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2009年6月27日 (土)

臓器移植法改正

今回のような拙速な議論の進め方には危機感を覚えます。特に先ごろ衆院で可決したA案は本人の同意がなくても家族の同意だけで、15歳以下の子供から成人に至るまでの臓器提供を可能とするものであり、もっと分かりやすく言えばA案は本人が生きられるところまで生きていたい、と思っていたかもしれなくても、家族の同意だけで生きている人間を死体にできる法案です。

A案では現行の臓器移植法で「脳死した者の身体とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。」となっていたものの前半部分が削られ、「脳幹を含む全脳の機能が~」の部分だけになっています。脳死は人の死だというわけ。なぜそんなことを法案でハッキリさせる 必要があるのか。何をもって人の死とするかは言うまでもなく、宗教や思想の違いによって様々です。それを法律によって「脳死は人の死である」と言い切ってしまうことには違和感を感じる。

というとA案の提出者は「生前に拒否してもらえれば臓器が提供されることはない」だの、「脳死を人の死と認めない人は法的脳死判定を受けなければよい」だの「臓器移植以外の場では脳死が人の死となることはない」だの抜かすのですが、そんな問題ではない。

脳死は「原則」人の死であり、認めない人は拒否「することができる」というその姿勢こそが問題なのです。その「原則」をだれが何の根拠で決めたのか?「することができる」ってなに?そんなことは当たり前でしょう。臓器を提供しない権利、脳死を人の死と認めないという当然の権利を「原則とは違うもの」と法律が規定すること自体考えられません。

臓器移植以外の場面では脳死を人の死とはしないというのも矛盾だらけです。だったら現行の臓器移植法の「脳死した者の身体とは~」の部分を削る意味もないし、脳死が人の死ではないのなら、当然その患者はあらゆる意味で生きているわけで、生きている人間に対して本人の意思確認なしになぜ、無呼吸テストを含む患者の生存を損なうような法的脳死判定を受けさせることができるのか。

というのは衆院の厚生労働委員会でC案提出者の阿部知子氏がしていた質問です。それに対するA案提出者の答弁は「A案では本人の意思が確認できなくても家族が法的脳死判定を受けさせるかどうか決めることができる」の繰り返しで、阿部知子氏の再三再四の要求にもそれが「なぜ」であるのかは一度も説明しなかった。彼女の質問によって、私はA案の問題点をとてもよく理解することができました。

全てに通底するのは「どうせもう目覚めないんだから。あとはもう死ぬだけでしょ、移植を受ければ助かる人がいるんだからそういう人に命を譲れよ」という態度です。私にはこれが我慢ならない。二度と目覚めることがなかろうと、人工呼吸器なしに生命が維持できなかろうと、その時点ではすべての人間と等価な命です。誰がこれが死であるという原則を強いることができるのか?誰が本人の意思と無関係に臓器を取り出すことができるのか。

臓器移植を推進する人達はいとも簡単に「助けられる命」という言葉を使う。本当にそうでしょうか。正しくは「家族がまだ温かく、心臓も動いている身内から人工呼吸器を取り外し死体にするという重い重い決断を下して初めて」助けうる命です。そこの葛藤が、苦しみが明らかにすっ飛ばされて臓器移植が語られている。助かる命ばかりが強調され、脳死患者は他人を助けるためのパーツとしか見なされない。

死んでも尊厳がある。人権がある。自己決定権は自らの死後の死体の処理にまでも及ぶはずです。しかしA案では明確な拒否をしない限り、臓器移植の波へと強制的にのみ込まれてしまう。家族という他人の意志によって。こんな重要な問題が「グーグル方式」のような軽率なやり方で決まっていってしまっていいのか?拒否しない限りは勝手に家の写真を公開する。勝手に本の内容をデータベース化する。それですら揉めているのに、臓器提供のような命にかかわる問題はなおさらです。常に危機意識を持って拒否の意思表示ができる人はいい。しかしドナーカードだって普及率はせいぜい数%です。

今の議論は脳死患者やその家族に対して当然払われるべき敬意が払われているとは言えず、それどころか最低限の礼を失していると思う。少しでも長く生きていて欲しいという家族として当然の情が、生への過ぎた執着として非難され臓器提供を促されるような状況が生まれないとは言い切れない。そのような状況では私は他人に臓器を提供する決断を下せない、というか下したくない。

臓器を提供しないということを選択した結果、僅かでも非難がましい目を向けられる社会があるとすれば、またそのような社会を創る可能性が法案にあるとすれば、私はそれに断固反対し続けるし、それを態度で示す。だから私はドナーカードの「臓器を提供しません」に丸を付けて持っていることにした。

