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2007年11月30日 (金)

ああもう

私は綺麗事が嫌いです。家族、愛、絆、反吐が出る。私のそういう類のものに対する拒否反応は相当なものだと思う。人のためとか、思いやりとか、吐き気がするようなセリフを並べ立てた挙句、規範意識の欠如とかいう結論に持っていく似非評論家などを見ていると正直言って殺意すら覚える自分がいる。

私は私のために生きたい。誰にも何も干渉されず、私だけのために。余計な説教も指図もされたくない。私に勝手に余計な荷物を背負わせようとするのはやめてくれ。

自殺を悪だという奴を私は許せない。人間の生など親のエゴか不注意かでしかないのです。そんなものを後生大事に守らなければならない理由などありはしない。命の大切さという言葉も大嫌いです。あの押し付けがましい響きには本当にウンザリする。頼んでもないのにね。私が生きたいって言ったか。そう聞いたのか。たまたま生まれてきちゃっただけなのに、感謝を強要し、死ぬ自由すら与えてくれないと言うのか。世間とはなんと冷たい。それでいて暑苦しい。

ほうっておいてくれないだろうか。罰当たりだと言うのなら、命をありがたく思わなければ生きていてはいけないのなら、最初に生まれてこない事を選択できなかった事に同情してくれ。というか命を与えてくれたとされる先祖やら神やらはそんなに押し付けがましい方々なのだろうか。生きる事、感謝する事を強要するような?規範が欲しい奴らの後付けじゃなかろうか。私の存在はたまたまなんだから誰にも感謝しないし、誰にも束縛されたくない。私はなんだかんだ言ってこの先生きるかもしれないけど、それは大切な命だからではなく私に死ぬ理由がなかったからというだけの事です。そこんとこハッキリさせとかないと。

私が今生きている事に意味や価値など与えないで欲しい。私はただ偶然の集積によって今ここに存在しているに過ぎない。私の人生には価値が無いのだなあ、意味も無いのだなあ、と思えばこそ、私は生きていられるのです。価値も意味も追わずただ生きる事が私にとっての生き甲斐。無価値というのは美しいと思いますね。誰にも感謝されず誰にも気付かれず、世界を裏から眺め嘲笑。すっばらしい人生じゃないですか。

っつーわけで今日は我が儘でへそ曲がりな私の魅力が存分に出せたと思いますが。結局今必要なのは吐き気のするような劣悪ストーリーを上からかぶせていく事ではなく、個々の生の充実を図る事だと思うのです。例えば家族みんなで食事を取りましょう、の代わりに、家族をぶっ壊しても自分の生きたいように生きましょう、にしてみるとか。世では規範意識の欠如だの何だの言ってますが、一人一人が生きたいように生きるという事がどれだけ制限されてるか、気付いてないのですね、そういう事を言う人は。

押し付けがましい独善説教をやめ、もっと幅広い生を認めなければこの社会の閉塞感が、とかなんとか言う前にこれ以上私につまんねえ説教聞かすな、と言った方が手っ取り早いかな。私は誰の指図も受けん。

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2007年11月26日 (月)

殺人はニュースか

いやいや、やっぱりブログをやってる以上更新頻度が低いのを開き直ってちゃだめだよな、とまた思い直しております。意味が分からない人は前回の記事を参照のこと。

とはいえ、何か目新しいネタがあるかといえばそういうわけでもないのが困った所。生活上のことで言うなら、結局12月からヤマハに通うことにしました。バリバリ練習して弾きこなすぜ、エレクトーン。あとそろそろ仕分けとか単純作業系のバイトを探してみようかと思っとります。よく考えてみたらこんな性格のくせになぜ接客業にこだわっていたのか、謎です。本が好きだからって別に本屋で働かなくてもねえ。

ま、こんなくそ面白くもない私の報告はさておいて、最近のニュースってどう思われますか。どうって言われても困るかもしれませんが、私から見ると最近のニュースはただその日起こった事の垂れ流しというか、で?という事が非常に多いのです。家が燃えました、人が殺されました、とか言われてもへーとしか思えません。

