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2008年11月28日 (金)

かもしれない人生

かもしれない運転ならぬ。

嫌われたかもしれない。

鬱陶しいと思われたかもしれない。

つまんない奴だと思われたかもしれない。

面倒臭いと思われたかもしれない。

嫌な奴だと思われたかもしれない。

否定されるかもしれない。

拒絶されるかもしれない。

笑われるかもしれない。

酷いことを言われるかもしれない。

私の言葉が誰かを傷つけたかもしれない。

言い方が悪かったかもしれない。

嫌な思いをさせたかもしれない。

説明が悪かったかもしれない。

かもしれない。こんな風に色々考えながら生きるのが「かもしれない人生」。相当疲れる。

他の人の何倍消耗してるんだろう。

時々嫌になって全部やめたくなる。運転で言うなら「そこの角から人が飛び出してくるかもしれないからもう車なんて乗らない」みたいなことです。どうせ嫌われるからもう人となんて関わらない、ってことですね、現実に直すと。

この性格は一生変わることはないでしょう。経験や時間の経過と共に多少なりとも緩和されることはあってもこの病気が治ることはない。永遠に。

私だって「かもしれない」から解放されて思ったことをそのまま言いたいし、相手の言葉をそのまま受け取りたい。でも微に入り細を穿つ執拗な被害妄想がそれを許さない。自然に人と関わるってどういうことか、私には分かりません。私にとっては人と関わること自体が不自然そのもの。

端から何も期待しない。端から何も求めない。諦めこそが楽になる道だってことになるのも仕方ないよね。

まあ変えようとか変わるべきだとかはあまり思わないので、つまらない自己啓発に耳を傾けるつもりもないし、積極的に何をしようとも思いませんが、被害妄想とうまいことつきあっていくというのは考えなくちゃダメだよね。

こういうのは自分で被害妄想を抑えようとすると余計に悪化するんです。とりあえず客観的な事実で被害妄想を否定できる部分と、ここはもう被害妄想にどっぷり浸かっちゃおうという部分と、両方大事にしなきゃなりません。被害妄想も個性だから。

で、その客観的な事実で被害妄想を否定できる部分が増えることが成長ってことだと思うんだな。これでも何年か前から比べると随分マシになってきてるんです、私の被害妄想も。これは私が嫌われてるわけじゃないんだな、と判断できる機会が増えた。

だから自分の性格は変えようとするんじゃなくてうまいこと折り合いをつけていかなきゃならないんだというお話です。説教かよ!

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2008年11月24日 (月)

トロッコ問題

教育白書についての記事を書いてから他の人の感想とかブログもちょいちょい覗くんですが、トロッコ問題について真正面から答えない人間が多いのに驚きました。

この問いは生命倫理を問うことを目的に作られてるわけです。誰かを救うために誰かを犠牲にする事はいいことか?という事を考えるためにこの問いは存在する。できる事なら両方死なせずに何とかしたいというのは誰もが思うところなのでしょうが、そんなことを言ってたらこの問いの主眼である倫理の問題に話が発展していかない。

両方助ける事は絶対にできないという前提が重要な意味を成してるという事が理解できないんでしょうか?それもよっぽど軽妙洒脱な答えを考え出して両方を救ったならまだいい。大声を出すだの切り替えスイッチを真ん中にしてトロッコを止めるだの…実につまらない。そんな答えに何の価値があるのか理解に苦しみます。

どっちかは死ぬって言ってるんだからその範囲内で答えを考えろよ!お前はそんなに人を救いたいのか?甘ったれてるよね。現実には億単位の人間を見殺しにして生きてるくせに、自分の意識の及ぶ範囲では仮定ですら人が殺せない。自分に人が救えると思い込んでるみたい。できもしないくせに。

私がそういう中途半端な答えに腹が立つのは、そういう答え方をする奴が総じて自らの加害性に鈍感だからです。先進国に生まれて生きてればそれだけで途上国の人達に何らかの犠牲を強いている事になるし、他にも他人に犠牲を強いているケースなんていくらでもある。

