« 労働なんて | トップページ | 携帯更新の盲点 »

2008年11月 4日 (火)

戯れ言

人間には誰にも理解されない部分ってのが必要だと思う。何でもかんでも「分かる~」と言われてしまったら私とその人が違う人間である意味なんてなくなってしまうわけで。ふと一人になった時に他の誰にも侵食されてない「私」というものがなければ私は破滅する。

それは素とかつくってるとかいうのとはまったく次元の違う、もっと根源的な話。人間には孤独ってもんが必要で、全部さらけ出して「私を分かって」なんてのは幼稚な依存心に過ぎない。人間と人間が理解し合うなんて事はありえないわけだから、その誰にも理解されない部分を抱えたまま、一人で生きていくのが「正しい生き方」ってやつです。

だから共感や同調なんてのはオナニーに過ぎない。今の自分の気持ちとあの人の気持ちはきっと同じであろうという決め付け、思い込み、断罪。そんなものは邪道だ。そんなことをしてなんになる?その安い心根によって同じでないものが同じにされ、崇高なものは他人の手垢に塗れた塵に成り下がる。だから私は「共感」なんて軽々しくしてはならないことを知っている。それは相手の深奥を穢し傷つけることになるからだ。

そのように考えれば理解者がいないという事はむしろ幸せなこと。誰にも陵辱されず純潔を保っているということだもの。理解されるってことは犯されるって事です。大切な何かを。逆に理解するってことは犯すことだし。

分かられるって幸せなことなんだろうか。私も時々理解者が欲しいなんて思ったりすることもあるけど、本当の心の奥底は誰にも触れられたくない、理解されたくない、と思う。私のことは私が一番分かってなきゃならない。知った顔をさせるのはいい、でも本当に全てが分かられてしまったら、私は孤独を失うことになる。生きていく上で欠かせないクスリを失うことになるのである。永遠に。

クスリを取り上げられたら、そこにあるのは安らぎか禁断症状か。それは私が凡人か狂人かに懸かってる。でも今ここで自ら判断を下すのは危険だろう。狂人でありたいと願うのもおかしな話だ。というかそう願ってる時点で凡人の可能性が高い。たぶん本当の狂人は凡人になりたいはず。普通に憧れるはず。だってそんな生き方苦しいに決まってるんだから。私は人並みに誰かに理解されて安らぎの中で死ぬのか?

拒絶反応と、それはそれで受け入れてしまいそうな凡庸さと。どうなるかなあ、今後。

|

« 労働なんて | トップページ | 携帯更新の盲点 »

思想」カテゴリの記事

コメント

自分のことを分かって欲しいけど、オナニーしてるところまで覗かれたくはない…という心理ですかね?
私の場合は他人に理解されたいと言うより、理解できない他人と仲間になりたいのです。

みんなに問う。 なぜわざわざ排斥し合うのか?

投稿: オールドニック | 2008年11月 4日 (火) 21時36分


ニヒリストさんは
自分のことを「わかって欲しい」とは思ってないんじゃない?

