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2008年7月18日 (金)

虚構を楽しむ

死刑について考える時、私はいつも何かしっくりこないというか、アンビバレントに陥る。それは私が普段は命が大切だなんて思ってないのに死刑の話になると人の命は大切だとか言い出すからです。

私は仮にもニヒリストという名前を名乗っていて一切の価値は虚構に過ぎないという立場を取っているわけです。そりゃあそこまで虚無主義を極めたわけではないですが、基本的には人が生きて息を吸ってる、それが群れをなしてるという事実がある以外は全て無効だと思ってます。そんな私があまり命が大切だとか連呼するのもどうかなと。

そんな事が言いたいために死刑に反対してるんでもないんだし。むしろ人の命の大切さなんてどうでもいい。私は人間の命がどれだけ無価値でもゴミ同然でも扱いに最低限の配慮ってのは必要だと思うの。私が死刑に反対するのは気持ちが悪いからです。国家権力とタチの悪い世論とが共謀して人を処刑するあの醜悪さが見るに耐えない。

私は善悪の観点からこんな事を言っているのではない。死刑廃止を訴える私と死刑存置を訴える他者と。別に何も変わらない。私の言ってることが正しくて向こうの言ってることが間違ってるなんて私は思ったことない。ただ私とは好みが合わないってだけ。全てはくだらない嗜好に過ぎないのです。死刑は私の口に合わないの。

何の正当性も必然性もないのに、ただ口に合わない気に入らないというだけでどれだけ騒げるかの勝負。究極のエゴイストになれるかの勝負。こうすべきだという道徳的、理論的裏付けはなく、嫌だからやめろという我だけでやっている。私はニヒリストであると同時にエゴイストであらなければならない。何の価値もないところからエゴを取ったら何もすることがなくなってしまう。

でもそれと同時に自分のしたい社会にするためには他人の支持を取り付けなければならない。ただ私が嫌だって言ってもじゃあやめるねって言うこと聞いてくれるわけもない。他人を巻き込むにはもっともらしく理屈を述べなければならないし、それが何らかの価値に規定されているかのように語らなければならない。単なるむき出しのエゴイズムじゃなんともならん。

私は人を説得するとか自分の考えに染めるなんて事は考えたことがなかった。人それぞれ色々な考えがあるし、なにより自分にそんな力があるなどとは思いもしない。でもそれじゃあいつまで経っても生きやすくならない。苦しいまま。嘘と分かっていても虚構と分かっていても何らかの価値を語り人を巻き込んでいく事がきっと大事で。宗教者ってのはそうやって人を騙してきたんだと思うし。石原も中曾根もそうやってエゴイズムを加工してるんだし。

だったら私も思ってもないことをなんて悩んでる場合じゃないよね?私は人間の命が大切だなんて思わない。でも目的達成のためならなんとでも言いましょう。死刑推進派よりも派手に華麗に壮大に、嘘を並べる。私は今悪魔に魂を売った。何度でも言える。人間の命は大切だ。それは何物にも変えがたい。

罪悪感なんてない。エゴイストはそんなことでくよくよしない。自分のしたいようにすることこれが唯一の目的。そのためにどのような価値を拾ってきてくっつけるかあるいは自ら捻り出すかが重要なの。そう言い切ってしまうと迷いがふっ切れて楽しくなってくる。人道主義者のようなことを言っても人権派のようなことを言っても心の中で「まあそんなこと本気で信じちゃいないけど」と笑っていればアンビバレントに悩む必要もない。私は自分にとって心地いいものを身にまといエゴイズムとニヒリズムを隠匿していればいい。

私にとって論理は借り物、あらゆる価値はその場限りのお付き合い。自分のしたいようにするための方便、虚構に過ぎない。

こうして人生の目的ができた。「あなたの夢はなんですか?」「究極のエゴイストとしてこの世の中を牛耳ることです」。素晴らしい。実に素晴らしい。もっともっと嘘のバリエーションを増やさなきゃ。私はそれに一生をかける。

最後に言っておくと私がこんな事をおおっぴらに書くのはおそらく最初で最後であろうと思われます。こんなことをいつもいつもぶっちゃけていては私の言っている事の信憑性が失われてしまう。私は真面目に人権を主張しなければならないのでもうこんな事は書きません。

今ふっと全てを台無しにする考えが頭をよぎったのですが、もしかして全ては

単なるいい人に陥らないための屁理屈なんじゃ

違う違う!そんなわけないでしょ!

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虚無的思考」カテゴリの記事

コメント

二律背反 面従腹背最近気に入ってる言葉です。意外に悪い感じがせず、しっくり来てます。

投稿: たくや | 2008年7月19日 (土) 01時51分

ほんとですか、これが受け入れられるとは。

これからは綺麗事も率先して述べていきたいと思います。

投稿: ニヒリスト | 2008年7月19日 (土) 17時47分

前記事ではありがとうございました。ジヘーメーソン団なるものがあるなら、私も末席に加えて頂きとうございます。
死刑制度ですかあ、私はあってもいいと思いますけどね。というか社会や制度の側からモノを言うことじたい、不適合者らしくないし。

宅間や加藤みたいな人達が「対世的報復圏自殺」もできなくなってしまいますしね。私も親に申し訳ないという気持ちがあるので今はやりませんが、親が死んだら彼らの後を追うかもしれません。

投稿: 宅間守 | 2008年7月19日 (土) 22時42分

シンパが抜けてた↑
神の御名を僭称するとは何事だろうか>私

投稿: 宅間守シンパ | 2008年7月19日 (土) 22時44分

宅間守シンパさんへ

本当ですか、よかったです。つきましては機関ブログの説明などメールでさせていただきますので問題なければサイドバーのメール送信から私にメールをいただけますか。


宅間守のような対世的自殺のために死刑を存続するより、宅間守のような人間が生きられる社会を作ったほうがよくないですか?

不適合者だからって社会の在り方や制度のあり方にノータッチで多数派に全権委任していては、不幸な人が増えるばかりです。社会も制度も多数派の専権事項ではありません。

加藤智大のような方法だけが全てなのでしょうか。彼はああするしかなかったと思う、でも私はそうするしかない状態に追い詰められる事のない社会に変えていくことを考えています。

私もそれに疲れたら人をぶっ殺すかもしれませんが、彼が復讐を成し遂げてあれで幸せだったとは思えません。私は彼に生きていて欲しいと思うのです。

投稿: ニヒリスト | 2008年7月20日 (日) 11時25分

>社会も制度も多数派の専権事項ではありません。

多数派だけが社会人じゃない!ってコトを分からせてやりましょう。

宅間守シンパ様、ジヘーメーソン団に歓迎いたします!

投稿: 初代総長ジョージ・リークツ | 2008年7月20日 (日) 15時40分

>初代総長ジョージ・リークツさん
ありがとうございます、よろしくお願いします!

投稿: 宅間守シンパ | 2008年7月21日 (月) 10時53分

メールのほう確かに拝領しました!>ニヒリストさま

投稿: 宅間守シンパ | 2008年7月21日 (月) 23時28分

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