを真に受け、以来10年間ずっと病的な愛を抱き続けていたりもする。で、恐怖描写としては、写真の背後にずっと写っていたり、英明の彼女を拉致ったり、いじめのリーダー格だった剛司を虐殺したりといった感じ。

全体的に嫌いではない。でも主人公的なポジションの英明がね、世間一般の普通の坊っちゃんといった感じで、終始ムカついていたのであまり主人公の恐怖に共感できず、むしろ鞠子の方がずっとよかった。英明が鞠子に狂ってるという言葉を連発したのも気に入らない。自分のいじめのせいであんな虐殺が起きたのに、基本ずっと相手を異常者扱い。そんな事よりもっと罪悪感を感じろよ、と。

描写もいまいちだった気がする。やっぱり心理描写をきっちりやって虐殺に及ぶ経緯を細かく描くか、それは描かずに得体の知れない者として恐怖を追及するかどちらかだと思うんですね。それがなんか中途半端だった。中途半端に心理描写があり中途半端に恐怖に走った。私の好みとしては身勝手自己中の英明よりも鞠子の心理描写がもっと欲しかったという事かも知れません。

最後に恐怖度としてはそんなに怖くなかったです。鞠子の方に感情移入しちゃったからストーキングも虐殺も怖くないんですよねえ。剛司の虐殺シーンも、ガスバーナーで手をあぶる、爪を剥がす、生きたまま肩を切り落とそうとする、金槌で頭を何度も殴りつけて殺す、など残虐は残虐ですが、冒頭の鞠子に対する剛司の苛烈ないじめを目にした後では「いい気味」と思ってしまう自分も否定できないというか、むしろこのシーンがこの本の中では一番いいと思うんですよね。ああこんな事言うとひかれるのかなあ。

ラストシーンに注文をつけるなら、最後まで鞠子の英明への愛が憎しみに変わらなかったのが残念だった。途中から私はずっと英明も剛司みたいに殺される事を願ってました。世間一般の坊っちゃんは大嫌いだから。

それだったら、鞠子が「英明は私の事好きじゃないの?…そう、私も本当はこんな事したくなかったけど仕方ないわね」と言い痛くない楽な方法でバッと殺した後死体をバラバラに切り刻む。そしてそれを袋か何かに入れて持って警察から逃げる。その後新しく借りるか買うかした家にそのバラバラ死体を冷凍保存できるような設備を整え、そこに死体を安置する。で、そのバラバラになった腕とか足とか首とかに毎日毎日「英明?英明…」と幸せそうに話しかけ続ける。

という終わり方を考えてみたんですがどうでしょう。やっぱりちょっと無理あるかなあ。

…なんか私の路線もおかしくなってきましたね。別にそんなにスプラッタものが好きだったわけでもないのに、何をバラバラ死体の話なんか真剣にしているんだろう。そっちもいけるクチですかい。もう自分が分からないー。スナコの影響かな。

ま、いいや、遅くなっちゃったから今日はこの辺で。寝ます。

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2007年8月15日 (水)

断髪

断髪

写真だと分かりにくいですが結構な量があります。

私は美容院とかはありえないので自分で髪を切るんですが、今回はもう2年ほどほったらかしていたので結構な長さになっていて、切ってみたらかなりサッパリしました。

結局ゴムで束ねるか上にまとめるかなので髪型的には変わらないんですが、やはり髪を切るという行為には心機一転効果があります。失恋した時に髪を切るというのは分かりますね。腰まであった髪を肩口までバッサリいったんですが、それだけでこの夏を乗り切れそうな気がしてきます。生きる気力が湧いてくる。まあ、そんな効果は数日で失われる事が目に見えてますが。あはは。次のシャンプーが楽しみだわ。

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2007年8月12日 (日)

慢性的なアレ

晩飯をー、食いそびれました。なんてこったい。でもまあいいんだ、昼間がっつりトンカツ定食食ったから。

もう私文脈とか気にしませんが、私って一人は平気なんです。だから生活が軌道に乗ってる時は、本読んだり新聞読んだり映画観に行ったり、淡々と一人の時間を満喫する事ができるわけなんですが、一旦変な所に入り込んじゃうと、彼氏が欲しいー!とか絶叫したくなる事があり、今はちょうどその周期なんです。

そうなってくると慢性的な喪失感と言うのか何なのか、段々生活が回せなくなっていく。その日の新聞を読む事や図書館から借りてきた本を読む事、そして時にはご飯を食べる事さえなおざりになってしまったりする。これはまあよくないですね。そんな事だから夏ばてするんだろうなあ、とも思うし。

でもこればっかりは風邪と同じようなもんでおさまるのを待つしかないんですね。精神的にも肉体的にもろくなもんじゃないと思うけど、これも恋に敗れた者の宿命っていうかね、あっすいません吐き気がしたんで取り消します。

ですからとにかく今はなるべく色々考えないようにしてやり過ごしている最中です。ほんと一般のつまらない悩みだなあ、といつも思ってます。っていうかむしろ悩みじゃないかもしんないね、この程度の事は。