投稿: ブローカ | 2008年11月 4日 (火) 22時42分

そうですねえ、オナニーを覗かれたくないというのは近いかも。自分一人で処理できる部分が残されてなかったら窒息しそうです。

>私の場合は他人に理解されたいと言うより、理解できない他人と仲間になりたいのです。

理解できないものとは関わりたくないという人が多い現状では難しいですね。かく言う私もオールドニックさんより排他的な面がありますし。

多数派は同じ者と話したがるから、こっちとしては違う者と話す機会が減ってしまうんですよね。向こうにもう少しでも理性があればいいのに。

投稿: ニヒリスト | 2008年11月 4日 (火) 23時40分

ブローカさんへ

確かに分かってほしいは主眼じゃないっていうか、そういうつもりでこの記事書いてないんですが、私も案外俗っぽいところがあるから、それはそれで納得してしまいました。

難しいところなのです。孤独を必要とする自分と理解者を受け入れてしまいそうな自分と。

ああ気持ち悪いこと言っちゃった。

投稿: ニヒリスト | 2008年11月 4日 (火) 23時47分

私も、軽々しく「分かる~」とか言われるの苦手です。
私の場合、理解者は必要だけど、
それは、ごくわずかで充分だと思うのです。

私の場合、孤独も必要だけど
境界線を守ってくれる理解者なら有りなんだよなぁ。

投稿: ブローカ | 2008年11月 5日 (水) 09時30分

>境界線を守ってくれる理解者なら有りなんだよなぁ。

難しい悩みですよねえ。

私の場合は人にあれこれ条件を突きつけるのは苦手だし、そんな身分でもないと思ってるので、端から一人を受容するという選択をすることが多いですね。

よほどの相手でなければ人と関わることなんて煩わしいことの方が多い、というのが今まで生きてきた中での実感です。

本質的に誰かと一緒にいるということに向いてないんだと思います。

投稿: ニヒリスト | 2008年11月 5日 (水) 10時29分

一番やっかいなのは,理解者のふりして,巧妙に多数派(自分?)の考えに丸め込もうとする普通人(他人)。

その策略に気付いてしまうと,たまに「だれも分かってくれない」なんて思ってしまう自分が,愚かだと思う。

「1人が楽だ」,「でもやっぱり寂しい」,なんて狭間で悩んでしまうのは,自分以外の人間が存在するせいだと思う。

はじめから自分以外の人間がいなかったら,一生死ぬまで「1人が当然だ」と思いつづけたままで,精神的に健全に生きれたと思う。

投稿: おまきん | 2008年11月 6日 (木) 13時58分

>理解者のふりして,巧妙に多数派(自分?)の考えに丸め込もうとする普通人

えーそんな悪質な人間がいるんですか。排斥だけならいざ知らず洗脳まで試みてくるとは…。

>はじめから自分以外の人間がいなかったら,一生死ぬまで「1人が当然だ」と思いつづけたままで,精神的に健全に生きれたと思う。

達観ですね。確かに他者との関係に悩むなんて不健全です。他人なんて目に入るから欲しくなっちゃうんですよね。

やっぱり他人が存在する限りこの煩わしさからは開放されないのでしょうか。

投稿: ニヒリスト | 2008年11月 6日 (木) 22時15分

>えーそんな悪質な人間がいるんですか。排斥だけならいざ知らず>洗脳まで試みてくるとは…。

います。僕は精神障害者だから,デイケアにかよっています。そこのスタッフ(健常者)に相談することもあるんですが,話してると,「そんなに変に見えない」とか,「普通だよ」とかいって,僕を多数派と同じ“普通人”だと思い込ませようとするのです。しかも,うやむやというか,やんわりとした口調なんで,巧妙です。
メディアも常にそんな感じだと思います。
基本的に,多数派の普通人はみんな誰かを洗脳したいと心のどこかで思っているはずです。

>やっぱり他人が存在する限りこの煩わしさからは開放されないの>でしょうか。
この点では,加藤智大が思ったこと,やったことは正しいとも思います。

投稿: おまきん | 2008年11月 7日 (金) 12時08分

あー、なるほど、そういう施設は「普通」に寄せて社会に適応させるのが第一義みたいな所が多そう。生暖かい優しさは罪ですね。気がついたらその人に言われるがまま普通を目指してたりしそうだし。

別に普通じゃなくたっていいのにね。デイケアとかってそういう安心感が得られるようにすべきと思うんですが、現状はやっぱり世間の延長みたいなことなんですね。「普通だよ」って言われてもね…。

>この点では,加藤智大が思ったこと,やったことは正しいとも思います。

彼は煩わしさが苦しみや怒りにどんどん発展して、ああいう凶行に及んだのでしょうね。そういう苦しみに鈍感な世間がこの事件を誘発したともいえるわけで、月並みな批判だけじゃどうにもならないってことに多数派にはさっさと気がついてもらいたいです。

投稿: ニヒリスト | 2008年11月 7日 (金) 13時46分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/191322/43010898

この記事へのトラックバック一覧です: 戯れ言:

« 労働なんて | トップページ | 携帯更新の盲点 »