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2009年8月30日 (日)

政治コラム&選挙について

ちょっとまたしばらくコメント欄や記事の更新が滞ってしまいましたが、それは前の記事で触れた通信講座の提出期限に追い回されていたから。月末締切なのに27日から始めるという。まあそういうやらなきゃいけない重みでいろいろ滞ってたわけです。とりあえず前回提出したものが返ってきたので載せときます。

今回の選挙日程に至るまでの麻生総理や自民党の迷走ぶりは確かにひどいものでしたが、この間の報道による批判も「麻生たたき」というよりはさしずめ「麻生からかい」のようで、大変見苦しいものでした。

総理が発言する前から「中堅議員」や「党幹部」による情報が洪水のようにあふれ、散々大騒ぎした挙句「断念、失敗、やっぱりダメだ麻生太郎」の大合唱。役員人事問題などで麻生総理が指導力を欠いたのは事実としても「そんなことをやっている場合か」と批判すべきところで、一緒になって不人気総理をからかって遊んでいるようでは、批判する方も資質を問われます。

自民党の「麻生おろし」の動きについても、無節操と断じるのは簡単ですが、あの自民党議員たちに「人気者を担げば選挙に勝てる」と思わせたのは、実はメディアも含めた私たち自身だったのではないでしょうか。

2005年当時、小泉首相が郵政民営化に賛成か反対か、と民意に訴えた時、熱烈な支持によってそれに応えた事実がある。他の政策の評価もそこそこに、自民党を圧勝に導いた過去がある。それこそが今の政治的堕落の大きな要因であると思います。

今の麻生総理に対する批判はその小泉ブームを裏返しただけのように見えます。それが民主党への猛烈な追い風となっている。しかしメディアやその影響を受ける世論の「風」によって選挙の大勢が決まるような状況はもうやめにしなければなりません。私たち自身が過去の過ちから学び、何かを変えてくれそうな人間ではなく、確実に今の政治を変える力を持った政治家を選び出さなければならない。

政治家は私たちの社会を映し出す鏡のようなもの。彼らの醜態を自らの責任と切り離して論じることはできません。選挙を控えて色めき立つのも分かりますが、投票日までの約1か月は民主圧勝の助走期間ではなく、本気で各党の政策を問う期間とするべきです。

私が出した文章はこんな感じです。いつもの毒舌を排して「真面目に」書いてみました。気になる評価のほうは…。

言いたいことをきちんとした文章で表現することができています。ですます調はともすると冗長で不自然なものになってしまいがちですが、今回はうまく処理されています。構成について、前半のメディア批判は説得力がありますが、後半はやや舌足らずになってしまったようです。後半部分にもう少しスペースを割いて文章化してもよかったかもしれません。

ま、かいつまんで言うとこんな感じです。確かに後半部分は800字の縛りで帳尻合わせのようになってしまった自覚はある。800字ってここで普段書いてる量を考えるとものすごく少ないんですよね。

でもまあ初回としては順調ではないかと。今月は裁判員制度について書きました。率直にいえば「こんな民度の低い国で裁判員も糞もあったもんじゃねえ」となるんですが、そこは冷静に制度の問題点を書かせていただきました。これも来月末に返ってきたら公開します。なんかブログのネタがこれだけになっていきそうな気がするのはきっと気のせいだと思います。

さて今日は4年に一度の総選挙の日。私はまだこれからです。ぎりぎりまで世の中から忘れ去られている裁判官の国民審査のための情報を集めています。メディアが国民審査のための情報を一切提供する気がないのはなぜなんでしょうね。ネットで調べたって判例などが分かりやすくデータベース化されたものがあるわけでもないし、一人ひとりしらみつぶしに自分で探すしかない。

まあ普段からちゃんと最高裁の判決に注意を払えってことなんだろうけどさ。最高裁判所裁判官の名前ぐらい全員そらで言えるぐらいじゃないとだめなんだろうけどさ。今後4年間はだれを罷免するかについて日々もっと真剣に考えたいと思います。今回はとりあえず9人中5人の罷免理由を見つけたところで時間切れでしょうか。

それでまあ政治家を選ぶ選挙のほうですが、今回は民主党系の候補に入れようかと思っています。民主党を支持しているわけでも今回の追い風に乗っかるわけでもないのですが、うちの選挙区からは民主党にしてはいい人が出ているので…。ただよりまし論はいつも良心が痛みます。「所詮は民主党だぞ、小沢がいる党じゃないか」という声が聞こえてくる…。でも選挙は候補者を見て選ぶものだし、比例は遠慮なく共産党に入れるつもりだし。

