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2008年4月 3日 (木)

右翼が騒ぐことは何もするなってか

映画「靖国 YASUKUNI」が上映中止に追いこまれた、なんて話が巷じゃ話題になっとりますけども。まあ普通に考えて問題ですよね。読売ですら「表現の自由を守れ」なんて言ってるんですから、今回の上映自粛が表現の自由に抵触するというのはある程度社会の共通認識なのでしょう。にもかかわらずなんでこんな腰砕けというかなんというか、当然守られるべきものがいとも簡単に軽視されるような状況になっているのか。

やっぱり日本人特有の「誰とも喧嘩したくないよう」気質が影響しているような気がします。角を立てずうやむやのうちに事を何とかしようという嫌な国民性が最悪の形で表に表れたのがこの体たらくではないかと。実際に嫌がらせがあった映画館もあるようだけど、そうでない映画館までもが「なんとなく危なそうだから」的な理由で自粛してしまうのは日本の映画人も相当重症ですね。映画というのは様々な価値観の提起、社会へのメッセージ性など、表現活動の最たるものと思われますが、それに関わる人間の気概やらなんやらはもうどこかに吹き飛んでしまったのでしょうか。

日教組の集会の時もそうでしたが、自由というものに対してどんどん感度が鈍くなってきてますよね。日本というのは画一化社会ですから、大多数の人間と同じことをやっていればとりあえずは表現の自由も集会結社の自由も保障される。そういうぬるま湯に浸かっていると現状で認められている自由やら権利やらの外に出る必要がなくなり、結果どんどんどんどん当たり障りのないもので世間は埋め尽くされていき、気がつけば人と違う意見がいえない、反論や抗議が来るものは何もできないという国になっていく。

表現の自由も集会結社の自由も、本来細心の注意を払って守っていかなければならないものなのに、「なんとなく」で自粛され押し潰され侵害され。周辺に迷惑がかかるから、というソフトな理由がまた癪に障るのよね。どうせだったらもっと政治的イデオロギーを前面に押し出したギラギラした理由で表現の自由を握りつぶしてくれればいいのに。上映を自粛した人間自体は右翼でもなんでもなくて、ただなんとなく方々からの圧力に屈してしまっただけ。

そんな話ってあります?言論の自由というものに対する危機感がなさ過ぎます。自分のすぐ傍まで言論統制が迫ってから気がついたって遅い。普段からの努力の積み重ねなんですよ、こういう権利関係はね。なんとなく、なんとなく流されてるうちに段々思想の魔女狩りが横行し始め、その内右翼が騒ぐ事は何も言えなくなる…。そんなことであっていいはずがない。表現の自由に対する妨害に断固として戦わなければ。周辺の迷惑なんて漠然とした理由でやっていい事じゃないんです、上映自粛なんて。

あったり前のことなんですけどね。こういう風に上映自粛となればみんながおかしいと言うし、表現の自由は大切だとなる。でもそれでも摩擦を避けたい事なかれ主義がなんとなくまかり通ってしまう。街宣車や嫌がらせぐらいで映画が一本止められてしまうのです。これは言うまでもなく相当な危機ですよね。これはやっぱりひとえに自由というものに対して日本社会全体が疎くなっているからではなかろうか…。

ああこんな当たり前の事を長々と書いてしまった。なんのひねりもない記事だ。日本では既に言論の自由などどこにも存在しないというシニシズム的見地に立てば私の言ってる事なんてちゃんちゃらおかしいんだろうな。実は更新頻度を上げようと普段はスルーしていたであろうこのネタで、頑張って書いているのです。靖国に対する知識もなければ右翼の主張の中身もよく知らない。そんな引き出し不足の状態ですが、最低でも5日に一度ぐらいは更新しようと決めたので書きました。言い訳終わり。記事も終わり。おやすみなさい。

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