申し訳ないけれど、私のこの態度が風向計のようなものになると思う。私のこの意志表明に対する周りの反応を見れば、臓器提供をしない選択に対する風当たりがよく分かる。

臓器を提供しない権利、家族にぎりぎりまで生きていて欲しいと願う権利が100%なんの妨げもなく認めらている状況があって初めて、純粋な善意が発生しうるのです。良心の呵責や、周りからの圧力などの不純物が1%でも含まれていてはならない。助けられる命だなんだと言ったって、他人の生存権をないがしろにして助かっていい命など一つもないんです。

だから、私は臓器を提供しない。A案提出者の連中のような無神経な議論の進め方をする人間がいる限り。臓器提供を強要するような社会の目がほぼゼロにならない限り。これは当然の権利です。

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コメント

拙速だ強引だと言うなら臓器移植をしないと助からない人達には、いかに安らか死んでいくかを考えた方が良いとハッキリ言うべきですね。日本に生まれたら臓器移植は諦めなさいと。海外でも自国の人間だけに移植する事に成るんでしょうから。

半端な対応は個人差を生みかねないし。

脳死者からの移植は完全にフリーにするか完全に禁止するのが私には得心がいきます。

投稿: たくや | 2009年6月27日 (土) 20時58分

「少しでも長く」ねぇ…。 そんなデリカシーがあるんですか?(←自閉w)

脳が死んで、意識が全く無いような状態でも、ただ「生きている」だけで 価値がある?

みんなはどう思う??

投稿: オールドニック | 2009年6月27日 (土) 21時24分

たくやさんへ

>拙速だ強引だと言うなら臓器移植をしないと助からない人達には、いかに安らか死んでいくかを考えた方が良いとハッキリ言うべきですね。

まだ日本国内での移植手術の件数を増やす余地はあると思いますけどね。
脳死状態とはいかなる状態なのかという情報をしっかりと開示し、
国民的議論を巻き起こし、生前の臓器提供意思確認の徹底を図る。
提供してもいいと思ってる人も一定数はいるはずで、その善意の活用を図るのはいいことです。
もちろんこの場合の善意は促すことも強要することも全く許されないものですが。

しかしそれでも、本人の意思確認なしに臓器提供を認める国ほどの増え方をするわけではないし、
15歳以下の子供はどうするかという問題もある。

臓器提供を望む全ての人の臓器が確保できるわけではなく、
やはり最終的には酷ではありますが、たくやさんの言うように、助かる命ではないのだ、ということを理解してもらう必要があります。

ただ海外渡航については、禁止した方が話は分かりやすいですが、そこまでする権限はないと思います。

今のところ日本人の移植手術を認めないという決断が海外で実際に下されたわけではないですし、
そのような本人の意思がなくとも臓器提供ができる国が存在している以上、
その国に対してそのような臓器移植をするなと命令することも、家族にそこへ行って臓器提供を受けるなと命令することもできない。
途上国へ行って金で健康を買うような話は論外だと思いますけどね。

よその国で実際に規制されるまでは、日本として行くなとは言えないと思います。

投稿: ニヒリスト | 2009年6月28日 (日) 03時48分

オールドニックさんへ

>「少しでも長く」ねぇ…。 そんなデリカシーがあるんですか?(←自閉w)

オールドニックさんはデリカシーがないのが障害でありウリだもんね。

>脳が死んで、意識が全く無いような状態でも、ただ「生きている」だけで 価値がある?

人間の価値を何々しているからとか、何々できないからとかで線引きするべきではないでしょう。
それは一部の障害者の存在価値を否定することにもつながりかねない危険な理論です。
人工呼吸器の力を借りていようとなんだろうと、心臓が動いて血液が還流してその人は生きている。
子供の場合は長期脳死といって年単位で生き続けることもあるんだし、
そのような形で価値がある人間と価値がない人間を規定するのは反対です。

人間の命にはすべて平等に生存権がある。
本人の意思確認なしに臓器提供を可能にするということはこの権利の侵害に他ならないのです。

投稿: ニヒリスト | 2009年6月28日 (日) 04時16分

>オールドニックさんはデリカシーがないのが障害でありウリだもんね。

医者からは大脳の感性を司る部分が発達していないと診断されましたが…(汗

みんなが善悪を決めたくないというのも、きっとデリカシーの為せる業なんでしょうねぇ。


>人間の価値を何々しているからとか、何々できないからとかで線引きするべきではないでしょう。
>それは一部の障害者の存在価値を否定することにもつながりかねない危険な理論です。

