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2009年3月22日 (日)

人間嫌い宣言

私は人間が嫌いだ。今まではたまたま私が好きだと思える人間が少ないだけで、だからといって人間そのものが嫌いとまでは言い切れないんじゃないか、とかお茶を濁してきましたがもう限界。どんな人間であれ私に全く不快感を与えないなんてことはあり得ないし、私に嫌悪感を抱かせないということも不可能だし。これで人間自体は好きなんて話はやっぱり筋が通らないのであって、基本的に好きな「人間」の中に嫌いな奴がいるんじゃなくて、基本的に嫌いな「人間」の中に時々見るべき人間がいるのである。うん、間違いない。

でもこれはもしかしたら自己否定感情の裏返しであるのかもしれない。私は誰からも受け入れられることがない、私を受け入れない人間なんていても意味がない、結果人間なんて嫌い!という思考回路なのか。もしこれが会う人全員私を受け入れてくれるような、全員がちやほやしてくれるような状況だったら私は「人間が嫌い」なんて言うだろうか?まあそれはそれでとっても気持ちが悪い状況ではあるんですが…どうだろうなあ、それで私は人間が好きになるのかしら。

たぶんならないんでしょうね。「誰にも受け入れられない」というのは私の心の問題なので、いくら現実に周りの人間がちやほやしてくれたって全員となれば嘘で言ってる奴もたくさんいるんだろうし、中に何人か本気で言ってる人間がいたとしても私が「一人で誰からも受け入れられない事実」が変わることはない。結局物理的な他人のいるいないではない絶対的なところで私は「一人」なのです。だったら物理的にも一人でいることが自然ということになり、私は今よりもっと人間関係を切っていかなければならないということになる。それによく考えたら他人の好意ほど面倒なものもないし。

私は誰かから告白されたりしたことはないけど、好きでもない相手からそういうことを言われるのも相当面倒ですよね。私には好きじゃないのに付き合うということが理解しがたいです。別にこれは恋愛に幻想を持ち込んでるわけではなくて、単純に「だって面倒じゃん」ということです。普通に関わるのも面倒なのに、付き合うなんてその上をゆくかったるさですよ。そんなもの私にとっては恋愛感情があってとんとん、なければ徒労です。他人となんてできるだけ関わりたくない。

なんて書いてると寂しい少女が強がってるみたいになって嫌ね。私はそういうしみったれた人間だけにはなりたくないもので、ここで強く断っておきますが、私は自分のそんなしょうもないプライドで本当に一人の生活を謳歌してる人の足を引っ張りたくないし、逆に自分もそんな惨めったらしい奴に足を引っ張られたくない、と思ってます。

例えば結婚してない一人の女がなんでいつまでも「寂しい人」と見られてしまうのかといえば、口で「結婚だけが幸せじゃない」とか「一人もいいものよ」とか言ってても、それがあからさまに強がりにしか見えないような惨めったらしい女がそこらじゅうに転がってるからです。人間は結婚して家庭を持つものだという世間の圧力があったとしても、本当に一人で幸せそうに生きてる人が増えれば結婚だけが人生じゃないという価値観ももっと浸透しそうなものです。

だから私は本当に寂しかったら寂しいって言うし、他人が必要な時もそう言う。強がりほど惨めなものはないからね。でも今は一人の時間こそが私には必要です。研鑽に励まねばならない時期。自由な時間があるのもいつまでか分からない、今できることは今やらなければ。

近々カテゴリーの刷新を予定しています。本来は途中から変えたりはあまりしないのでしょうが、最初の設定がいい加減すぎたため私にもそれぞれの違いが分からないという問題が発生中。まあ自分の恥と向き合いつつもう少しうまく分類してみようかと。

なんて言いながら「言ったことをやらない」というのはもはやこのブログの定番となっているわけですが(更新頻度上げるとか、写真をもっとアップするとか…)。

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2009年3月 8日 (日)

非日常からの生還

さて、この約一週間コメントの返信もなにも全くせずにこの場をほったらかしていましたが、実は私は今週の月曜から木曜まで高知に行ってました。母方の祖父の具合が相当悪いそうで、まあお見舞いというか様子見というか、そんな感じで。一応記事とかで断ってから出立しようと思ってたんですが結局バタバタしてしまって、向こうから携帯で更新するという感じでもなく。

私はここで親戚関係についてはあまり触れてこなかったような気がしますが、母方の面々は最悪なんです。年寄りの集まりですから学校だ就職だという俗世間発言はもういいとしましょう。人生に対してその程度の選択肢しか示せないような人間に私のやっていること、やろうとしていることが理解されるわけもないし理解されたいとも思わない。

あの人達の問題はそんなことではなくて、とにかく性格が悪い!ということにあります。 その場にいる人間に嫌な思いをさせる技術にかけては右に出る者はいない。害があるのは叔母と祖母なんですけれども、叔母の方が全権力を握っていて常に家の中を不機嫌そうに闊歩し人の言動にケチをつけて回るという有様なんです。他人を腐すことでしか自分を保てない最低の人間ってやつで。

常に喧嘩腰なので、料理一つとっても段取りで喧嘩、ポン酢の調合で喧嘩、自分で用意した材料が使いきれなくて逆ギレという感じで、同じ空間にいるだけで相当なストレスになります。自分がいつも正しい、自分は何でも知っている、他人にああだこうだ指図してその通りに動かすのが好きなんですね。本当に、少数派の私が数の力に訴えたくなるぐらいの性格の悪さ。あれが酷いということについてはみんなと分かり合える気がする。

私と母が帰っても必ず一回は喧嘩になり、前回は「野垂れ死んだらいい」とまで言われ、今回は私の方から「この家に来て不愉快な思いをしなかったことがない」と言ってやりましたが。本当に一から十まで全部不愉快。帰ってきてから二日経ってもまだ気分が悪い。なんとか明日で消化しないと。

ああいう家で過ごすと今自分がいかに幸せか、自分の家で自然に過ごせることがどれだけありがたいかが身に沁みます。同時に私が精神をとりあえず正常と言ってもいい範囲に保てていることは奇跡に近いということもよく分かりました。普通の人に比べてできないことが多いし、いらないことを考え過ぎるし、この国で生きるということにおいて全般向いてない。

私レベルの自己肯定でも簡単に揺らぐ。これでいい、このままでいい、同調圧力には屈しない…。そう思ってても私のこの結界もどこまで持つのか。多数派の浸透力はかなりのもんです。結局私が不良品で、私だけが間違ってるような気になることがある。ただそういう時、私は刺し違えてでも自分を守らなきゃいけないよなあ、と思うんです。

人間が自分らしく生きるということは一つの権利だと思う。その権利を奪われるようなことがあれば、正当防衛としてその対象を殺害するというのはやむを得ないんじゃないか、ということを普通に考えていました。自分という人間を否定されて馬鹿にされて、「殺人は悪だ」なんて言説に何の正当性も感じられない。まあもちろん殺す以外に逃げ道がいっぱいあればそれに越したことはないんですけど。

改めて、私の生き方というのは綱渡りなんだな、と実感した次第です。

というわけで、コメントやメールの返信は順次行います。しばしお待ちを。

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