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2011年3月22日 (火)

社会不安障害でした

どうも。前回の記事に引き続き、どんどん自分の内面的な話をぐちぐち書いていくつもりだったんですが、例の震災によって私も世の中もそれどころではなくなってしまったため、書くに書けなくなっていました。

あれから十日以上経ち、被災地はまだまだ大変な状況で、原発も危機的な状況ではありますが、私は私の話をそろそろ再開させていただきたいと思います。あの震災で被害を受けたり亡くなったりした方には本当に申し訳ないですが、「ご冥福をお祈りします」なんて口上を並べても上っ面だけな気がする。だから「私は今日ものうのうと生きています。電力や食料を消費して、物資の満ち足りた東京で。」ということは言っておきます。ごめんなさい。

話を始めますが、地震があったあの日、私は実はクリニックにいました。そう、前回の記事で書いたように、精神科(看板は心療内科なのですが)を訪ねてみたのです。大量に渡された問診票にせっせと書きこんでいる最中に地震が起きました。ビルの上の方だったことも手伝って尋常ではない揺れを感じやや慌てましたが、そんなことより気になったのはそこにいた人が口々に「怖かったですね~」等のコミュニケーションを取っていたこと。

「何だ普通にできるんじゃん」と私は思ってしまった。あんな時ですら私は「他人と口を利かなきゃなんねぇのがめんどくせぇ」と思ってました。それは確かに私だってあれだけ揺れれば少しは恐かったけど、だからって何故それをあなたと共有しなければならないわけ?今日会ったばかりのあなたと。みんな口々に「家で一人でいる時じゃなくてよかった」と言ってましたが、私は素直にそんな風には思えなかった。こんなところに治療に来てまではみ出し者なのかと思ったら泣きたかった。

そんな紆余曲折はありつつも、診察を受けました。いくつかの質問に応え、視線恐怖の症状を説明し、社会不安障害ではないか、ひいては回避性人格障害も当てはまるのではないかとの話をしたところ、「その二つを治療していくという感じでいいんじゃないか」との返答でした。きちんとした診断というよりは「あなたがそう言うならそうなんじゃない」みたいな雰囲気だったのはやや引っかかりますが、問診票も書いて質問にも答えたんだからまあそうなんでしょう。正式な診断としてはどうなのかということを次回以降は聞いていきたいと思いますが…。

で、薬も出ました。SSRIというセロトニン再取り込み阻害剤(脳内のセロトニンの量が安定すると気分の落ち込みが緩和されるそうです)と、それが効きだすまでの即効性が高い抗不安薬、それと副作用の胃のむかつきを抑える胃薬。そういうものへの偏見や恐れはほとんどゼロに近い私は(強いて言うならこの程度のことで薬を飲むなんて甘ったれかしらとの思いは少しあったけど)好奇心丸出しでクイっと飲んでみました。さあどこまで効くんだ。私の性格は?症状は?と。

飲んでみて、少し症状が改善してみて思ったのは「やっぱり私は普通じゃなかった」ということでした。人とすれ違ったり、店で店員と接したりするだけで不安を感じてイライラするのは普通じゃない。早朝のバイトから帰ってくる時も、人とあまりすれ違わなければ当たり、人とたくさん遭ってしまえば(誤字でなく、わざと「遭う」なんです)はずれと考えていて、はずれの日はもの凄く不愉快でした。他人を悪意を持った物体としてしか認識できてない。そんな状態はやっぱり普通ではないんです。

私は治療には消極的でした。前回の記事でも触れましたが、卑屈に生きていくことが私のアイデンティティだと思ってたんです。人と普通に関われるようになることなんて望んでなかった。でも私は本当にこれからもずっと、他人と接するたびにこんなに惨めでしんどい思いをしていかなければならないんだろうか。社会不安障害の発症年齢の平均は結構若い。それに照らし合わせても私はおそらく14、5歳の時にこの障害を発症し、そのせいで惨めな思いをしてきたんだと思う。それを今後もずっと続けていくの?本当にそんなものが私のアイデンティティなんだろうか。

一つエピソードがあります。信号のない横断歩道を渡るとき、車が止まってくれることがありますよね。私はそういう時、運転席が直視できなかったんです。だって私の世界の中では運転席に座っている人は明確な悪意を持って私のことを見ているんだもの。「早く渡れよ、邪魔くせえな」等、その他あらゆる悪意を持って私を見ている。だから私は車と対峙するのが嫌で、道を渡る時も車から逃げ回っていました。

でも薬を飲み始めて、何の気なしに、なんの気負いもなしに、ふと運転席を見やることができました。そしてその運転席の人は軽く会釈をして走り去って行きました。たったこれだけのこと。たったこれだけのことが私にとってはこれまで何年も耐えがたい苦痛だった。そう思ったら、もういいだろうと。もう何年も十分に苦しんできたんだから、それは治療してみたらどう、と自分に言ってやりたくなりました。