自分が誰も傷つけず、誰も犠牲にせずに生きてる。そういう思い上がりが「私は全員を助ける」なんて甘ちゃんな答えを生むんです。人間なんて普段から誰かを踏みつけて押しのけて生きてるんだから、こういう質問にだって淡々と答えなきゃなりません、本来は。

私は一人ひとりの命の重さを尊重するために5人を見殺しにします。トロッコが5人のいる方へ突っ込んでいくのは最初から決まっていたこと。私がそうしたわけじゃない。私は殺人はしないし、5人より1人の方がなんて下衆な考えもしません。スイッチは切り替えずに5人を救うためにちょっとだけ頑張って「やれることはやったんだ」と自分を納得させて5人が死んだ後ものうのうと生き延びます。これが私の答え。

みんな綺麗事が好きよね。全員を救うといえばそれは聞こえはいいけど、そんなんじゃ人間の本性に全然迫れない。そんな上辺を取り繕ったようなことばっかやってて楽しいのかな?自分の倫理観のために何を犠牲にするのかを冷徹に分析するという姿勢が欠けてる。

「そんなの選べな~い」とか言われるとぶん殴りたくなるんですよね。ぶってんじゃねえよ!と。人間ってもっと残酷な生き物だと思うんだけどね。みんな人が好すぎるのかなあ。いや何も考えてないだけか。

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2008年11月23日 (日)

たけしの日本教育白書

リアルタイムで見ながら感想を書いてみます。

トロッコ問題。難しいけど私だったら「何もしない」を選びますね。人間を頭数で考えるようになったら人権もへったくれもなくなる。多数を救うためなら少数の犠牲は仕方ない。スイッチを切り替えることはそういう考え方を助長させる選択です。5人が助かれば1人はどうなってもいい?

トロッコが向かってきてるのは変えようがない。どのみち誰かは死ぬ。でもスイッチを切り替えるという人為を加えればそれはその1人に対しての殺人になる。人の命は数では図れない。1人より5人の方が大切と勝手に判断し手を加える事自体が命の軽視に他ならない。だから私は何もしない。


通り魔事件とか。常識人がこの手の事件について語っても何もならない。特に加藤智大の事を生半可な認識で語ろうものなら私が許さない。常識に塗れた議論。常識に塗れた冗長な説教。そういうものをブチ破らなきゃ殺人者予備軍なんて救えないよ。

石原良純。こんな奴に何が分かるのか。キャスティングがおかしいよね。岡山県突き落し事件か。これは確か父親の事が好きだったのに「仕事をしろ」と言われて突き放されたような気がして事件に及んだ、という話だったと思う。痛々しいなあ。いじめの時に守ってくれたり、一見いい親に見えなくもないけど、俗世間的常識より自分の息子を優先させるというところまではいかなかったのね。

身の丈に合わない大学を目指したのだって、父親に認められたいという一心だったと思う。いつまでも等身大の自分を受け入れられないわけだから、永遠に背伸びし続けるしかない。でもその背伸びも否定されてヤケになった。

結局一人の人間として息子を認めてこなかったんだよね、あの父親は。いつまでも弱い存在として、守ってやらなくきゃ何もできない人間として扱った。それだと父親への依存心は高まっても、精神的自立がいつまで経っても訪れない。守る事は大切だけど、一人の対等な人間として認めた上じゃないと、自尊心までも根こそぎ奪っちゃう。こういう事件は辛い。切ない。


夕飯の時、父親にだけ刺身をつけたらどうなるかという実験。くだらない家族ストーリーを見せやがって。人と人とが対等な関係を築くという簡単な事がなぜできない?男が偉いとか親が偉いとかどうかしてる。ただ子を持ったというだけで、男に生まれたという事だけで他人より一段上にいるなんて理不尽な事実をなぜ受け入れられる?

