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2008年12月15日 (月)

クリスマスの話と自己分析

やっぱりパソコンが使えないと更新する気が失せるんだよね。自分の文章の意味のなさ稚拙さに気を取られずに勢いで書くってことができないのよ、携帯は。書きかけてやめた回数、数知れず。打つのが遅いから途中で嫌になる。

色々考えてたことはあった。いくつかネタもあったし。でも「ああこれブログに書いたらいいなあ」と思ってもすぐ忘れる。あんまり捗らないからパソコンが来るまでは手書きで文章を考えることにしました。ちょうど無駄に漢字の練習も始めてたとこだったし。携帯よりは捗ります。

さて。この間考えてたつまんない話をいくつか。

世はクリスマスとかなんとかでイルミネーションもたけなわですが、毎度の事ながらフライング過ぎるよね。11月下旬からもうやってたし、日本人は待てなくなったなんてなことを最近よく耳にしますが、これもそのせいかしら。

キャラ的にはイルミネーションを見るたびに苦々しい思いをしてた方がいいんだろうけど、残念ながらイルミネーションには特に何の思いもない。むしろどちらかといえばちょっと好きなぐらいで。

というのも不幸な奴ほど他人の幸せとか華やかなものに腹を立てているというのは自明の理でしょ?私ぐらい幸せだと街がクリスマスモードだからってイライラしたりしないのよ。カップルが歩いていようと。家族連れが仲睦まじく歩いていようと。究極の自己肯定の末の平穏はちょっとやそっとのことじゃ乱れない。私って何でこんなに幸せになっちゃったんだろ。

まあそんなこと言って強がってるみたいに思われても嫌だから何でも正直に白状すれば、私だって寂しいとまったく思わないわけじゃない。時々人と話したいと思うこともあるし、恋愛云々にしたってそう。でもそれはクリスマスだからどうとかいう質のものじゃないわけです。

クリスマスに一人で寂しいというのはクリスマスは誰かと過ごすのが当然という常識があるから派生してくるものでしょう?私にはそんな常識ないもの。大体もし彼氏ができたとしてもクリスマスを一緒に過ごしたいなんてちっとも思わない。あんなものの何がいいのかさっぱり。

世のクリスマスムードに負けて一人が寂しいなんて思ってる奴には「そんなくだらないことに拘ってんじゃねえよ」と言いたいんです。一人の寂しさは普遍的なもの。でもクリスマスの寂しさは俗物の浮薄な悩みです。

だから私は残念ながらイルミネーションに憎悪を抱きながら鬱々としてるような生活を送ってはいないというわけ。でもツリーに火をつけて器物破損か何かで逮捕された男の言い分が「クリスマスの雰囲気に腹が立った」とかだったら間違いなく同情するけどね。イライラはしなくても好きではないクリスマス。わざわざ鬱積物を抱え込んだ人間を刺激するような雰囲気を作ることないのよ、一ヶ月も前から。

さて。二個目の話題。最近自己分析がはやりです。というか常日頃から自分の複雑怪奇な精神構造を見極めるのには余念がないのですが、さっきまた思いついたのが、私は自分の存在が軽んじられるのが死ぬほど嫌なのだということ。

自己分析なんてのはいつも何かに気づいて、忘れて、の繰り返しなのですが、今回はわりといい線いってる気がする。私が人と関わりたがらない理由として。

私はかなり屈折してはいるものの、自分が大好きなんです。私は私の事をいつも100%愛してる。でも他人は違う。自分にとっての100%が他人から見ると10%であったり50%であったりする。この落差に耐えられないわけです。それなりの会話。それなりの付き合い。自分が他人にとってのその他大勢に堕ちるあの感覚。ありえな~い。

私ほど私の事を愛してくれる人がいるか?私ほど私の事を理解してくれる人がいるか?いない。この自分への愛が強すぎるために、それより下回ることしかありえない他人の好意に自分を差し出すのが嫌なんですね。恐いと言ってもいい。私は私を傷つけないけどその逆はもちろん保証の限りではないからです。

イメージとしては、私自身が私の手を掴んで離さないって感じ。私も居心地がいいからその手を振り払ったりはしないというかできないというか。他人の評価が介在する余地がない分、絶対的で一生途切れることはないであろう自己愛。人と関わる煩わしさを考えればこの安定供給されている自己愛を手放す理由もないわな。

というか。もっと恐ろしいことを言ってしまえば他人なんて自己愛の邪魔、という考え方もできる。一人でいればまさしく上記の通り、安定した生き方が保証されてる。でもそこに他人が入り込んできたらどうなるか。私は今まで自分で供給してきた愛を他人に頼ることになるわけです。愛の自給率が下がる。何を言ってるんだろう。

60%が自己愛で40%が他者からの愛、なんて折衷案は私にはない。人と関わるとしたら「あんたに私の代わりができんの?私の代わりに100%私の事を愛してくれるのかしら」という話になる。なんというめんどくさい人間だろう。やっぱり一人でいるのが一番いいというのが結論。