私はなんだかんだいって自分は普通に「社会生活」を送れていると思っていたんです。ひきこもってもいないし、自傷行為もアルコール依存も薬物依存も拒食も過食もしてない。バイト先でのつまらない会話も覚えたし、そこそこ外の世界と接点を持って普通にやれちゃってるじゃん、と思ってた。でも私のは「社会生活」ではなくただの「生活」だったんです。不安を感じる状況を避け、そしてそれが当たり前になり過ぎて避けているという自覚すら希薄になって、今の自分の安定した生活の外に、私にはできないことや、するのに苦痛を伴うことがあまりにも大量に存在しているという事実を忘れていたんです。

別に世間的な道徳を持ちこむつもりは毛頭ない。今の私は間違ってないし、「もっとこうあらねば」とも思わない。ただ客観的な事実として、私は自分ができてると思ってるほどには何もできてなかった、ということに気付いたのです。薬を飲んで、少し「普通」の世界を垣間見てみると、「あんた、その障害を抱えたままどうやって生きていくつもりだったの?」と言いたくなる。

できないこと=悪いこと、劣っているという図式にははまりたくない。けど、できないことがあまりにも多過ぎて、そのせいで辛い思いをしているなら薬の力を借りるのも悪くない。というか、私は自分で思っていたよりもずっと、治療が必要な状態だった。なにもパーティーに出たり友達を増やしたりしたいわけではないけれど、私の行動はあまりにもこの障害によって、この社会不安障害という病気によって制限されていた。こんなことはもういい加減にしたい。終わりにしたいんです。

だから私は本格的に治療に乗り出そうと思う。薬も飲むし、診察も受け続ける。ただなるべくこれまでの自分を否定しないように、ネクラであるというアイデンティティを損なわないように細心の注意を払いながらやっていくつもり。最終目標は「もっと底意地の悪い人間になる」です。思ってもいないことを飛びっきりの笑顔で、どうでもいいことを自動再生、ぐらいの狡猾さがなければ世の中やっていかれないもの。

思えば2009年の年末2010年の3月の記事にあるように、この頃から私はそういう人間になりたがってた。不安障害という私がうまくいかない理由を突き止めた今、更にこの目標に向かってまい進すべきと言えるでしょう。考えてみれば思ってもないことを平気で言いたいという欲求自体、私がアスペルガー症候群ではないという証左よね。私はそんなに正直者でも純朴でもない。ただ不安障害によって縮こまっていたから性格の悪さが顕在化してなかっただけなんだわ。

私はきっとなってみせる。多数派とのコミュニケーションでまごついたりおどおどしたりなんかしない人間に絶対になってやる。もう惨めな思いなんてするもんか。自分の身は自分で守るしかない。一般人との会話で疲弊するなんて本当に無意味です。そして私はもっと活動の幅を広げるのです。

「回復」の過程はまたここで記事にします。私が底意地の悪い人間になっていく過程。

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コメント

>社会不安障害ではないか、ひいては回避性人格障害も当てはまるのではないかとの話をしたところ、「その二つを治療していくという感じでいいんじゃないか」との返答でした。きちんとした診断というよりは「あなたがそう言うならそうなんじゃない」みたいな雰囲気だったのはやや引っかかりますが、

あぁ、やっちゃいましたね。

今の精神科医は、たとえそうじゃなくても、患者の求める病状を否定しないまま言うんです。
例えば、アスペルガーじゃないのに患者が「自分はアスペルガーじゃないか?」と言ったら、その通りに診断を下すこともあります。

「~という病気じゃないか?」と言わなければ、もしかしたら違う病状を診断された可能性はありましたよ。
また、もらえる薬も違ったでしょうね。薬が体の性質に合ってればいいのですが。

投稿: おまきん | 2011年3月24日 (木) 13時28分

がーん、やっぱり?

私から言ったというよりは、私が「自分がなんなのかハッキリさせたくて来た」という話をしたら「自分では何だと思って来ましたか?」と聞かれたのでそう答えたという感じなんですけど…。

本をなどを読んで納得している病名でもあるので、違和感等はありません。
でも医者側の所見もきちんと聞いてみたいので、次に行く時は正式な診断、軽度なのか重度なのか、人格障害にもかかっているのかなどを聞きたいと思います。

薬はルボックスとリボトリールなんですが、今のところよく効いているように思います。
人とすれ違うことや挨拶、職場の人間と口を利くことなどが楽になりました。

投稿: ニヒリスト | 2011年3月24日 (木) 19時27分

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