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2008年11月23日 (日)

たけしの日本教育白書

リアルタイムで見ながら感想を書いてみます。

トロッコ問題。難しいけど私だったら「何もしない」を選びますね。人間を頭数で考えるようになったら人権もへったくれもなくなる。多数を救うためなら少数の犠牲は仕方ない。スイッチを切り替えることはそういう考え方を助長させる選択です。5人が助かれば1人はどうなってもいい?

トロッコが向かってきてるのは変えようがない。どのみち誰かは死ぬ。でもスイッチを切り替えるという人為を加えればそれはその1人に対しての殺人になる。人の命は数では図れない。1人より5人の方が大切と勝手に判断し手を加える事自体が命の軽視に他ならない。だから私は何もしない。


通り魔事件とか。常識人がこの手の事件について語っても何もならない。特に加藤智大の事を生半可な認識で語ろうものなら私が許さない。常識に塗れた議論。常識に塗れた冗長な説教。そういうものをブチ破らなきゃ殺人者予備軍なんて救えないよ。

石原良純。こんな奴に何が分かるのか。キャスティングがおかしいよね。岡山県突き落し事件か。これは確か父親の事が好きだったのに「仕事をしろ」と言われて突き放されたような気がして事件に及んだ、という話だったと思う。痛々しいなあ。いじめの時に守ってくれたり、一見いい親に見えなくもないけど、俗世間的常識より自分の息子を優先させるというところまではいかなかったのね。

身の丈に合わない大学を目指したのだって、父親に認められたいという一心だったと思う。いつまでも等身大の自分を受け入れられないわけだから、永遠に背伸びし続けるしかない。でもその背伸びも否定されてヤケになった。

結局一人の人間として息子を認めてこなかったんだよね、あの父親は。いつまでも弱い存在として、守ってやらなくきゃ何もできない人間として扱った。それだと父親への依存心は高まっても、精神的自立がいつまで経っても訪れない。守る事は大切だけど、一人の対等な人間として認めた上じゃないと、自尊心までも根こそぎ奪っちゃう。こういう事件は辛い。切ない。


夕飯の時、父親にだけ刺身をつけたらどうなるかという実験。くだらない家族ストーリーを見せやがって。人と人とが対等な関係を築くという簡単な事がなぜできない?男が偉いとか親が偉いとかどうかしてる。ただ子を持ったというだけで、男に生まれたという事だけで他人より一段上にいるなんて理不尽な事実をなぜ受け入れられる?

思考停止的な上下関係を叩き込めば人は馬鹿になる。上には卑屈な笑みを浮かべ、下には醜い支配を行う。上だ下だ権威だという醜悪なものは断じて再生産させてはならない。汚らしい手垢に塗れた理屈の通らない上下関係など直ちに粉砕すべきだ。


次は夢。「夢を持て」という言葉はくだらないよね。そんなものなくたって生きていけるし、いつまでも夢を追いかけて真面目に働いてなかったりすると、それはそれで文句を言われるわけだしね。結局働いてそれなりの賃金を得て税金を納めるという規定路線の範囲内で夢を見ろって事でしょ。ふざけろと。夢ってのは身を持ち崩すぐらいの凄絶なものじゃないと綺麗じゃない。結局それを食い扶持にする事がゴールというのも面白くないしね。

夢を持てなんて本来は生半可な気持ちで言えることじゃないんですよ。それに生業として成功させる事だけが夢じゃないでしょ。一生働かないというのも夢だし。一生家から出ないというのも夢だし。

そうやって職業としての成功を夢として強制するから息が詰まる。若者は苦しむ。やりたい事を仕事にするって誰にでもできることじゃないよ。難易度の高いことをできて当然のように流布するのはよくない。仕事は仕事と割り切って考えるってことも教えていかないと。


学校の教育制度をどういじくりまわすかという話には興味がない。学校をどう潰すかという話なら聞くけど。教育委員会なんてどうだっていい。

採決禁止はおかしいね。校長の発言の機会がないからって採決の方を封じちゃうってのは無理があるだろ。そうでもしなきゃ発言もできないような奴を制度で支えてまで封建的なヒエラルキーを維持したいの?馬鹿なんじゃない。石原都政の汚点ここに極まれりって感じ?