思考停止的な上下関係を叩き込めば人は馬鹿になる。上には卑屈な笑みを浮かべ、下には醜い支配を行う。上だ下だ権威だという醜悪なものは断じて再生産させてはならない。汚らしい手垢に塗れた理屈の通らない上下関係など直ちに粉砕すべきだ。


次は夢。「夢を持て」という言葉はくだらないよね。そんなものなくたって生きていけるし、いつまでも夢を追いかけて真面目に働いてなかったりすると、それはそれで文句を言われるわけだしね。結局働いてそれなりの賃金を得て税金を納めるという規定路線の範囲内で夢を見ろって事でしょ。ふざけろと。夢ってのは身を持ち崩すぐらいの凄絶なものじゃないと綺麗じゃない。結局それを食い扶持にする事がゴールというのも面白くないしね。

夢を持てなんて本来は生半可な気持ちで言えることじゃないんですよ。それに生業として成功させる事だけが夢じゃないでしょ。一生働かないというのも夢だし。一生家から出ないというのも夢だし。

そうやって職業としての成功を夢として強制するから息が詰まる。若者は苦しむ。やりたい事を仕事にするって誰にでもできることじゃないよ。難易度の高いことをできて当然のように流布するのはよくない。仕事は仕事と割り切って考えるってことも教えていかないと。


学校の教育制度をどういじくりまわすかという話には興味がない。学校をどう潰すかという話なら聞くけど。教育委員会なんてどうだっていい。

採決禁止はおかしいね。校長の発言の機会がないからって採決の方を封じちゃうってのは無理があるだろ。そうでもしなきゃ発言もできないような奴を制度で支えてまで封建的なヒエラルキーを維持したいの?馬鹿なんじゃない。石原都政の汚点ここに極まれりって感じ?

学校を運営していくのに校長の権力が必要?校長が有無を言わさず決定を下すことが必要なの?みんなで話し合って創りあげていくに適した場所なんじゃないの、学校って。

なんちゃって、腐った学校には腐った制度がお似合いだからこれでいいのか。校則だ制服だとつまらない決め事で生徒をがんじがらめにしてる「教育」とやらの帰結が採決禁止ってユーモアとしては笑えるよ。生徒を管理するしか能がない教師が上から管理されて採決も取れないなんて皮肉だわ。教師に「採決禁止はおかしい」なんて言える資格のある奴がいるかが問題だよね。学校教育という腐った枠組みの中なら採決禁止も映えるよ。


石原登場。親玉だな。人と人との関係を権力を介してしか捉えられない可哀想な人種。こういう人にとっては「対等な関係」など存在しないのでしょうね。年齢、性別、肩書き、国籍、人種…。あらゆる選別が瞬時に行われ、汚らしい目で蔑んだり見上げたり。従わせるか従うかという殺伐とした世界観。

「個性、感性が大事。人間自由なんだ」。いいこと言ってるのに、やってることは権力による支配。国旗掲揚、国歌斉唱を強制しといて「個性が大事」って矛盾だらけじゃん。感性を潰すことばっかりやってるくせに何を言ってるの?


三知事対談。力で押さえつける教育はもう持たない。体罰容認の空気がガンガンに漂ってますが…。少しでも暴力を解禁すれば今旗色の悪い「子供には強制が必要」派が盛り返してくる。適度な体罰なんて学校の中まで入り込んでちゃんと監視できるの?責任持てるの?そんな力を用いなければ教育もできないようじゃ話にならない。

力に対する耐性は誰でも持ってるわけじゃないし、誰もが持たなきゃならないものでもない。自分がそういう暴力に晒されて育ったからといって他人にもそういう環境で育つ事を強制するなんてなんたる狭量な価値観だろう。力による教育でうまく育つ人もいるだろう。でもそうやって育った人には弱い人を思いやる能力などない。強くあるという事は弱さの否定に直結するからです。

終わった。280分。たらたら思ったことを書いてみましたが。見てなかった人には伝わりづらいでしょうが、まあ雰囲気だけでも楽しんでください。

総論としては普通。目新しいことは特にない。本当に今現場で苦しんでいる若者に対して共感能力のある人間が一人も居なかったことが教育を語るというのに問題だし、学校だの家庭だのに原因を求めるばかりで肝心の社会という視点が欠落していたのも問題。

教育は家や学校だけで行われるのではない。人を育てるのは社会です。私達一人ひとりが構成している社会。何かあると特定の家庭や学校に責任を押し付けて自分は大丈夫、自分は関係ないと安心する。そういう他人事のような考え方を改めて自分の問題として考える意識を持たないと、状況はよくならないと思います。

今回のテーマは「変わらなきゃ」。私のメッセージは「社会の復権」ですね。当事者意識を持て、日本人。

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2008年11月18日 (火)

