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2009年2月25日 (水)

婚活ってふざけてんの?

最近あまり記事が書けないので、下書きに眠ってた記事を加筆修正して出してしまいます。テーマは結婚。

結婚に関しては不倫に焦点を当てて以前こんな記事を書いてます。で、その記事のタイトルにもありますが、まず最初に言っておくべきことは、私にとっては単なる紙切れ一枚の事でありそれ以上でもそれ以下でもないということ。

ある程度の年齢になったら家庭を持つという俗世間的レールがまず吐き気がするし、大体その「家庭を持つ」ってなに?紙切れを提出して苗字を変えて一緒に住んだら家庭を持ったってこと?くっだらない。実にくだらない。だから何?それが何なの?私に分かるように合理的に説明していただきたい。説明もできないような手続きを踏んで家庭を持ってそれが普通?むしろ異常だろ。誰も何も疑問に思わないで結婚という制度が受け入れられていること自体理解に苦しむ。連中はそれこそ頭がおかしい。

で、しかも最近は婚活だっけ?私はテレビとかでああいう特集を見ているともう駄目なのですよ。笑っちゃって。でもあまりの異世界っぷりに、つい目を奪われてしまうこともしばしばです。どういう人生を生きたらああいうことになってしまうのか気になって見るんだけど、やっぱり私には多数派の強迫観念のことはよく分かりませんね。

結婚して子供を産むのが当たり前という腐ったレールはまだイキだったようです。上野千鶴子の「お一人様の老後」がちょこっと売れたから安心してたら、結局みんな結婚結婚結婚とまだ馬鹿のように追いかけ続けている。私にはそれが全く理解できないんです。

結婚って何?なんて問うどころかその制度に乗り遅れないように必死。その情景は傍から見ているともうオカルトの域です。結婚は人生の墓場なんて言うけど私もまさにそうだと思う。世間的な「結婚」であるならね。一つの役割を無理矢理かぶらされて、一生その役を演じ切ることが要求される。普通に考えてやってられるかと思いませんか?

典型的なのは男は仕事、女は家事ってやつ。まあ最近は「主夫」とか言って以前ほど厳密な線引きはなくなったにしても、私から見れば結局同じことなんですよ。性別を逆にしたところで何も変わってない。家だの家族だのを維持するために誰かが何かを犠牲にし続けるという発想。反吐が出ますね。

いいですか、人間が生きてるんですよ。自分の頭を使って、自分の意思で生きてる。それなのにこうまで不自然な制度や理屈に支配されているとはどういうことですか?名字が変わるだの、浮気が不倫に格上げされちゃうだの、主婦(夫)だの…結婚することによって背負わされるつまらないことどもがあまりにも多過ぎる。それなのにな~んで結婚なんてしないといけないの?なんて他人と家族になるなんて吐気を催すようなことがことが強要されるの?信じられん世の中だ。

と、私がここまで言っても世の中の人間は結婚へ群がり、それを商機と見た人間が仲介業に乗り出したり「黙ってて結婚できる世の中じゃない」とか強迫観念を煽るような本を出してみたり…。なぜ結婚しなければならないのかという根本的な問いはもはや誰から発せられることもなく、いい年こいた女が縁結びの神社にお参りに行ったり恋のお守りをバッグにつけたりする映像が垂れ流される…。私はいつもこういうのを見ると「中学生か!」というタカアンドトシばりのツッコミを加えて馬鹿にして笑いこけるんですけどね。

男も女も、みんなの強迫観念は結構深刻で、もう泣いちゃったりしてる映像とかもよく見る。そういう風に真剣に悩んでる人達を指さして笑ったり馬鹿にするのが人としてどうかというのは私にもよく分かる。第一デリカシーがないし。でも結婚なんてものに全く拘りがない人間からするとその姿はあまりにも滑稽で、惨めで、痛々しくて…。だからつい笑ってしまう。

「結婚できない」と「結婚しない」の間にここまでの差があっていいものか?と。可哀想じゃん、あんなくだらない制度に参入できないぐらいであんな思いをしなきゃならないなんてさ。大体よく考えたらやっぱりおかしいよ、だれか相手がいて結婚したいっていうなら分かるけど、相手もいないのにとにかく結婚したいっていうのはねえ。深刻ですよぉ、結婚ノイローゼ。