学校を運営していくのに校長の権力が必要?校長が有無を言わさず決定を下すことが必要なの?みんなで話し合って創りあげていくに適した場所なんじゃないの、学校って。

なんちゃって、腐った学校には腐った制度がお似合いだからこれでいいのか。校則だ制服だとつまらない決め事で生徒をがんじがらめにしてる「教育」とやらの帰結が採決禁止ってユーモアとしては笑えるよ。生徒を管理するしか能がない教師が上から管理されて採決も取れないなんて皮肉だわ。教師に「採決禁止はおかしい」なんて言える資格のある奴がいるかが問題だよね。学校教育という腐った枠組みの中なら採決禁止も映えるよ。


石原登場。親玉だな。人と人との関係を権力を介してしか捉えられない可哀想な人種。こういう人にとっては「対等な関係」など存在しないのでしょうね。年齢、性別、肩書き、国籍、人種…。あらゆる選別が瞬時に行われ、汚らしい目で蔑んだり見上げたり。従わせるか従うかという殺伐とした世界観。

「個性、感性が大事。人間自由なんだ」。いいこと言ってるのに、やってることは権力による支配。国旗掲揚、国歌斉唱を強制しといて「個性が大事」って矛盾だらけじゃん。感性を潰すことばっかりやってるくせに何を言ってるの?


三知事対談。力で押さえつける教育はもう持たない。体罰容認の空気がガンガンに漂ってますが…。少しでも暴力を解禁すれば今旗色の悪い「子供には強制が必要」派が盛り返してくる。適度な体罰なんて学校の中まで入り込んでちゃんと監視できるの?責任持てるの?そんな力を用いなければ教育もできないようじゃ話にならない。

力に対する耐性は誰でも持ってるわけじゃないし、誰もが持たなきゃならないものでもない。自分がそういう暴力に晒されて育ったからといって他人にもそういう環境で育つ事を強制するなんてなんたる狭量な価値観だろう。力による教育でうまく育つ人もいるだろう。でもそうやって育った人には弱い人を思いやる能力などない。強くあるという事は弱さの否定に直結するからです。

終わった。280分。たらたら思ったことを書いてみましたが。見てなかった人には伝わりづらいでしょうが、まあ雰囲気だけでも楽しんでください。

総論としては普通。目新しいことは特にない。本当に今現場で苦しんでいる若者に対して共感能力のある人間が一人も居なかったことが教育を語るというのに問題だし、学校だの家庭だのに原因を求めるばかりで肝心の社会という視点が欠落していたのも問題。

教育は家や学校だけで行われるのではない。人を育てるのは社会です。私達一人ひとりが構成している社会。何かあると特定の家庭や学校に責任を押し付けて自分は大丈夫、自分は関係ないと安心する。そういう他人事のような考え方を改めて自分の問題として考える意識を持たないと、状況はよくならないと思います。

今回のテーマは「変わらなきゃ」。私のメッセージは「社会の復権」ですね。当事者意識を持て、日本人。

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テレビネタ」カテゴリの記事

コメント

一般社会の人間がつくる番組なんて,あんなもんなんですね。
ほかの番組とレベルは変わんないですし。

だいたい,今の社会がクソなのに,いまさら“古き良き日本”の常識と道徳観でもって言いたい放題されても……

しょせん,社会の内側にいる人たち,特にそこで成功して高い地位にいる人たちほど,自分の価値観や考え方を手放さないでしょうし。

ほんとうに,弱い人や,はじかれた人,今の社会に染まれない人の心なんか判る訳ないでしょうね。

結局,これからも今までの常識,価値観が変わらない社会が続いていくのでしょうね。

投稿: おまきん | 2008年11月23日 (日) 11時20分

>だいたい,今の社会がクソなのに,いまさら“古き良き日本”の常識と道徳観でもって言いたい放題されても……

そうそう、お前らみたいなのをどう変えるかという話をしなきゃ意味ねーんだよ!ってね。

あれほど当事者不在の議論もないでしょう。当事者に人前に出て反論できる状態じゃない人が多いのをいい事に…。

>結局,これからも今までの常識,価値観が変わらない社会が続いていくのでしょうね。

そんな絶望的なこと言わないでくださいよ。まあその可能性は高いんでしょうが、従前の常識や価値観を変えるという気持ちは持ってないと本当に一生このままですよ。

できることは少なくても、そういう気持ちを持ってさえいれば何かのきっかけで変化に繋がるかもしれない。諦めない事が大事、って多数派の好きそうな言葉だけど。

投稿: ニヒリスト | 2008年11月23日 (日) 21時38分

>何かのきっかけで変化に繋がるかもしれない。

要するにJM。 <(`^´)>
少数派のみんな、結束しようぜ!