ああなんかお腹空いてきた。やっぱりなんか食べようかなあ。でも今から風呂にも入んなきゃ…。ああっ生活が破滅する。

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2007年8月 9日 (木)

私は卑屈

なんだかものすごーくだるいです。なんのひねりもなく申し訳ないのですが、普通に夏ばて気味で食欲も落ちてます。

私って人と関わるのダメじゃないですか。とか言うとキム兄みたいな人に「知らんがな」とキレられそうですが、ダメなんですね、人と関わるのが。

慢性的な不安とか恐怖に支配されていて、人と自然に関わるって事ができない。これってひょっとすると前に書いたかもしれないんですが、確認するのが嫌なのでこのまま書きます。

その不安や恐怖が何によるものかといえばそれは自分自身に対しての自信のなさ。私は自分が人からどう思われているか、という事で言うと、嫌われているかいてもいなくても同じかのどちらかだと思っている。これは何でそう思うのかとかいうレベルではなく私の中での強固な思い込み、と言うか実際そうなんだろうとも思うんですが。

だから人と接していて相手が自分に対していい印象を持っているなんて事は夢にも思わないレベルだし、そうやって常にマイナスに考えていないと、自分を保っていられないんです。何か行動を起こすたび嫌われたんじゃないか、幻滅されたんじゃないかという思いに駆られるから、そんな中で自分はこの人に好かれている、友達だ、と思おうとするとかなりの摩擦が生じる。私はこの人と友達、と思おうとした所でマイナスに考えてしまう自分には勝てないし、いらない苦痛を生むだけなのです。

その点普段から私はよく思われていない、という前提に立てば、嫌われたかも知れない事や幻滅されたかも知れない事なんかはどうでもよくなるわけです。だってそもそもよく思われていないのは分かりきっているわけですから、今更一喜一憂する必要もない。私は何を言っても何をやっても嫌われる、あははそれはもう仕方ないですよ、と思っているととても楽なんです。

ただね、問題なのはこんな生き方をしていれば、誰だってこんな卑屈な人間は嫌だろうから自然に孤立しそうなもんだけど、まだ1人2人メールをすれば返してくれるような人がいる事です。どうせよく思われてないから、とマイナスに固定して疎遠にしてしまえば迷惑もかけないし楽なのかもしれませんが、私もなまじそういう人がいるもんだからついメールしちゃったりするんですね。矛盾だらけです。

でもそういう人と関わるのはものすごく怖いです。上記のようによく思われていない前提に立てばなんでもないような事が、向こうもそれなりには私の事よく思ってくれてんのかな、という前提にひとたび立とうとすると、全てが足下から崩れ落ちて何もできなくなってしまう。嫌われたかも、幻滅されたかも、が死ぬほど怖いんです。

これは明らかに前に書いた記憶がありますが、私にはこれをやっていれば嫌われないだろう、という安牌が存在しない。卑屈で暗いのはやっぱ鬱陶しがられるかな、と思うからあまりこういう内面の話はしないでおこう、とかも思ったりするんですが、でもじゃあどうするかと考えた時、明るく何にも怖くない風を装って普通にやったって、思い上がりとか図々しいみたいな方向で嫌われるかもしれない。結局どうやっても嫌われるかもから逃れられないから、素に近い卑屈で暗い方でやってます。

自信とか安心の土台がそもそもないから、ちょっとした事で「ああやっぱり私はダメなんだ」という所に落ち着いてしまう。でも後からそのちょっとした事に相手はなんの意味も込めてなかった事が分かったりするので、そんなにビクビクする事もないのかな、とその時は思うけど、やっぱり次の瞬間には「~かも」が怖くなっていて。

ここで私の自信のなさ、卑屈さを分かりやすくお伝えするため、恋愛の話を絡めつつお話したいと思います。といっても私が人生において人と付き合っていた時期は半年しかなく、それも小学生の時だったからカップルらしい事は何もしてないので、あくまで想像ですが、まあお聞きください。

まず永遠の愛なんてのは私は信じない。思い上がりも甚だしいですが、私の事を好きになってくれる人が将来現れたとしましょう。その人に私は永遠なんて事は言わせませんし、そんな将来のどうなるか分からない話はどうでもいいんです。人の心は変わります。今は私の事を好きと言っていても、その次の瞬間気が変わったり、私に幻滅したりしないなんて誰にも言えない。そしてそれはその人を責められるものでもない。

浮気や他に好きな人ができる、なんてのも言ってみれば当たり前というかね。私だけを好きでいろなんて私は言えませんね。人の心は自由であるべきだし、そういう縛りは究極の所では役に立ちません。私にそんな魅力があるとも思えませんし。相手がずっと自分を好きでいるのが当たり前なんてどうして思えるのか不思議です。私にもし彼氏ができたら、私はそんな永遠は夢見ませんし、根拠のない約束なんかより、今その瞬間の気持ちが嘘でなければそれでいい。