無能力者や非モテ者が、ハッキリと自分の立場を主張して不満を訴えていくべきだと思いますが、
ニヒリストさんも たくやさんも 積極的にJM活動しないと言っているから、つまらんなぁ。

つまらんヤツばっかり!…もういいです(-_-;)


>子供の場合は長期脳死といって年単位で生き続けることもあるんだし、

ホウ! その情報には目からウロコが落ちました。
植物状態を維持して 年単位で子供をかわいがれるなら、親は臓器提供に同意しない方が得ですね!


>人間の命にはすべて平等に生存権がある。

無能力者がどうやって迫害から身を守ればいいでしょうか?

JMのSNSでは もはや高知能アスペルガーの「出世志向」「個別努力主義」に反対することが許されない状況になっています。
「ジョージ・リークツは他人の足をひっぱる奴だ。 自閉のグズだ」 と言われ、オフ会で意気投合した高知能アスペルガーだけで夢を語り、
「有資格者同士で会社つくりましょうね♪」 と楽しげに話が弾んでいます…(-_-;)

虚無主義JMは役に立たないし、低知能JMは批判する勇気が無いようだし、
結局ジヘーメーソンも実力者の言いなりなんですね(ーー;)

もういいよ。 デリカシーか何か知らないが、お前らはクズだ。

投稿: オールドニック | 2009年6月28日 (日) 08時57分

 
これは随分と昔に聞き齧った情報なので、ソースとしての信憑性に疑わしい面も多々有ると思いますが、自分としては充分に納得出来る内容だったので、此処に書き込ませて頂きます。

脳死による臓器提供の場合、提供者は苦痛を和らげる措置を一切施されない。
理由は勿論『脳死状態』だから。
よって仮に(実際は多々あるケースとの事)提供者が苦痛を訴えるような反応を示したとしても、其れはあくまで『反射』に過ぎないという認識が為されている。

上記の話を聞いて、自分は『安楽死』や『死後献体』と『脳死による臓器移植』は全く別の次元であると感じました。
もし自らの意志で『脳死による臓器移植の受諾』を選択していたとしても、其の人は事前にこう云った或る種のネガティブイメージの情報も聞かされているのでしょうか?
そして其れを理解し納得し受け入れた上で、『脳死による臓器移植の受諾』を選択したのでしょうか?


>子供の場合は長期脳死といって年単位で生き続けることもあるんだし
生きているだけではなく、成長もするんですよね?脳死状態でもホルモンなんぞは分泌されている?
…ホルモンとかは脳が分泌の指令を出すのではなかっただろうか?ならば例え『不自然な生』でも脳の一部は確実に生きていると云えるのでは?
痛覚とは多くの生物が生きる為に必要な機能のはず(無痛症の人は短命なケースが多いらしい)。ならば如何して其の根源的な機能が失われているなどと容易く判断するのか?
現代医学で以て脳の領域は全て解明されているのか?若しくはそう思い込んでいるか何かを隠蔽しているのか?

この胡散臭さが拭えない限り、自分は『脳死による臓器提供』は双方向とも拒否します。殺すのも殺されるのも、これ以上まっぴらだ。


投稿: ? | 2009年6月28日 (日) 09時31分

>つまらんヤツばっかり!…もういいです(-_-;)

つまんないのはJMにもとからいる連中でしょ。
何か言っちゃあ「やめようよぉ、みんな仲良くしようよぉ」とか言いだす連中じゃん。
喋る気が失せる。問題提起をする気も失せる。私はあのJMの雰囲気自体が大嫌いです。
一体何の動機で集まったメンバーなんですか?

JM活動って言ったって、JM自体が議論も活動もしてないのにそんなの成立しえないでしょ。
私が何かやるとしたってそうれはもうJM活動じゃなくて私の活動ですよ。
あの人達を説得してる間に本が何冊読めるかしれない。ほんと嫌い。ウザい。クズはそっちです。

>結局ジヘーメーソンも実力者の言いなりなんですね(ーー;)

SNSだかなんだか知らないけどそんな密室で行われていることを私が知るわけないでしょう。
馬鹿の言葉に乗せられて健全な議論が行き届かない空間を作るのが悪い。
そのことに対してどうにかして欲しいなら、さっさと許可を取ってSNSの内容を出せ。仕事をしろ。ヘタレ総長がっ。

投稿: ニヒリスト | 2009年6月28日 (日) 11時58分

?さんへ

>脳死による臓器提供の場合、提供者は苦痛を和らげる措置を一切施されない。

いや、厚生労働委員会で阿部知子氏が言ってましたが、
脳死状態の患者から臓器を摘出する時は、全身麻酔をかけるそうです。
死んでいるとするならなぜ麻酔をかけるのか、脳死は人の死と言い切ることができない証拠ではないか、という趣旨の質問でした。

>そして其れを理解し納得し受け入れた上で、『脳死による臓器移植の受諾』を選択したのでしょうか?