投稿: オールドニック | 2008年11月23日 (日) 23時45分

>要するにJM。 <(`^´)>

最近あんまり勧誘がうまくいきませんねえ。

もうみんな社会を変えようなんて段階は通り過ぎちゃってるのかしら?

私は醒めてるスタンスでいきたいのに、周りと比較すると私が熱いみたいになっちゃって非常にやりづらいです、最近。

投稿: ニヒリスト | 2008年11月24日 (月) 10時16分

>私は醒めてるスタンスでいきたいのに、周りと比較すると私が熱いみたいになっちゃって非常にやりづらいです、最近。

逆に,社会のほうが,意外と醒めてて,「ああ,みんな妥協して生きてんだな。」って思います。

むしろ,社会のほうが変わるべきですね。

社会を変えようとする意思は,常に変わらずに持っていることが重要なんですね。
周りがどれだけフヌケでも。

投稿: おまきん | 2008年11月24日 (月) 10時51分

この番組は見なかったのですが、そうですね、当事者意識は持っていたいと思っています。
自分がここに通う最大の理由でもありますね。
ニヒリストさんが、私の関心のあることを読みやすく上手に書いてくださっているから。
考えるヒントがたくさんある。

自分が、今の社会のルールの中で利益や希望を追求することが、
どこかで価値観の違う誰かの利益を損ねているのだろうか、と
時に立ち止まって考えることも必要だと思います。一般論ではなく、自分の話として。

パイロマニアさんが、どこかで、
「自分の中の矛盾を浮き彫りにし、それでも尚譲れないものを 確認するため」と、
ニヒリストさんとお話することのメリットを語られていましたが、その部分全く同感でした。
(というか、あの方のご意見全般が、一番自分にとって近く、共感しやすい)
私は他人の考えを変えようとは思っていないので、議論にならないことは少々申し訳ない気もしますが。

親として、子どもに経済的に自立してほしいと願うことが間違いだとは、個人的には思いません。
それを、別の意見をお持ちの方に押し付けるつもりはないのですが、
自分がそう思うというただそれだけのことでも、誰かにとって不利益になるのだろうか。
だとしたら、それらが折り合う地点を自分の中で見つけたい、そんな程度ではあります。

長くなりましたので、今回はこれで。

投稿: ルリ | 2008年12月 1日 (月) 02時04分

コメントありがとうございます。

>私は他人の考えを変えようとは思っていないので、議論にならないことは少々申し訳ない気もしますが。

議論って相手の考えを変えようと思ってするものなんですかねえ。私はそんな風に思って議論してないんですけど。

自分の考えを述べる=押し付け、みたいなのって変じゃないですか?

ルリさんはpyromaniaさんに共感するぐらいですから、私が言ってることに納得できない部分も多いはずです。押し付けるつもりはない、といって黙ってたら一生それはそれ、これはこれで何も深まっていきませんよね。

議論は自分の思想を垂れ流すのが目的じゃないというところが重要で、相手の意見を踏まえてちゃんとやれば意見を言うことは押し付けにはならないと思うんですよ。

まあ意見を言うことを強制はしませんけどね。というのも、pyromaniaさんには議論議論言い過ぎて追い詰めてしまった感があるので、単なる感想もそれはそれで受け付けることにしたんですよ。よほど偉そうでない限りは。別に異論反論でなくても遠慮なく書き込んでくださってかまいません。

>親として、子どもに経済的に自立してほしいと願うことが間違いだとは、個人的には思いません。

「個人的には」ね。まあ私としてはその働いてない人の苦しみや葛藤を見ようともせず馬鹿の一つ覚えみたいに働け働け喚き散らすことの愚かさみたいなものを問題にしたいわけです。後は働いてなくて何が悪いの?という社会通念への素朴な疑問と。

経済的自立(世間体)と子供自身とどっちが大事なの?という話で、ルリさんの「親が子供の経済的自立を望むのは当然」という考え方は即誰かの不利益ってことはないかもしれませんが、ほかならぬ子供を追い詰める危険をはらんでいると思いますし、働かない、働けないにも色々事情がありますから妙なプレッシャーをかけるのはよくないと「個人的には」思います。

