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2009年1月22日 (木)

またしても多数派の毒牙がぁぁ

時間ばっかり経つ。ついこの間更新した気でいるのに、また一週間以上経ってるんですね。時間の有効活用は急務だ。今のように無為に過ごしていては社会変革も危うい…。

まあそれはさておき。また随分とまずいことになってまいりました。前回こんなことがあって…、それなりに面倒で嫌な思いをしたんですが、今回はそんなのの比じゃありません。

前は食事会をやるということが決まっていて、日程の提示があって、もしよかったら行きませんかというスタンスでした。まあ言ってしまえば断ればよかっただけの話で、実際そうしたし、後腐れもなかった。でも今回は違う。

また予定を聞かれて4つの候補日(1月中)を例によって「講座あるんで(4分の3事実、4分の1嘘」で一蹴した結果、向こうの言葉に私は耳を疑いました。「じゃあ2月ね」って言ったんです。私はもちろん皆さんだけでどうぞという意思を込めて「いいですよ、そんな」と言ったんですが、向こうはなんでも私の成人のお祝いとやらをやっていただく心積もりらしく…私がいないと駄目なんだそうです。私の予定のせいで会の日程ごとずれ込むという悪夢が。

おかしいよねえ。それほど喋らない、携帯のアドレスも交換してない人間の予定で会の日程をずらすなんて私にはどうかしてるとしか…。世間一般では成人というのはそれほどまでに重要な節目として存在しているのか?私にはあの人達、というか私に声をかけた一人だけの意向なのかもしれませんが、何を考えているのかさっぱり分かりません。

ただ人生諦めが肝心。もはや避けられない事実について、いつまでもごちゃごちゃ言ってても始まらない。休憩時間の延長だと思って参加してくるしかない。私のように考えなくてもいいことを常日頃から考え続けている人間は実際の脅威に対しても強い。常に最悪のケースを想定している人間は最悪のケースに落ち着いて対処できるんです。当たり前ですよ、どれだけ普段から無駄なことに頭使ってると思ってるんだ。こういう時に役に立てなきゃ正に考え損。まあ今回は最悪のケースというほどではないにしてもね。

あーあ、にしても成人だって。どうでもいいんだよなあ、本当に。「○○さんは今年成人式だっけ?」「成人式は何かお祝いやったの?」とか。さんざん聞かれましたが私にとっては関係のない話です。私の返答は決まって「たぶん」とか「まあ多少は」とかそんなんです。だってどうでもいいんだもん。

法律上の区分ですよ単なるね。酒を飲む、煙草を吸う、選挙に行く、保護者の同意なしにクレジットカードを作る、などが法律上認められるようになる年齢だ、という事実以上の感慨は私には何もない。大人の自覚がどうこうという話なら、そこらへんの「大人」とされている人間よりも私の方がこの社会に対して責任を持とう、という気概はあると自負しているし。今更「成人です」と言われたからって特別気負うこともない。はっきり言ってそこら辺の奴よりも私はずっと「大人」だと思うし、私にそう思わせるに足る馬鹿さ加減を世間の奴等は持っている。

自分のことを「子供」だと思ったことなんてもうここ数年ない。自分と同年代の人間を「最近の若い人」と形容するし、20代なんてまだまだ若造だと思ってるし、30半ばぐらいまでなら同い年ぐらいの感覚でいるし。大人の仲間入りなんて言われると逆にお前らと一緒にするなと思う。実年齢と価値観がまったく一致しません。

そんなんだから、成人のお祝いをしていただくなんて言われても困りきってしまうのですが、まあこれも付き合いと思って。もちろんそれだけが目的の会でもないしね。端っこで座ってればなんとかなるはず。まあ何かあっても鬱のやり過ごし方ぐらい知ってる。1、現実逃避。ゲーム、お笑い、ドラマなど。2、とにかく書き散らす。書くことによって不快原因と解決法がはっきりします。3、寝る。書くことによって自分の傷を直視するのもままならない場合の最終手段です。もう自分の電源を切ってしまうしかない。強制終了だ!

と、シュミレーションは万全。2月は山だ。きっとうまく乗り切れる。

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2009年1月11日 (日)

仕事なんて

前回の更新からあっさり一週間経ってしまった。早い早い。

いきなりですが。私は仕事ができない。どんな仕事かによるなんて一般論はぶん投げといて、私はやっぱり仕事ができないと思う。でもそんな私にも一発逆転、魔法の呪文がある。それは「こんなところで仕事ができないなんてことは私の今後の人生において何の差し障りもないことだ」というものです。

あんなところで仕事ができたからって何になる。むしろこの世の中では仕事ができない人間は嫌な思いをするのだということを身をもって知れただけ仕事ができない方が得してるぐらいだ。

人の言ってることは理解できないし。分からなくても聞き返せないし。初めて経験することは大概失敗するし。きっと人生においてほとんどのことに向いてない。でもそんなことがそつなくこなせるからってなに?そんな人間が魅力的なのか?否。私がなりたいのはそんな人間じゃない。

私に必要とされているのはそんな一般的な技能じゃない。もっと仕事ができないってことに関して鈍感になれればもっと楽しく働けるのに。駄目だ。まだまだ自己否定に入る。あんなところで仕事ができなかったことなんて、後から思い返せば私にとって何の傷にもならないことだってことも目に見えてるのに。やっぱり普通の労働なんて向いてなかったな~、なんて微笑ましい思い出として思い返せるはずなんです。