ぶっ壊れるパソコン

20081117002_4 ハードディスクというか本体はたぶん大丈夫なんだけど、ご覧の通りディスプレイが破損してしまったようです。

この程度だったら修理に出したら直るのかな?でもこういう時に障壁になるのが電話。私は電話が大嫌い。
          
なんでもかんでも電話電話電話…。「お気軽にお電話ください」という定型文が腹立たしい。

気軽な電話なんてない。私には。

もうこの際買い替えようかとも思うんですが、この時期だったら年末まで待った方が安いしね。

ブログ以外はパソコンが使えなくてもそこまで困らないので、行動力のなさを発揮してこのままほったらかしとこうと思います。

というわけで、コメントのチェックや記事の投稿が携帯からしかできなくなるので、レスの遅滞や記事の質低下はご了承ください。

しかも携帯の方は買い替えてから調子に乗って時事通信社のニュースを見まくったため、無料通信分をゆうに超過しており、あまり使えません。

まあ金を払うのは親父なんだから気にする必要もないんだけど、携帯なんかで金使うのも馬鹿らしい。

まあそんな事情で無料通信分の許す範囲でしかブログに関われません。

それにしてもまどろっこしい機械だね、携帯は。文章を考えるにも時間ばっかり掛かってちっとも進まない。

画面が小さいから自分の書いた文の全容を把握するにも一苦労だし…。向いてないかなあ、やっぱ。

しばらくはこんな感じです。でも文字を打つのが少しは速くなってきました。

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2008年11月15日 (土)

定額給付金

所得制限をするだのしないだのごちゃごちゃした挙句、後は地方で決めてくださいってそりゃないだろ。誰にどれだけのお金を配るのかなんて制度の根幹に関わる話でしょ?しかもいつ実施されるかも分からないなんて…もう滅茶苦茶。経済を刺激するとか、弱者救済とか目的自体もぐらいついてるし、要はそんなの全部後付けで、金が配りたいだけなんでしょ、選挙前に。

国民の血税がそんな票買いに使われるなんて…。でもただ金を配るだけの事であれだけ迷走するってのもみっともないというか馬鹿というか。とりあえず経済効果はあると言い張って全員に配っちゃえばもっと印象もよかったろうに。高額所得者には辞退を促すなんて与謝野や小沢の言うとおり制度じゃないよね。他人任せ、地方任せの無責任政治。金を配るという事だけが先に決まっていて、後は決めるべき事をな~んにも決めないで「地方分権」なんて聞いて呆れる。

即効性がどうとかいって法律の要らない、事務手続きも煩雑でないとされる全世帯給付にしたわりには実施が来春以降というのも鈍くさいよね、やることが。こんなんじゃ「選挙効果」も見込めないとか最初から選挙目当てだったことを正直に言っちゃう奴まで出てくるし。

たった一回の1万2千円じゃ生活なんてよくならないんじゃないか。規制緩和、弱肉強食の新自由主義改革の方向性を改める事こそがセーフティーネットを復活させる道なのであり、社会保障費を年間2200億円削るのをやめるとか、派遣を製造業にまで拡大したのを戻すとか、そういう方針転換がなされないのでは給付金なんてまやかしに過ぎない。

選挙前の自民党ってのはこうも節操がないのね。世論やマスコミに言われるがままコロコロコロコロ言うこと変えてさ、後期高齢者医療制度だってそうですよ。あれだけ正しいと言い張ってた制度なのに、外添がフライングで「年齢区分の撤廃」とか言っちゃって、他の奴が「制度の見直しではない」とかフォローに駆けずり回る有様。政治家の発言の重さってのは一体どうなってるんだ。選挙前のご機嫌とりで右顧左眄してるようじゃ政権政党としての資質を問われるよ、本当に。

したり顔で野党に「話し合い」だの「政局にしない」だの言い出すのもやめてもらいたい。都合が悪くなったら話し合い話し合いってさ、強行採決を連発してきたのはどっちだよ!野党の指摘に対して強弁してきたのは誰?まずは自分達が間違ってました、すみませんでした、から始めるのが筋でしょ?