投稿: ニヒリスト | 2008年12月 1日 (月) 18時57分

経済的自立を望まれること自体で追い詰められる子どもがいる、
という種類の現実を学ぶことも、ここに来る理由のひとつです。
経済的自立=世間体なのか?という点は、一番かみ合わない部分かも知れません。
私には、世間体などという実体のないものとは本質的に離れているように思います。
わざわざ言及することでもないですけど、
人間ひとり生活していくには、実もふたもなくお金が要りますよね。霞を食っては生きられません。
特に贅沢をしない必要最低限だとしても、つくりだすのは結構大変です。
そのかかりをどこから持ってくれば良いのでしょうか。

もちろん、さまざまな理由でできない人がいることは承知しています。
(自分だって、今の収入で自分と子どもを養うことは厳しいので、厳密に言えば、経済的に自立しているとはいえません)
だからと言って、働かなくても良いよ、誰かにお金をもらって生きればいいよ、と、
最初から子どもにそれを前提にさせた方が良い、とは私には全く思えません。
世間体が悪いからじゃなくて、それが人の生きる力であり危機管理だと思うからです。
その方向に頑張ってみて、結果うまくいかなかったのであれば、
それはその現状を認識して、その場所からまた考えたいと思いますが。

今は、働かない人も学校へ行かない人も、さほど珍しくはないですよね。
本人が望んでいて、そのことで影響を受ける周囲もそれでよいのであれば、別に問題ないんじゃないかと思います。
批判はもとからするつもりないですし、好きでそうしてるのなら、特に気の毒とも思いません。
でも、本人や周囲が現状を良しとせず、打開したいと考えているならそれはやはり「問題」なんじゃないかと。
その時は、一緒に解法を考えたいわけです。当事者として。

余談になっちゃいますが、pyromaniaさんはニヒリストさんの真逆に位置する人ではないと思いますよ。
敵意も悪意もなくて、むしろすごく好意的だったように見えました。意見は確かにぜんぜん違ってましたけど。
「そんなのどうでもいいよ」と言われそうですけど、私にはそう感じられたので、その点でも自分と同じだと思いました。

投稿: ルリ | 2008年12月 2日 (火) 00時28分

遅れまして。

なるほど、サバイバルタイプの方ね。

確かに生きていくために金が必要だというのは言うまでもない事実です。自分で稼げるならそれが一番いいでしょうね。しがらみも少なく済むし。

でも生きていくために必要なことはなにも労働に限りません。食事からなにから自分でしなきゃならないことなんて山ほど転がってるわけです。何もかもを自分ひとりで完璧にこなすなんて不可能なのですから、できないこと、やりたくないことを他人に押し付けるのは人生において基本と思います。

働きたくないなら働かなくて済む方法を考えろということで、自分の生活費を得る方法はなにも自分で働くことだけじゃないでしょう。親に寄生するもよし、結婚に逃げるもよし。私は生活するには金が必要という現実感覚さえあれば、後はどうやってそれを調達してこようとかまわないと思ってます。

それを考えるのも危機管理の一形態じゃないでしょうか。自分で自分を養えてこそ一人前みたいな考え方は嫌いなんですよ。大体そんなこと言うなら主婦なんて全部男に寄生してるわけだし。あれは一人前じゃないのか?生きていくのに必要ということで言うなら、いい年こいて茶も入れられないようなおっさんは明らかに危機管理能力が欠如してるわけです。連れ合いの飯炊きババアがぽっくり死んだらどうやって生きていくのかなあ。

みんなやりたくないことは他人に押し付けて生きているんですよ。それが長年続いてきた結婚制度に基づいて「やらなくていいこと」として認められてるか、最近できたニートとかいう概念で否定されてしまうのかの違いはあれど。

働くというのもご飯を作る、掃除をする、洗濯をする、というのと同じような特殊技能だと思いますから、できなきゃ公的支援を受けるか働くのに向いてる奴に代わってもらうかです。どうやって食っていくかは大変な問題ですが、自分で食い扶持を稼ぐことにそこまで拘る必要もないのではないかと。