自分が票を入れた人が国政にいるという事実も大事だし、今後の行動をきちっと監視していくということで自分を納得させます。

それでは、今日の選挙について近いうちに書けたら書きます。

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2009年8月 7日 (金)

やっつけ記事

なんだかんだで1カ月近く更新が滞ってしまいました。早いですよねぇ、1か月。嫌になる。

今回は肩慣らし的に適当な身辺記事です。

ここ数日は政治コラムに取り組んでました。新聞の社説とかを題材に800字の文章を書いて提出するという通信講座をとってみることにして、私は麻生総理関連のごたごたをネタに原稿用紙と格闘しとりました。800字に収めるというのが意外と難しい。自分の書いたものを他人に評価されるのは初めてのことで、何を言われるかやや緊張。今月末に添削された文章が返ってくるので、そしたらここに公開しようと思います。1月に一度の提出なので、次回は裁判員制度について書いてみるつもりです。

次はバイト先でのある出来事について。そのバイト先にすべてを一人でこなすにはちょっと無理があるかな、というレベルの作業がありまして、一応補助役の人がいてくれるのがベストなんですが、そんなに人の余裕がある職場でもないので私が一人でやらなければならないことも結構あるんです。で、そのことを休憩時間を一緒に過ごすことが多いおばさんがとても気にかけてくださって、他の人に手伝いを頼んでくれたりいろいろするんです。

(因みに作業の詳細を書かないのは万が一にも個人の特定を避けるため。分かりにくさは想像力でカバーしてください。)

私としては誰かにものを頼むということは言うまでもなく苦手だし、そんなことを頼むぐらいなら一人でやったほうがマシ、というか作業自体、補助役の人とああだこうだ接触するよりは全部一人でやったほうが気が楽ぐらいに思ってるのでそんなに気を遣っていただかなくともいいんですが、まあ気を遣ってくれるんです。そのおばさんはちょっと体に故障を抱えていて自分は補助ができないので、よけいかもしれません。

そんな中、そのバイト先では3つに分かれて作業をするんですが、私の補助役がいないとき、別のグループにちょっと男の人が固まってたんです。「そこにそんなに人いる?補助やってあげればいいのに」とそのおばさんは思ってたんでしょう、そのグループが先に終わってこちらの補助に回ってくれる段になっておばさんがキレた!

「なんで○○さんがそんな作業やってるの?補助やってあげてよ!」と言い出して、しかも「私の代わりなんていくらでもいるけど、彼女が今故障したら代わりはいないんだからね!」と続けたんです。

「代わりがいない」。この言葉はやっぱりそれなりに重要で、本当に突き詰めていけば物理的な労働力として「代わりがいない」ということに過ぎないんだけど、それでも相当な破壊力がある言葉です。現実世界で他人の言葉が私に何か影響を及ぼすということはそうないことなんですが、さすがの私もちょっと嬉しかった、というか動揺しました。その場では言われた男の人にも悪いので終始苦笑いでしたが。

私という人間はなぜこうまで恵まれているのだろう。第一には親に。第二は育った場所に(私はフリースクール育ち。刑務所、いや学校は4年で出所しました)、第三には今の職場。あんた今までの人生で一度でも困難にぶち当たったことがあるのか?と聞きたくなるぐらい順調な人生です。この性格がなければね。

はっきり言ってこれがなければ私は能天気な幸せ者だったでしょう。そういうわけで、私は経験によって歪んだのではなく、最初から歪んでいるんです。だから私が見るものは全部歪んで見えて、それを受けてまた私自身も歪んでゆく。こうなるとなにがなんだかわからない。物事にはすべて理由があるというけど私にはなんにもない。なんにも。

この社会には今、承認欲求が渦巻いていて、今ここに存在していることを無条件で認められたがっている人が大勢いる。私はもうある程度幸せだから、自分で自分を承認できるんです。他人を必要としないんです。他の多くの不安定な人よりはね。だから私にはあんなおばさんの気遣い的な出来事はもう必要ないのに、そういう出来事が私に起こるという不条理。私は、もういい。

こうやって現実と私の精神状態がますます乖離していく。幸せなのになんか幸せじゃない。なぜ?

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