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2008年3月 8日 (土)

太田総理ネタ

久々に太田総理からネタを得て書いてみたいと思います。

今日のマニフェストは「ネットを一日1時間までにします」。Byテリー伊藤。

…あんなにつまらない人だとは思ってなかった。私が何よりも嫌いなのは強制、管理。何かあると一方的に基準を決めてそれに従え、というやり方はとっても日本人的。大体あの人は自分だって人から色々言われてその通りにするなんてことはとてもしそうにないのに、人に対してはそういう規制をかけて従わせようとするのは矛盾している気がする。

私はここでネットの功罪について云々する気はない。それに関しては番組内で言っていたような、想像力の欠如、主体性の欠如などもその一端を表していると言えるし、もちろんそれ以外にも見ず知らずの人からの一言で救われたり、有益な情報を得たりという面があるのも事実です。というかいい面悪い面両方あるというのは何を対象にしても当然ある事でネットだけが飛びぬけて構造的な欠陥があるとか劇的な良薬であるなんて事はないと思うのです。だからネットのいい悪いはこの際置いといてあの番組でのテリー伊藤の態度ね、これを問題にしたいわけです。

そもそも日本人の主体性のなさ、想像力のなさは別にネットのせいじゃないでしょう。ネットを取り上げた所で馬鹿は馬鹿、突然半径5メートルの範囲からいきなり飛び出して主体的に動き出すなんて事が起こり得るはずがない。ウチの親父だってパソコンそんなに使いこなせないんですよ。日本人の気質的欠陥をネットに全て押し付けるのはおかしい。番組内でも言っていたように、同じくネットが普及しているアメリカではそのような主体性の欠如と言った問題は起きていないという。それならやっぱりこれは日本人の赤信号みんなで渡れば怖くない式の主体性のなさがネットによって噴出しているに過ぎないと解釈するのが自然で、それは当然ネットの使用時間の規制では解決できない。

それともう一つはああいう生き方の強制ね、私はああいうのが反吐が出そうなぐらい嫌い。私はテリー伊藤を不真面目で非日本人的な面白い人だと少しは思っていたのです。ここで言う不真面目とはもちろん褒め言葉です。でも太陽や星を見て想像力が云々とか引きこもりが悪いとか、お前らたるんでる式の話の持っていき方はただの日本人だ。ノスタルジジイと言ってもいいぐらい。色んな生き方がある。色んな考え方がある。それを認めようとせず自分の自論を振り回すだけの人は何を言っても魅力がないのです。

ネットのせいで想像力がなくなっている。全部ネットからのパクリで主体的に自分の頭でものを考えなくなっている。そう主張しながら自分の考えを上から押し付けるのは完全な矛盾じゃないだろうか。ネットは一日一時間にしましょう。はーい。お前ら主体性を持て。分かりました。…正直者の私は嘘つきです発言に比肩するパラドックス。

ネットは一日一時間と決められてその通りにする事が主体性のある人間のすることなのか。私のように個人の自発性、自律性に重きを置く人間としてはそんなものは愚の骨頂、主体性というのはあれしろこれしろっつって育てるものではないのです。自分で型を作りそれに人を当てはめていくというやり方は主体性の欠如を憂えているつもりでも結局は画一化を進行させる事にしかならない。

少なくとも私はネットは一日一時間だのなんだのと命令されたくない干渉されたくない。大体なにかっていうとルール、規制という考え方は学校的で気持ちが悪い。勝手に決めて人をそれに従わせてれば満足なのか。主体性主体性と言いながら自分からその芽を摘むような行動をとってるじゃないか。自分と違う生き方考え方を認めて始めて主体性を語る資格が生まれる。ネットをやると馬鹿になるというのはまあ確かに一側面ではあると思いますが逆に言えば一側面でしかない。本人も反発がくるのは分かってるんでしょうがああいう独裁者的なルールの設定の仕方は大嫌いです。

まあでも最近のブログは半径5メートルの事しか書いていないからつまらない、馬鹿になるというのは一理あるかもと思いました。時々検索かけて他の人のブログを覗いたりするんですが数行で今日これ食べました(写真付き)とか、他にも面白かったとかつまらなかったとか短文が目立つ。そんなんでいいなら私のブログの更新頻度だって…とか思う事もある。まあ私みたいにだらだら長ったらしく書いても誰も最後まで読んでくれないんでしょうけどね。どっちもどっちか。

最後に一つ言わせてもらえば私はやっぱり引きこもりに対するいわれのない批判は我慢ならない。外に出て人と触れ合う事が家で引きこもる事より大事だなんてのは一体誰が決めたんでしょう。内向的という言葉も悪い意味でばかり使われますが、外に出てくだらない人間と関わるより自分の内面と向き合う方が大切な事もある。外に出て人と話すのがいい事だという基準で全てを塗りつぶしてしまうのは人間の個性を潰すことで、それは結果として人を追い詰める事にもなる。

大体言ってしまえば一人でいられないのも孤独を必要以上に恐れるのも立派な病気なんで、なぜ人と関わるのが苦手な側だけが叩かれ矯正の対象となってしまうのか、これは絶対おかしい。じゃあお前携帯の電源切って1週間、1ヶ月と誰とも関わらずにいてみろよ、と。それもできないような奴が平気で「外に出たほうがいいよ」とか「人とのふれあいの大切さが」とかなんとか抜かしてる。それが現状です。私は一人でいる時間より人と関わってる時間の方が多くなったら間違いなく精神を病んで破滅する。そういう病気なのです。でも私は誰かに対して人と関わるな、一人でいろなんて命令した事はない。一度もです。なぜならそんなものはただの性格的な違いに過ぎずどちらが「正しいか」なんて事は究極的には誰にも判断できるはずがないからです。

そこら辺をわきまえず人とのふれあいが大事だなんてぬけぬけと抜かすような奴には私は用はない、よってテリー伊藤にも用はない。まったく幻滅しました。私の一人でいる自由を侵害するものは何人たりとも許さない。ネットを制限すれば引きこもりも治ってハッピー、なんてしょうもないストーリをゴールデンタイムで垂れ流されるのも不快だ。引きこもっててなにが悪い。大体ネットにしか救いを求められないような状況に追い込んだのは誰だよというそもそも論もあるし。踏み躙るだけ踏み躙っといてネットだけ規制して外に出てきなさいというのもほんと無茶苦茶よね。だったらその社会の受け皿のほうはどうなってんだ、と。異質なものを認める器の大きさは身に付いたのか。もうこうあるべき論を押し付ける事も迫害もやめる?そんなわけはない。社会の方は何も変わらないのです。変える必要があるとも思ってない。ただ全てをこちらの性格的問題に帰し傲然と座っているしか能がない。そんな奴らに批判される筋合いは本当にまったくこれっぽっちもない。

最後に一つとか言って長くなっちゃった。もうやめます。長く書きゃいいってもんじゃないよね。でも一応半径5メートルブログとは差別化を図りたいかな、という感じで。たまにはいいけどいつもいつも自分の衣食住で占められてるブログもどうかと思いますからね、やっぱり。お前はアイドルかという。誰も興味ねえだろうと思いますもん。ま、読まない自由があるわけですからあまりぐだぐだ言う気もないんですが。それでは長くなりました、この辺で。おやすみなさい。

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