私は関係なくてよかった。一人がいい。一人の時間がなくなったら死ぬ。まあそれをぶち壊す条件も世の中にはたくさんあるんですけどね。金の問題、経済力の問題、多数派との付き合いの問題、今の状態では親が死んだら全てが仕舞いであるという問題、等々。

誰にでもできる仕事でいいから私にもできる仕事をくれというのは心の声。仕事ができないって辛いよ~?人と挨拶一つ交わすにも精神力を要する性格ってのは辛い。まあ結婚ノイローゼよりは幸せだという自負はありますけどねえ(嘲笑)。

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2009年2月22日 (日)

ああ更新できない

もう更新頻度のことは諦めた。今の状態ではマメな更新なんて不可能だ。

というわけで、この間誕生日だったりしました。どうでもいいとは思ってきましたが、本当に当日も何の感慨もありませんでした。社会保険庁から年金加入の通知が来たり物理的な変化はありましたが、ほんとに全く何も感じません。

前にも書いたけど、世間の奴らの大人の自覚云々の糞発言は、ほんとふざけんなと思いますね。そういうことを言うならお前ら世代の人間全部を「大人」とやらにふさわしい人間に改造してからモノ言えよ、と。不可能だろ?んなことは。

二十歳だろうと年寄りだろうと、駄目な奴は駄目だし、いい奴はいい。「大人」かどうかなんて生きた年月じゃなくて常日頃からの心構えだという当たり前のことが理解できない頭の構造がどうなってんのか一回かち割って見てやりたい、ほんとに。

大体が小中高大と自分の頭を使うこともせず学校教育に浸かってきた奴が急に大人になんかなるわけないじゃん。しょうもない。


にしても。記事は更新されないのに昔の記事のコメント欄だけが増殖していくというのも奇妙なブログだよね。なんとかせねば。

とにかくマメな更新はもう少し待ってくれ。きっと時間の使い方がもっとうまくなるはずだ、もう少し経てば。一応目論見はある。もう少しで…。

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2009年2月 4日 (水)

遺伝子組み換え食品

えーと、このブログのサイドバーに「100万人で変える遺伝子組換え食品表示」のバナーを貼り付けてみました。

今現在遺伝子組み換え食品の表示は、重量が5%以上でなければ表示義務がない、油や醤油など表示対象外の商品が多い、意図せざる混入が5%まで認められているなど、消費者の知る権利、買わない権利が守られているとはとても言い難い状況にあるようです。

私もさっきたまたま見付けただけで、そこまでこの問題に関して深い関心を持ち続けてきたわけではないのですが、遺伝子組み換え食品を認めるにしろ認めないにしろ、店で商品を買う時に遺伝子組み換えなのかそうではないのかを分かるようにしようというのは至極もっともな話だと思ったので、このブログでも取り入れてみました。

こんな影響力の乏しいブログで言っても大した意味はなさそうですが、まあ一応。

でも大豆一つとっても国内生産は数%しかないし大半はアメリカからの輸入に頼っている。で、アメリカは効率のいい遺伝子組換えにどんどんシフトしていっているわけですから、遺伝子組み換えに頼らずに国内の大豆をまかなうとかはたぶん相当難しいんでしょうね。そうなってくるとなんとなく不安が広がっている遺伝子組み換えなんて、黙って売りたいよね。分からなくもないけど。

中国からの輸入品と一緒で、頼らなくちゃ国内消費をまかなえないけど正直に書いたら売れないから偽装やっちゃうみたいなことが遺伝子組み換えでも起きてくるんでしょうか。実際まともに表示を始めたらあれもこれも遺伝子組み換えなんだろうし。

でもやっぱりやむを得ないなら得ないで、現状をはっきり言って、遺伝子組換えですということで売らないとね。消費者もただ馬鹿みたいに遺伝子組み換えは嫌だというばかりじゃなくて、建設的な提案をしていかなきゃならないし。不安に思ってる人がいる以上今みたいに紛れ込ませてなし崩し的に売ってたら駄目です。日本っていつもそういうところがなあなあで済んじゃうんだよね。そうこうしてる間にも遺伝子組み換えはどんどん入ってきてるわけですから、法の整備は急務です。

というわけで、まあそうかなと思ったら署名よろしくお願いします。

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