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2007年11月26日 (月)

殺人はニュースか

いやいや、やっぱりブログをやってる以上更新頻度が低いのを開き直ってちゃだめだよな、とまた思い直しております。意味が分からない人は前回の記事を参照のこと。

とはいえ、何か目新しいネタがあるかといえばそういうわけでもないのが困った所。生活上のことで言うなら、結局12月からヤマハに通うことにしました。バリバリ練習して弾きこなすぜ、エレクトーン。あとそろそろ仕分けとか単純作業系のバイトを探してみようかと思っとります。よく考えてみたらこんな性格のくせになぜ接客業にこだわっていたのか、謎です。本が好きだからって別に本屋で働かなくてもねえ。

ま、こんなくそ面白くもない私の報告はさておいて、最近のニュースってどう思われますか。どうって言われても困るかもしれませんが、私から見ると最近のニュースはただその日起こった事の垂れ流しというか、で?という事が非常に多いのです。家が燃えました、人が殺されました、とか言われてもへーとしか思えません。

私が思うニュースってのは諸々の社会現象に対して独自の目線で解釈なり論評なりを加えたりするものなんですが、最近のニュースはどうもそうでない。ただ家が燃えた燃えた騒ぐだけなら誰にだってできる。いちいち燃えるたびにそれを言われてもね。そんなんだったらアホみたいに報告するのではなく、定期的に火災原因の統計を出しつつ火災防止について特集を組んでやってくれればそれでいいわけで、1件1件の燃えましたというニュースは意味があるのでしょうか。

殺人だって同じ事。私に言わせればあんなものはニュースではありません。あれを1件1件事細かにだらだら報じる時間を使ってどれだけの有益な情報を発信できるか。どうせその事件を扱ったからといって事件の背景を抉り出せるわけでもない、ただみんなが満足できるよう、近隣住民の証言から都合のいい部分を切り取り、犯人を救いようのない残虐非道な鬼畜のように見せかけるぐらいしか能がないのですから、もうやめたらいいよ。

結局あれです。この国の人達は人を憎んで罪を憎まずなんですね。あまりテレビでは報道されないような事件には興味が無いし、海の向こうの人権侵害や戦争犯罪にも興味は無い。罪を憎むのではなく、マスコミが大々的に取り上げるような事件の犯人を、一個人を死んで欲しいというレベルで徹底的に憎むのです。被害者の痛みに敏感なのではなく、自らの攻撃性に忠実なだけ。だから被害者への同情は申し訳程度、目に付いた事件に怒り狂っているだけでいつまでたっても問題の本質に行き着かない。それで死刑死刑喚く。喧しいなあもう。

で、ニュースはその一翼を担ったりするだけで役に立っていない。社会現象をどう解釈し位置付け伝えていくかという役割を負うべきなのに、事実の垂れ流しか事実の部分的拡大しかできないんですから。その事実が何を示唆し何を意味しているのかという論説を加えない報道など何の意味もなく、そんなものはそこら辺のおばさんにその日起こった事を聞いたって同じです。

語弊を恐れずに言うなら私はどこの家が燃えようと誰が殺されようとそんな事には関心が無い。そんな事実を一方的に垂れ流しにされても私はどうすればいいのか。現実問題として今日火事が起きて何人かが死んだという報告が私に一体何をもたらすのか。何ももたらさない。だからなんなんだという思いが膨らむばかりで。自分がその立場だったらと考えてみても、今私の家が燃えて焼け死んだとしてそれがニュースだとはとても思えない。誰かに知って欲しいとも思わないし、それを伝えた所で何も生まれないだろう。私が殺されたとしたら、でも同様です。

まともな特集を組まないですよね、最近の報道は本当に。誰かが死んだ話ばかり、警察発表の垂れ流しだというのを雑誌の見出しかなんかで見ましたが、本当にそればかりを。私はそんな事実には興味がないのに。世の中の人はそんなに人の死に関心があるのでしょうか。誰かが殺される事がそんなに珍しいのでしょうか。この国を一歩外に出れば自爆テロでたくさんの人が死んでいますけどね。国内だって年間3万人の自殺者がいますし。なぜ殺人事件であれほど色めき立つのか、私にはやっぱり理解できない。あんなのはローカルニュースで扱えば十分だと思うけどなあ。

やっぱり共同体の外部を強調し内部の団結を強化するために、とんでもない奴がいる、凶悪事件が増えている、という共通認識を必要としているのでしょうか。そうやってキャーキャー言いながら盛り上がってるのが楽しいのか。正義感とかでは絶対ないんだろうと推測します。

人が殺されるということは、そりゃ痛ましいですよ。私だって何とも思わないわけじゃありません。だけど個々の事件の詳細はどうでもよくないですか、と。被害者の写真や実名まで出して何回も何回も同じような事を報じるのは、殺人事件を考える事ではなくただのエンターテイメントです。ある一定の時期が来ればそんな事件があった事も忘れ、次の事件に色めき立つわけでしょ。だから被害者への同情なんて申し訳程度、と言うんです。大体殺人の背景を考える時に被害者の子供の残した作文なんて関係がないでしょ。罪もない子供が殺された、というセンチメンタルに浸るのは結構ですが、そんな次の日には忘れているような薄っぺらい感情に浸っていても殺人事件は減りませんから。

だから私は個々の事件の詳細には関心がありませんが、客観的な数値に基づいた凶悪犯罪は本当に増えているかの検証や、単純な勧善懲悪的な世界から脱した上での原因解明には大いに関心があります。ニュースのやるべき事はその日あった事を報告する事ではなく、今起きている事をきっちり解釈をつけて報道する事です。事実を伝えるというのも大切な事ですが、そんなのはもっとコンパクトにまとめて、その上でじゃあその事実がなんなのか、というのを伝えていかないとバカみたいなんでね。誰々が自宅で死んでたとか、そんなのをフラッシュニュースで伝えても意味がない。

ついでに言うと日曜夕方5時半からの報道特集は好きです。私が求めているのはまさにああいう事です。サンデープロジェクトもそうですが地に足着いてる番組です。こういう番組の比率が上がればいいのに。

なんだかニュースとか報道という用語の使い方がいまひとつしっくりきてない感じもしますが、眠くなってきたのでもう寝ます。一応総括すると、事実を棒読みするだけがニュースじゃないぞ、という事が言いたかったのだと思います。その比率があまりにも高く感じたので。これでフォローできたかしら。ああもうダメだ、おやすみなさい。

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