確かに善意を活用するとしても、私も含めた国民全体に脳死に対する正しい知識が浸透しているとは言い難いので、
そこはきちんと周知徹底を図っていくべきだと思います。

>この胡散臭さが拭えない限り、自分は『脳死による臓器提供』は双方向とも拒否します。殺すのも殺されるのも、これ以上まっぴらだ。

そうですね。私もそもそも脳死ってホントに臓器提供が許されるような状態なの?という根本的な疑問があります。
そこは色々と詰めていきたいのですが、ドナーカードには心停止後の臓器提供についての欄もあって、
それは強制されない100%の善意が保証されるような環境が整えば提供の意思を示してもいいかなとは思ってるんです。

投稿: ニヒリスト | 2009年6月28日 (日) 12時27分

>脳死状態の患者から臓器を摘出する時は、全身麻酔をかけるそうです

そうなんですね、己のとんだ勉強不足を晒してしまいました。
此の『ラザロ徴候』という現象はかなり大きな動作である場合も多く、提供者に麻酔をかけなければ良好な状態の臓器を摘出するのは困難ではないだろうか?という疑問もありましたが。
ただ何れにせよ私達は脳死という状態についてあまりにも無知であるのは事実です。まぁHIV感染を他人ごととしてしか見る事の出来ない人が大多数を占める此の国の感性の貧しさからすれば、其れもまた致し方無いのかもしれませんが。
こんな時こそ国営放送には民放並みの宣伝を打った上で、綺麗事でも風説でもない公正な情報を国民に提供して欲しいものです。お笑い芸人でもチャラけたアイドルでも何でも使って構わない、切っ掛けは如何であれ知る事が大切なのではないかと思います。
その上で「それでも構わない、自分が脳死状態になった際は…」という人は、ドナーカードにYesを表明すればいいのです。そして万が一、其の人が臓器提供が必要な状態となった場合は、志を同じくする脳死患者から優先的に提供を受けられる仕組みとなっていればそれこそ文字通り『相互扶助』と云えるでしょう(勿論、提供を断る権利も認めた上の事ですが)。

骨髄移植もそうですが、あまりにも情報が開示されていない。それともドナーカードを作る際、ドナー希望者にはその説明を綿密に受けた上で断りやすい環境が整えられているのか?
矢張りこの問題は未だ「善意」以前の段階だという認識は振り払えませんね。

投稿: ? | 2009年6月28日 (日) 16時40分

A案が政局絡みで参議院をアッサリ通りましたね。百ゼロ思考にはA案は分かりやすくて良いんですが、他案を推す人達懸念もそうかなと思い始めてます。

特に脳死状態で人工呼吸器で命を繋いでいる人に対する医療の質や家族に対する目はどうなるのかなんてのはかなり切実だなと。一年後法的には脳死=死人ですからね。誰も何も言わなくても嫌だろうなと。

投稿: たくや | 2009年7月17日 (金) 14時54分

>A案が政局絡みで参議院をアッサリ通りましたね。

ほんとにねぇ。どうせ政局でごたつくならこの法案が通る前に解散でも民主の審議拒否でもなってくれればよかったのに、と思ってしまいました。

>特に脳死状態で人工呼吸器で命を繋いでいる人に対する医療の質や家族に対する目はどうなるのかなんてのはかなり切実だなと。一年後法的には脳死=死人ですからね。誰も何も言わなくても嫌だろうなと。

そうですね、本当に切実です。

A案提出者だって「臓器提供以外の場面では脳死が人の死であるとはしない」と言明してるんです。
だったら「臓器提供時に限って脳死を人の死とする」という現行法で問題はないはずですが、そうはしない。
法律で一方的に「脳死は人の死である」と定めてしまうことによって臓器提供を増やそうという卑怯な手口です。
助かる人がいるんだから諦めろ、と言外に匂わせているのは明らかですね。

投稿: ニヒリスト | 2009年7月17日 (金) 23時26分

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