私が思うニュースってのは諸々の社会現象に対して独自の目線で解釈なり論評なりを加えたりするものなんですが、最近のニュースはどうもそうでない。ただ家が燃えた燃えた騒ぐだけなら誰にだってできる。いちいち燃えるたびにそれを言われてもね。そんなんだったらアホみたいに報告するのではなく、定期的に火災原因の統計を出しつつ火災防止について特集を組んでやってくれればそれでいいわけで、1件1件の燃えましたというニュースは意味があるのでしょうか。

殺人だって同じ事。私に言わせればあんなものはニュースではありません。あれを1件1件事細かにだらだら報じる時間を使ってどれだけの有益な情報を発信できるか。どうせその事件を扱ったからといって事件の背景を抉り出せるわけでもない、ただみんなが満足できるよう、近隣住民の証言から都合のいい部分を切り取り、犯人を救いようのない残虐非道な鬼畜のように見せかけるぐらいしか能がないのですから、もうやめたらいいよ。

結局あれです。この国の人達は人を憎んで罪を憎まずなんですね。あまりテレビでは報道されないような事件には興味が無いし、海の向こうの人権侵害や戦争犯罪にも興味は無い。罪を憎むのではなく、マスコミが大々的に取り上げるような事件の犯人を、一個人を死んで欲しいというレベルで徹底的に憎むのです。被害者の痛みに敏感なのではなく、自らの攻撃性に忠実なだけ。だから被害者への同情は申し訳程度、目に付いた事件に怒り狂っているだけでいつまでたっても問題の本質に行き着かない。それで死刑死刑喚く。喧しいなあもう。

で、ニュースはその一翼を担ったりするだけで役に立っていない。社会現象をどう解釈し位置付け伝えていくかという役割を負うべきなのに、事実の垂れ流しか事実の部分的拡大しかできないんですから。その事実が何を示唆し何を意味しているのかという論説を加えない報道など何の意味もなく、そんなものはそこら辺のおばさんにその日起こった事を聞いたって同じです。

語弊を恐れずに言うなら私はどこの家が燃えようと誰が殺されようとそんな事には関心が無い。そんな事実を一方的に垂れ流しにされても私はどうすればいいのか。現実問題として今日火事が起きて何人かが死んだという報告が私に一体何をもたらすのか。何ももたらさない。だからなんなんだという思いが膨らむばかりで。自分がその立場だったらと考えてみても、今私の家が燃えて焼け死んだとしてそれがニュースだとはとても思えない。誰かに知って欲しいとも思わないし、それを伝えた所で何も生まれないだろう。私が殺されたとしたら、でも同様です。

まともな特集を組まないですよね、最近の報道は本当に。誰かが死んだ話ばかり、警察発表の垂れ流しだというのを雑誌の見出しかなんかで見ましたが、本当にそればかりを。私はそんな事実には興味がないのに。世の中の人はそんなに人の死に関心があるのでしょうか。誰かが殺される事がそんなに珍しいのでしょうか。この国を一歩外に出れば自爆テロでたくさんの人が死んでいますけどね。国内だって年間3万人の自殺者がいますし。なぜ殺人事件であれほど色めき立つのか、私にはやっぱり理解できない。あんなのはローカルニュースで扱えば十分だと思うけどなあ。

やっぱり共同体の外部を強調し内部の団結を強化するために、とんでもない奴がいる、凶悪事件が増えている、という共通認識を必要としているのでしょうか。そうやってキャーキャー言いながら盛り上がってるのが楽しいのか。正義感とかでは絶対ないんだろうと推測します。