仕事ができるできないってなんで人間の自尊心とか精神の均衡にここまで喰い込んでくるんでしょうねえ。そんなこと私という人間の能力のほんの一端に過ぎないし、そんなことができる人間になりたいわけでもない。私ぐらいそう思ってても振り切れないんだから、仕事って恐いね。働くって恐い。

もっと図々しくなっていい、私は。もう一度言う。あんなところで仕事ができなかろうがなんだろうが私の人生においては何の影響もない!そんなことに振り回されてたまるか。私は負けない。仕事ができなくたっていいんだもん。

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2009年1月 4日 (日)

パソコン入手

003 なんとか手に入れました。上はブルーレイレコーダー。

NECのデスクトップにしたんですけど、接続でごちゃごちゃやってる間に「ノートにすればよかったか」と多少心が折れかけました。めんどくさい。でもいったんこうやって買っちゃえばハードディスクも液晶も替えがきくんだもんね。なんとなく気が楽。




パソコンって電気屋だとブロードバンド同時加入で安くなるってよくやってるじゃないですか。私はそういうのを変えるとなると精神的に疲労が大きいので普通の値段で手に入れるつもりでいたんですが、結局電気屋の人と隣の親父になんだかんだと吹き込まれブロバイダーを変える羽目に。光電話にもなっちゃうし。大体私のような人間が電気屋なんぞに赴いてまともな判断ができるはずがないのよ。はいはい言っちゃって断りきれなくて…。まあ光は速いらしいし、パソコンも3万円安く買えたからいいけどさ。

で、帰る段になって配送してもらおうと思ったら送料が3千円。ぐだぐだ思案した揚句一緒に買ったブルーレイレコーダーとこのパソコンを手で持って電車で帰ってきたわけです、親父と二人。肩は筋肉痛だし明日からはバイトが始まっちゃうしで気分が。いまどき車持ってないと家電も安心して買えませんね。まあ免許なんて取る気ないけど。

にしてもぉ、デジタル放送ってすごいですね。番組表見れるし、天気予報見れるし、説明書をあんまり読まないからその他の機能は知らないけど。レコーダー自体も2番組同時録画が可能な優れもの。ハードディスクに何百時間もとれるなんてもうビデオをガチャガチャ引っ張り出す必要もなし。基本的にテンションが上がらない、上げてはならないという縛りの中で生きている私ですが、新しい電化製品にばっちり舞い上がっております。

さて。先月はパソコンがなかったせいで、自分のブログなのにえらい遠い位置にこの場所を感じていましたが、今月からは晴れて復活ということで。更新頻度もそれなりのものにしていきたいと思います。って何回言ってるんだろうねえ。

あ、そうそう、あけましておめでとうございます。年明け気分も対してなかった上に、正月がめでたいという感覚もないものですから言い忘れるところでした。まあ世間の皆さんは今年もいい年になるといいなあ、とか思ってへらへらしてるんでしょうから、私もやっぱり「おめでとうございます」という調子は合わせておかなければと思うよ。

というか私日付について思ったことがあるんです。それは人間というのは節目がないと人生に耐えられない生き物なのか、ということ。例えば地球に生命が誕生してから人間が現れて今に至るまでの間、何の意味もない時間がただ流れていたという事実からみんなは目を背けたい。だから、今日は何日、今日で今年が終わり、今日から新年、と私から見れば全く、くだらないとしか言いようのないそれを唱えることによって、人生の無意味さを感じないようにしているのではないかと推測したわけです。

昔の話なら歴史的事実、最近の話なら去年、一昨年。そういう節目と結びつけてなんとか人生を意味あるものと捉えようとする。実際は去年も今年もへったくれもなく、ただ永遠に無駄な時間が流れているだけなんだけど、それだと普通の人間は萎えるんでしょうね。私なんかは人生が無意味であるというところに喜びを見出しているのでその厳然たる事実が嬉しくて仕方がないのですが。

一日一日が意味のある、価値のある人生なのだと思いたい人達が、日付を追いかけ、必死で新年を祝ってる、そういう風に見えるんです。昨日も今日も何も変わらない無為なものであるという現実から逃げて逃げて、あけましておめでとうございます。なんだか辛そう。

世間の要所要所の馬鹿騒ぎも、そんな風に捉えれば「可哀想な連中だな」と思えて楽しくなるかもしれません。やれクリスマスだ、やれ正月だ、やれ成人だ、ってくだらない。無価値ってそんなに怖いことかしら。正月もクリスマスも、ある段階で人間が作り出したフィクションでしょう?その由来に余程心を打たれれば別だけど、たぶん大半の行事は私の人生とは関係がないと思う。

ただ地球があって人間がいて、私が認めるのはその事実まで。それ以外は惰性か妄想のどちらかです。そういうものには興味がない。付き合うつもりもないし。私は自分にとって心地がいいものを見つけ出し、馬鹿とは距離を置きつつ、自分なりの記念日なり行事なりを作成したいと思います。まあ思いつきですけど。今初めて言いましたけど。

カレンダーとか鬱陶しいわ。ほんと前回の記事でも書いたけど、カレンダーをも超克した生。それが「今年の」目標です。

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