>pyromaniaさんはニヒリストさんの真逆に位置する人ではないと思いますよ。

そうなんですかねえ。思想的には完全に嫌いなタイプだったんですけど…。まあ話に応じてくれたという意味ではいい人ではあったと思います。みんなに対してそういう風に接してくれたらもっと良かったのにね。

投稿: ニヒリスト | 2008年12月 8日 (月) 15時26分

どうも、お久しぶりです。
タイミングを逸しすぎて今更なことばかりなんですけど、
簡単に書かせてください。

えーと、このお題で言えば、ニートと主婦の最大の相違は、
スポンサーが納得してるかどうか・・だと思うんですが。
主婦は、食わせてもらう代わりに家事育児をしたり無聊を慰めたり、
それこそ世間体を満たしたりする意味で、スポンサーたる夫に報いているわけですが、
同様にニートも何がしかの形で貢献してスポンサーを満足させられるのなら、
それはそれで問題なし、という気はします。前に書いたことと被りますけど。
何も、家事育児みたいな目に見える労働でなくても、
愛してるからいてくれるだけでいいんだよ、みたいなのでも。
そういう条件の良いスポンサー又はパトロンに恵まれなければ、
まぁ、風の当たるのも仕方ないと思うんですよ。これは主婦も同じですし。

少しお話変わりまして、私がこの記事にレスをつけた一番の理由は、
「岡山県突き落とし事件」の父親が、批判されるのが気の毒だと言う気持ちからでした。
経済的自立=世間体かどうか、ということから入りましたが、ちょっとそれはおいて。
世間の「何々するのが当たり前」というプレッシャーは、百害あって一利なしか?について。
ニヒリストさんがおそらくは強く嫌悪なさる、個人の自由を阻害するものの代表選手かも。
これについてはいろいろ考えまして、幾つかの事例で仰るとおりとも思ったのですが、
「経済的自立は当たり前」については、自分はやはりそのまま支持しようという結論に。
何でかと言いますと、そのプレッシャーこそがヘタレな多数派の尻を叩いて、
生産者側に踏みとどまらせている側面が大きいんだろうな、と思うから。
生産者が少数派になったらシャレにもならず共倒れですので。

しつこく引っ張って申し訳ないpyromaniaさんネタですが。
個人主義者だと仰ってたけど、お話の主軸は多数派としてスタンダードで、
淡々と自説を述べられていただけで、別に押し付けても振りかざしてもいなかったように感じました。
私から見ればきちんと筋も通っていて、説明もできていらしたように思えたんですが、
終盤にはなんだか話し合いにもならない風だったので、もったいないなと思いまして。
嫌いじゃ仕方ないかも知れないんですけど、あの方とニヒリストさんの議論は、
私には得るものが多くてとても参考になりました。だから残念。

極力簡潔にしたかったんですけど、長くなってしまいました。
最後にもう一つ、というか、これが主旨なんですけど、
お誕生日おめでとうございます。

投稿: ルリ | 2009年2月16日 (月) 01時09分

>そういう条件の良いスポンサー又はパトロンに恵まれなければ、
まぁ、風の当たるのも仕方ないと思うんですよ。これは主婦も同じですし。

それはそうですけど、それは自分のお金で養うことに納得していないスポンサー、パトロンがそのパラサイトに文句を言えばいい話で(まあこれも全肯定はできませんが)
世間がどうこう言う問題ではありませんよね。
ルリさんのいう「風」が世間の風当たりのことならこういう反論になります。

>そのプレッシャーこそがヘタレな多数派の尻を叩いて、
生産者側に踏みとどまらせている側面が大きいんだろうな、と思うから。

まあ馬鹿な多数派を都合よく使うにはいい理論なのかもしれませんね。
問題はそれを無視しきれず苦しんでいる少数派がいるということで…。
働く働かないはもっと理屈でとらえられてしかるべきじゃないかと思っているわけです。

>終盤にはなんだか話し合いにもならない風だったので、もったいないなと思いまして。

それは私の文章の方が、ということでしょうが。だとしたらどの辺がそうだったのか教えていただきたいのですが…。

>お誕生日おめでとうございます。

ああ、ありがとうございます。昔の記事を読んでくださったんですね。

とか言ってるとまた多数派的な儀礼だとか言って誰かから馬鹿にされそうですが、まあいいや。

投稿: ニヒリスト | 2009年2月18日 (水) 00時23分

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