なにかっていうと話し合いをすっ飛ばして衆院の三分の二の再議決ばっかり気にするし、衆参両方持ってたときの尊大さがちっとも改まってない。いい加減政権の座から引きずり下ろしたいよね。小泉もいなくなって自民逆風と言われてる今だし、解散が延びれば私の選挙権も間に合うし。

打倒自民を胸に今日も勉学に励みます。

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2008年11月12日 (水)

携帯更新の盲点

忘れたわけじゃありません。携帯から更新しようって思ってたんです。

でもよく考えてみたら私にとっては不利な条件のオンパレード。

まず外で更新しようと思った場合、人の目が凄く気になる。覗かれてたらと思うと恥ずかしくてとても文章なんて考えられやしない。

よくみんな普通に電車の中とかでメールなんてできるよね。私にとって自分の書いてる文章なんて恥そのものであり、公衆の面前でそんな…もはや羞恥プレーに近い。
     
だから周りに人がいる時はだめだし、しかも私は用事もないのに外をぶらぶらするなんて白痴のようなことはしないタチなので、周りに誰もいない状態で且つ携帯からブログを更新するような状況は滅多にない。

外にいる時は常に目的に向かって動いてるし、止まっていても、電車の中も図書館もバイトの休憩時間も誰かに見られる危険性は拭えない。

で、家にいるなら当然パソコンから更新するしね。写真を撮るったってやっぱりなんの意味もなく外をぶらぶらするという白痴的要素が必要だし。

だから要するに携帯から更新するには白痴にならなきゃならないということに気付いたんです。

どうしようかなあ、白痴になって公園とかをぶらつくべきかなあ。

携帯更新、前途多難である。次回に続く。

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2008年11月 4日 (火)

戯れ言

人間には誰にも理解されない部分ってのが必要だと思う。何でもかんでも「分かる~」と言われてしまったら私とその人が違う人間である意味なんてなくなってしまうわけで。ふと一人になった時に他の誰にも侵食されてない「私」というものがなければ私は破滅する。

それは素とかつくってるとかいうのとはまったく次元の違う、もっと根源的な話。人間には孤独ってもんが必要で、全部さらけ出して「私を分かって」なんてのは幼稚な依存心に過ぎない。人間と人間が理解し合うなんて事はありえないわけだから、その誰にも理解されない部分を抱えたまま、一人で生きていくのが「正しい生き方」ってやつです。

だから共感や同調なんてのはオナニーに過ぎない。今の自分の気持ちとあの人の気持ちはきっと同じであろうという決め付け、思い込み、断罪。そんなものは邪道だ。そんなことをしてなんになる?その安い心根によって同じでないものが同じにされ、崇高なものは他人の手垢に塗れた塵に成り下がる。だから私は「共感」なんて軽々しくしてはならないことを知っている。それは相手の深奥を穢し傷つけることになるからだ。

そのように考えれば理解者がいないという事はむしろ幸せなこと。誰にも陵辱されず純潔を保っているということだもの。理解されるってことは犯されるって事です。大切な何かを。逆に理解するってことは犯すことだし。

分かられるって幸せなことなんだろうか。私も時々理解者が欲しいなんて思ったりすることもあるけど、本当の心の奥底は誰にも触れられたくない、理解されたくない、と思う。私のことは私が一番分かってなきゃならない。知った顔をさせるのはいい、でも本当に全てが分かられてしまったら、私は孤独を失うことになる。生きていく上で欠かせないクスリを失うことになるのである。永遠に。

クスリを取り上げられたら、そこにあるのは安らぎか禁断症状か。それは私が凡人か狂人かに懸かってる。でも今ここで自ら判断を下すのは危険だろう。狂人でありたいと願うのもおかしな話だ。というかそう願ってる時点で凡人の可能性が高い。たぶん本当の狂人は凡人になりたいはず。普通に憧れるはず。だってそんな生き方苦しいに決まってるんだから。私は人並みに誰かに理解されて安らぎの中で死ぬのか?