私は変なのかも知れませんが、振られる事より、嫌われたかもの方がずっときついんですね。事実今までも振られた事よりメールの返信1通来なかった事の方が辛かった。一旦無理と言われてしまえば後は私が勝手に立ち直ればいい事ですが、かもの場合は直接言われてない分「やっぱ嫌われてんだ」と思うまでに時間が掛かるし、その数日がまたきっついんですね、ものすごく。それでいて相手に確認もできないから完全に生き地獄。中途半端な状態でかもかも言ってるよりは、無理となった時の立ち直り方の方が私は知ってるし、そっちの方がよっぽど楽です。だから私は恋愛で白黒ハッキリしない状況はもう発狂しそうになります。それなのにそういう時期が長かったものですから大変でしたね、あれは。

「仕事と私どっちが大事」とかいうのもよく聞きますが、私はあれは言えませんね。あれは前提となっているのは「仕事よりも私が大事にされるべきなのにあなたはなんなの」という事ですよね?私は自分が大事にされるべきなんて思えないから卑屈女には無縁の啖呵です。

というわけで、今日は私の卑屈さの紹介でした。ただ最後に付け加えておくと、私は不特定多数の人間や全く親しくない人間からはどう思われても平気です。ただ特定の人との嫌われたかもの間が苦手なんですねえ。もうこれはほんとに資質としか言いようがない。今後年と共に少しは改善されてってくれるとありがたいんですけどね。

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2007年8月 3日 (金)

松本再考

ええ今日は松本の話です。ダウンタウンのね。

大日本人を観てから何となく気になり始め、一体どういう人なんだろう、との思いから松本を追いかけてきました。それは以前ここで書いた通りです(今思えばイッタい記事ですけどねえ。別に読んで頂かなくとも話は繋がると思いますが)。

最近の音楽やアーティストには何の興味もないのにHEY!HEY!HEY!を見たり、ゲストがどれだけウザくても我慢してダウンタウンDXを見たり、他の番組を録画して放送室を聴いてみたり色々してました。

で、その延長でこないだ図書館で本を借りたんです。松本の「遺書」と「好きか嫌いか」を読みました。これはねー。遺書はわりとサックリ読めたんです。語調も一貫してたしある種のフィクションというか、「センスとオツムがない奴に俺の笑いは理解できない」とかそんなことばっかり書いてあるんですが、この人はこういうキャラで書いてるんだなあ、というか偉そうなのがわかりやすい分許容できるとでも言いましょうか。

でも好きか嫌いかに関してはまったくダメでした。私の嫌いな奴の3大条件として、せっかち、すぐイライラする、待てない、というのがありますが松本はそれ全てを兼ね備えていたのです。

ほんと嫌いなんですよ、何をそんなに急ぐ事があるのかサッパリ分かりませんし。例えば松本が行列のできるラーメン屋の話をしてた時に、食べるの遅い奴は来るなとか言ってましたがああいう考えもまあ嫌いです。

自分はああいうところで食べる時は早い、煙草なんてもってのほか、人が並んでるんですから…。(松本)

まあ間違っちゃいませんよ。でもうっせえなあと思ってしまいます。誤解のないよう言っておくと、私もそういう店に行ったら次の人を待たせないようになるべく早く食って早く出ます。でもそれを人に求めるか?といえば答えはNOです。

自分はそういう回転効率の事が頭に入ってるというのなら、自分は気を付けよう、と勝手に思ってれば済む事じゃないですか。それを食べるのが遅い奴にイライラしたり、回転効率なんてのは一面の正義に過ぎないのに、それが唯一の正義だと思い込み、それを阻害するものを口汚く罵っているわけです。こういう人が今の健常者中心の世の中を形作っているのではないかと思う。

混んでる店内でマンガ読んでる奴がいたから、連れとそいつを挟んで座ってわざと大声で話してやったとか、やることが陰険ですしね。俺がやってるんだからお前もやれよ、というのは人間としてとっても浅ましい。その漫画の奴は非常識ですが早さ効率第一人間もどうかと思います。金さえ払えばそのラーメンを自分のペースで味わう権利があるわけでね。早く食える人が早く食ってその人の分まで回転効率を高めてあげればいいじゃないですか。ちっちゃい男。

そういうムカつきがあの本を読んでいると随所にあって、読み終わった時には松本が嫌いになってました。映画一本面白かったからってうっかりついていったらどんでもない事になりますね。ああいう人は何か障害でも負って自分の思う「効率的」な動きができなくなったらどうするんでしょう。突き飛ばされたり舌打ちされたりしながら自分は間違っていたと思うのでしょうか。それとも「迷惑」をかけることに耐えられなくて引きこもる?

とりあえず松本の評価は今までの「面白いけどあんまり好きじゃない」から「面白いけど嫌い」になりました。やっぱり私の顔で人を見抜く能力はそれなりのもんです。あの顔で私が好きになれるような人間のわけないもん。映画に惑わされてはいけませんね。

私は「松本ファン」ではないということをここに公言しておきます。幻滅されたくないですから。大日本人は好きですけどね。もう一度あの大佐藤を松本だと思って観たら評価も変わるかなあ。本人曰く後半はもう自分そのものだったらしいので。

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