人が殺されるということは、そりゃ痛ましいですよ。私だって何とも思わないわけじゃありません。だけど個々の事件の詳細はどうでもよくないですか、と。被害者の写真や実名まで出して何回も何回も同じような事を報じるのは、殺人事件を考える事ではなくただのエンターテイメントです。ある一定の時期が来ればそんな事件があった事も忘れ、次の事件に色めき立つわけでしょ。だから被害者への同情なんて申し訳程度、と言うんです。大体殺人の背景を考える時に被害者の子供の残した作文なんて関係がないでしょ。罪もない子供が殺された、というセンチメンタルに浸るのは結構ですが、そんな次の日には忘れているような薄っぺらい感情に浸っていても殺人事件は減りませんから。

だから私は個々の事件の詳細には関心がありませんが、客観的な数値に基づいた凶悪犯罪は本当に増えているかの検証や、単純な勧善懲悪的な世界から脱した上での原因解明には大いに関心があります。ニュースのやるべき事はその日あった事を報告する事ではなく、今起きている事をきっちり解釈をつけて報道する事です。事実を伝えるというのも大切な事ですが、そんなのはもっとコンパクトにまとめて、その上でじゃあその事実がなんなのか、というのを伝えていかないとバカみたいなんでね。誰々が自宅で死んでたとか、そんなのをフラッシュニュースで伝えても意味がない。

ついでに言うと日曜夕方5時半からの報道特集は好きです。私が求めているのはまさにああいう事です。サンデープロジェクトもそうですが地に足着いてる番組です。こういう番組の比率が上がればいいのに。

なんだかニュースとか報道という用語の使い方がいまひとつしっくりきてない感じもしますが、眠くなってきたのでもう寝ます。一応総括すると、事実を棒読みするだけがニュースじゃないぞ、という事が言いたかったのだと思います。その比率があまりにも高く感じたので。これでフォローできたかしら。ああもうダメだ、おやすみなさい。

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2007年11月18日 (日)

タイトルって考えるのめんどくさい

結局の所、今は外に向けて何かを発信する、という精神状況にないのです。藪から棒ですいませんが、この更新頻度の落ち込みぶりはやっぱりそういう事だと思うのよね。

一人でぐちぐちぐちぐち考え込む周期というか。映画を観ても本を読んでも感想をここで書く、という事までどうしても繋がっていかない。何かを発信しようとすると言葉がプッツリと途切れてしまう。

もっと大量の知識ともっと高感度のアンテナがあればネタなんていくらでも転がっているのでしょうが、私はバカなんでまだまだそんな境地には至らず、どうしようもありません。

生活上の変化をちょっと書くと、今日ヤマハでエレクトーンの体験レッスンを押さえました。もうかれこれ2ヶ月ぐらいやりたいなあと思いつつ延び延びになってたんですが、やっと行動に移せました。何をするにも行動力の欠如ってのは障害になるもんです。私はこの先生きてゆくのに致命的なハンデを十二分に負っているわけです。この性格じゃあ何をするにもハードルが高く、高ーく見える。だけどそれでもこんな性格に生まれなきゃよかったとは思わないのが私の凄いところ。私はやることなすこと遅いけど、雑に早く物事を片付ける人を羨ましいとは少しも思わない。クオリティを下げれば早く片付くのは当たり前でしょ?というわけ。まあだからって私がクオリティの高い人生を送っているかと言えばそんな事はなく、結局はただとろいだけなんですが。終わってますね。

私はヤマハが嫌いです。なんか調子に乗ってる感は常にありますよね。黙ってても子供に何かやらせたい親が群がってくるし、要するにヤマハにとって客は何もしなくても転がり込んでくる存在なのでしょう。楽譜を買いに行ってもなんにしても接客が感じいいな、と思った事はほとんどない。と、軽く嫌悪感を抱きつつも背に腹はかえられぬという事で単身乗り込んできます。最低限の割り切ったお付き合いが目標。あの集団とはあまり関わり合いになりたくないもんだ。

最後に、今は上記に書いたような精神状況ですのでたぶん更新頻度はこのままかさらに低くなるかのどちらかです。精神的引きこもりってとこでしょうか(物理的にも引きこもりみたいなもんですが)。ここで書くことも間接的に外の世界に接するという事なので、一度自分の内面に篭ってしまうと書くのが億劫になってしまうのです。誰とも関わりたくない病、みたいな。私が内面のごちゃごちゃよりも思想的なものを書いていきたい、と思うようになったのも一因かもしれません。