なんだか更に一段階吹っ切れた気がする。誰も私の代わりなんてできんのだ。私が他人を求めるということはもはや自己愛への背信行為である。

ふふ。私は一人なんじゃなくて死ぬまで「私」と一緒なのね。もういいや、誰とも関わらなくても…。

こうやって書いてるとどんどん考えが極端な方へいくのよね。書き上げてみるとなんだか新しい悟りでも開けたようだけど、たぶん明日になったらまた忘れてるんだろうなあ。さっきも書いたけど自己分析ってそういうもんだからね。私だけかもしれないけども。

ああ疲れた。年末か年明けまではパソコンがないので、年内の更新はもう後二回か三回程度になりそうです。まあパソコンあってもその程度かもしれませんけどぉ、ごめんね。

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コメント

逆に自分が他人を愛してしまうことは無いんですか?

こんな言い方をすると語弊があるかも知れないが、メスは発情するもんでしょ?


>けどぉ、ごめんね。

これを見てブローカさんっぽい気持ち悪さを感じました(笑)

オデのブログの記事「さらば自閉ネコ」では、自閉ネコが「ごめんニャ」って言う場面があるんですが、アレはブローカさんが
くるねこストーカーに言った「ごめんね」が頭から離れなくて、つい付け足しちゃったものなんです。

投稿: オールドニック | 2008年12月15日 (月) 23時53分

ニヒリストさんは,達観でクリスマスを超越したんですね。
他人と馴れ合えない人間って,自分を完全なベストだと思うことで満たされるんだと思います。

ただ,他人が存在してるという事実だけで,その達観が揺らぐときもあるので,

その究極の他人の悪影響である,クリスマスは,まだ自分には,多数派の精神攻撃以外の何者でもありません。

僕も,究極の達観を手に入れたいものです。

投稿: おまきん | 2008年12月17日 (水) 13時52分

達観したら、スキル・アップはありませんよ。

投稿: オールドニック | 2008年12月17日 (水) 17時41分

オールドニックさんへ


>逆に自分が他人を愛してしまう可能性はないんですか?

可能性はあると思います。でも他者を愛することは自己愛への背信であり浮気ですから、そんなことは起きない方がいいに決まってます。私の愛は私のためにこそ使われるべきなんであって、他人にやってる場合じゃありません。


>メスは発情するもんでしょ?

まあそれはメスに限らずね。でも禁欲主義的な考え方をするわけではないんですけど、私は他人といても幸せになりづらい人種ですから、そんな自然の摂理に従ってる場合じゃないんですよね。

私より魅力的な男が現れないことを祈るばかりです。私は「私が一番」と思ってた方が幸せでいられると思うので。

投稿: ニヒリスト | 2008年12月17日 (水) 20時03分

>達観したら、スキル・アップはありませんよ。

ニヒリストさんのメインの話からずれてしまいますが。

自分自身,人間社会を完全に見限れなくて,いまだに心のどこかで社会に認められたい,なんて思ってしまうのです。

だけど,社会にいつも認められないので,達観または極論で,社会と自分を切り離すことでしか,社会のプレッシャーから解放されないときもあります。

まあ,結果,人間社会を恨みつつ,自分も成長できないなんてことになってるわけですが。

なので,ときどき,あきらめみたいな発言をしちまいます。

ああ,言い訳なんてしちまった。
以上,くだらない話なんで無視してください。

投稿: おまきん | 2008年12月18日 (木) 13時30分

おまきんさんへ


そんな達観なんて言うほどのもんでもないんですけどね。私は本当に社会に認められたり自分が世間並になったりすることに関心がないだけなんです。ここに至るまでに苦労したわけでもないしね。悟りってのはもっと苦辛の果てに得られるものでしょ?私がこうなったのはたまたまですよ。

>他人と馴れ合えない人間って自分を完全なベストだと思うことで満たされるんだと思います。

ですよね!私も本当にそう思います。ただ確かに他人の存在というのはそれだけでネックです。いとも簡単に「自分がベストだ」なんて感覚は打ち砕かれますからね。クリスマスは平気でも、まだまだ私の「達観」をぶち壊す材料はたくさん残ってます。

クリスマス、年の瀬、正月と社会不適合者にとっては胸くそ悪いシーズンです。おまきんさんもうまいこと自己防衛なさってくださいね。多数派に侵食されないように。

投稿: ニヒリスト | 2008年12月18日 (木) 16時39分

>でも他者を愛することは自己愛への背信であり浮気ですから、

私がニックさんを愛するのは
自分を愛するためなのですけどねw

投稿: 未来 | 2009年7月20日 (月) 20時27分

そうですね。 自分の快楽しか頭にないエゴイズムですね。

投稿: オールドニック | 2009年7月20日 (月) 22時24分

“無償の愛”なんてものはあり得ないってことですね。

投稿: 未来 | 2009年7月21日 (火) 11時26分

オールドニックさんへ

でも私の愛がエゴだという確証はどこにあるんですか?

投稿: 未来 | 2009年7月21日 (火) 16時07分

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