拒絶反応と、それはそれで受け入れてしまいそうな凡庸さと。どうなるかなあ、今後。

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2008年11月 3日 (月)

労働なんて

最近バイトがしんどい。これは前回の記事で書いた新しい人のせいです。

その人がいる日は楽しくなった。前より飛躍的にね。でもそれってのは裏を返せばいない日がつまらなくなるって事なの。改めて今まで遮断して感じないようにしてきた「普通のやつばっか」という事実が100%開かれてしまった感覚にモロに入ってくるわけです。相手の欠点ばかりが目に付く。下品な笑い声。雑な動作。そうだ、私こいつらとは何一つ反りが合わないんだった。もう忘れてたよ、当たり前の事になりすぎてて。

その人がいない日は行っても意味ない、とかまで思ってる自分がいる。…意味?そんなもの最初からなかったのに。あんたは1年弱もその「意味ない」労働を続けてきたんだろ?ちょっとの収入と精神的苦痛の見合いと惰性でだらだら働いてきただけじゃないか。何を今更意味なんて求めているのだ。

まだその人が面白い人だと決まったわけでもないのにストレスばっか増幅されて。休憩時間も皆様とご一緒できなくなった。過敏になった神経が多数派を受け付けないのです。

改めて考えてみると「何でバイトしてたんだろ?」と思えてきた。そりゃあ怒られたり陰険に注意されたりしないだけでもかなり恵まれてる職場環境だとは思うけどさ。金に困ってるわけでもない。自分で働いて稼いだお金に喜びを見出せるわけでもない。むしろ労働なんてみっともないだけという気持ちすらある。この国の神格化された「労働」ってのはいかほどのもんなの?私にとっては「だから何」としか思えない。…何で働けてたんだ?

それでも最初は自分で稼いだお金にちょっと拘って、給料日にはちゃんと記帳に行ったし、そこから金を引き出して映画見たり本買ったり…。でもすぐにどうでもよくなった。母親の金だろうと私の金だろうと大した話じゃない。記帳は一週間遅れ、二週間遅れ…もう2ヶ月以上してない。飽きるのが早いなあ。もう少し「俺の稼いだ金だ」ごっこで楽しんでてもよかったのに。いい年こいてもまだごっこ遊びが抜け切らなくて「誰のおかげで飯食えてんだ」とか言ってる人もいるのにねえ。私の人生はやっぱり楽しみが少ないわ。

所詮は親の金で食ってる身、金を稼ぐことに対するインセンティブなんて希薄である。物欲ないし。というか私はむしろ金なんて嫌いだ。最低限の衣食住を維持するのに金が必要というから、仕方なく金を求めてるだけで、「金」という物体は好きじゃないよね。私の望みは衣食住であって金じゃない。となれば衣食住満ち足りてる中での微々たる収入になんか魅力を感じるわけがない。まあ将来の衣食住の足しになるという意味では多少の魅力はあるけど。

金にも労働にも価値が見出せないのに1年弱もどうして働いて来れたのかまったく謎。それも無遅刻、無欠勤、早退無しで。まっじめ~。まあ単純に辞める理由がなかったってだけの話だろうけど。辞めるといったってまずは上の人に言いにいって周りの人にもちゃんと伝えて…重労働。ある意味週四日通うより嫌だ。そういう理由です。

でもそんな私にも職場に通うことに対する強力なインセンティブが登場したのです。素晴らしい事です。今のところかなりいい線ってますよ。おばさんの「朝起きれる?」という質問に対して「むしろ寝てないんで」という回答!まあ夜型!募集の謳い文句である「早起きは三文の徳、健康にもいい」なんて戯言には耳を貸さない方針ね。休憩時間中に「あっちに座ったら」という誘いを曖昧な笑顔で誤魔化したのも好印象。私も最初はそうやってやり過ごしてたっけ。ある程度長くいると加われないのではなく加わらないのだという事が分かってもらえて少しは楽になるんだけどね。

ふー、でも話しかけなりなんだりは性格上ひっじょうにハードルが高いので、もうしばらくは観察に徹する感じで。楽しいですよ、すっごく。見どころのありそうな人が一人いるだけで全然違う。ま、問題はいない日、なんだけど。0がずっと0なのは当然のこととして受け入れられますが、1が0になるのはとっても不愉快。吐き気がする。

まあそんなわがままも言ってられないからちゃんと真面目に働くけどね。子供みたいなこと言ってられないし。

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