とまあそういうわけなんで、数少ない固定読者の皆さんには(いるんでしょうか…)申し訳ないですが、思想的なものをもっとコンスタントに発信できるよう鋭意勉学に励みますのでご容赦を。

それでは、おやすみなさい。

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2007年11月 6日 (火)

政治とか

またちょいと長い期間ほったらかしてしまいました。2週間近くになりますか。私も忘れているわけではないんですよ。一日が終わるたびに「ああ今日もブログを更新しなかったなあ」と思ってはいるのです。でもなんか時間が空けば空くほど更新しづらくなっていくというか。これといったテーマはないけど何か書こう、というのが苦手なんですね。自分の書こうとする事が陳腐に感じられてきて、こうやって自分で陳腐だと言っている事自体も陳腐に思えてきて、どんどんその元をたどっていくともう恥を晒したくないという所に行き着く。何も書きたくなくなるのです。

とここまで書いて早くも息切れ。ネタがない時はほんとにないですね。そもそも週のほとんどを家で過ごし親以外の人間とはほとんど口も利かないという状況で今まで1年間更新を続けてこれた方が不思議じゃないですか。私の内的空間がどれだけ広いかという事を端的に表していると思いませんか?ああ思いませんか。そうですか。

まあとにかく外的刺激がない割には更新できてる方だって事です。そうなんです。今色々と勉学に励んでいる最中ですから、もう少し経てばまたそれなりの頻度で更新できるようになるかな、とは思っているんですが。

さて、今小沢さんが民主党の代表を辞めるの辞めないのと話題になっていますね。私自身は小沢さんにも民主党にもたいした期待は寄せていないのでそのゴタゴタ自体には何の関心もありませんが、やはり今巷で言われているように、密室での談合で連立を組むだの組まないだのというのはやはり問題です。政治家というのは所詮は数で勝っていないと必要な法案一つ通せないような存在なのでしょうか。数で押し切れなくなるやとたんに行き詰まり相手に抱きつき連立だなんだと。結局は数で勝っているからといって野党に対して十分な説明責任を果たしてこなかったツケがここで出ているのではないでしょうか。

連立を推進しようとしている人からは自分達の為す政治が絶対的に正しく、それを遂行するためには数で優位に立たなければならない、という驕りが感じられます。相手の意見に真摯に耳を傾け、国民のために真に必要な政策は何か、という事を考える気がそもそもない。俺のやってる事が一番正しいんだ、それが国民のためなんだ、国のためなんだ、という独りよがりな政治、それが行き着くところが連立などという先の参院選の民意を無視したものなのではないでしょうか。

ここからは私の勝手な民主党への希望なんですが、もう小沢さんの事は切っちゃえばいいんじゃないかと。一人で勝手に連立の協議に耳を貸し、それに反対されたからといって民主党は選挙で勝てないとまで言い放ち代表を辞めるという。そんな勝手な人はもう引きとめずについて行きたい奴にはついて行かせて、民主党は本来の(っていうほど知らないけど)民主党としてやり直した方が気分としてはスッキリする。でもそれはやはり結果として自民党を利する事になってしまうのでしょうか。

私はよく分かりませんがあそこまで必死になって慰留するのはやはり小沢さんが参院から何人か引きつれ党を割り自民党と連立、結果民主党が参院の第一党でなくなる、というのを恐れての事なのでしょうか?それとも小沢さんを党首に据えた上での政権奪取をまだ本気で目指しているのでしょうか。一度こういうゴタゴタが表面化してしまっては難しいと思うんですけどね。

まあなんにしても今の状況は自民と民主が入れ替わり立ち替わりマスコミを独占し国会審議を停滞させ、という事ですから、二大政党制を担うどちらもろくなもんじゃないって事です。こういう時に社民党、共産党に頑張って欲しい。

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