2008年10月 3日 (金)

小物、橋下徹について

広島地裁が橋下知事に800万円の損害賠償の支払いを命じた。って当然だよね。正当な弁護をしている人達の主張を何の根拠もなく荒唐無稽と決め付けた上、懲戒請求を煽って辞めさせようとするなんて。悪質な妨害行為以外のなにものでもない。同じ弁護士をやってる人間のすることとは思えんね。信じられない。

それで、どんな逃げ口上をのたまうのか?自分のやったことが間違いだとは思っていないとか言って居直るのか?と刮目してたらば、あっさり「申し訳ありませんでした」と。自分のやったことが違法行為であったとすんなり認めたのです。なんだそんなもんか、あれだけ非常識極まりない事を偉そうに撒き散らしてたわりに法律にはあっさり従うわけね、と思ってたら控訴するとか抜かしやがる。

はあ?なんですか?申し訳ありませんでした、はい控訴ってわけ?そんな話、筋が通らない。その時点であの「申し訳ありませんでした」は心にもなかったと言ってるのと同じじゃない。誠意の欠片も感じられない。

今回のこのような態度はあの男の小物っぷりを如実に表しているのです。本当に自分のやってることが間違ってないと思うなら謝罪なんてせずに堂々と控訴すればいい。でもそれをやってこの先も高裁、最高裁とまた敗訴してしまったら自分が困るわけですよね。だからとりあえず謝っといて傷口を広げないようにしつつ「日本は三審制ですから」なんてたわ言を抜かして「もしかしたら自分の主張が認められるかもしれないし?」ぐらいの中途半端な根性で控訴しているのです。小物!ザ・小物!こんな奴が知事なんて大阪は腐ってる!…まあ東京も人のことは言えないからこの件に関しては黙りますが。

潔く自分の間違いを認めるのは嫌、かといって「俺は間違ってない!」と自分の主張を貫き通す度胸もない。なんとなく謝ってなんとなく「まあ他の方の意見も聞いて見ましょう」レベルの気持ちでの控訴。久々に本当に腹が立ちました。はっきり言ってこんな男が子供を5人も6人もつくっているのはこの社会にとって害悪です。本当にやめていただきたい。

私は光市の事件に関して以前こんな記事を書いています。あまりうまく書けているとは思いませんが、要するにこの間の広島高裁の差し戻し控訴審では弁護団が地道に積み上げた物的証拠は全て無視され、検察側のめちゃくちゃな事実認定がそのまま採用され不当に重い死刑という判決が下されてしまったというのが私の考えで、そのような事が書いてあります。

この事件に対するマスコミの報道の仕方も本当にひどかった。BPOが「巨大なる凡庸」と形容するのも頷けます。ぜひリンクをたどってBPOの委員会決定を全文読んでみてください。非常に優れたテレビ批判だと思います。

私は自分なりに色々な情報に触れて考えた結果として、元少年の供述やそれを信じ物的証拠によってそれを証明しようとしている弁護団の主張が荒唐無稽だとか、死刑廃止のための詭弁だとか謀略だとか、そんなこととても思えません。

ドラえもん発言や死姦は生き返らせるための儀式だったなどの発言が世間的にどう思われるかという事は弁護団の方達も分かってたはずです。それでも元少年にとっての真実を重視し、その真実に見合った刑罰を受けさせようとした弁護団の方たちの行動は尊敬に値します。

世間の反発を招かない形で検察のストーリーを丸呑みしてその上でできる限り罪を軽くしようという戦略だって充分成立し得たはずです。でも安田さんを始めとする弁護団の方たちは少年の真実にこだわった。これは凄いことだと私は思います。弁護団の方たちはむしろ裁判に対する戦略や駆け引きなんて排しているのです。

そういう素晴らしい弁護士が悪魔のように言われる国ってなんなんでしょうね。こうして今日もまたこの国が嫌いになる。

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2008年6月13日 (金)

秋葉原無差別殺傷事件 携帯書き込みを見て

見つけた、加藤智大の携帯書き込みがいっぱい出てるとこ(ここね)。読めば読むほど苦しい。分かる部分はとっても多い。だけど分かったような顔はしたくない。私のような人間には人を理解する能力も救う能力もないのだ。それが痛いほど分かってるから余計苦しい。私は彼の言う「幸せな奴」に入ってしまうのだろうか?人の苦しみってのはどうしてこうも…ああ嫌だ。

全体を通して不細工な自分というものに対する劣等感たるや半端なく、「不細工な俺」という言葉が出てくるたびに私はその自虐的な響きにやられてしまう。親しみが湧いてしょうがないのです。「そんなこと」で、今まで色々言われたりしたんだろうけど、でもやっぱり「そんなこと」で、うじうじ悩んだり、諦めようとしたり、でもやっぱり諦められなかったりしている様は滑稽だけど、だからこそ魅力的でもある。悩み苦しんでる人というのは素敵だ。その人の悩みや苦しみが深ければ深いほどに。

どうでもいいじゃん顔なんて。確かに今はイケメンだとか美人だとか、可愛いカッコいいばかりが持て囃される世の中かもしんないけど、そんなの大多数の人間の価値基準が狂ってるんであって馬鹿なんであって。その価値基準からどう外れるか、その分類では下層に位置せざるを得ない自分をどう自己肯定できるか、これが大事。でもそれを達成するには最低でも一人ぐらいは今の自分を無条件に受け入れてくれる人間と出会っとかなきゃ無理。周りの誰もが世間の腐った物差しで自分を測ってくるのだとしたらそこから外れるのは難しいよね。自分が腐るか物差しを叩き割るか二つに一つ、あの人はその物差しの叩き割り方がまずかった。

誰か一人でも世間のつまらない枠組みからあの人を引っ張り出すことが出来ていたらこんな事にならなかったのに。いいんだよ不細工だって。この社会に適応できなかったってだけでもそこら辺の奴よりずっと魅力的なのに。誰からも愛されず認められずにここまできたんでしょう。殺人という事実を度外視すればこの人は何も悪くない。おそらくああいう境地に至るまでには何度ももがいたはずだし行動もしたはず。でもうまくいかなかった。誰だって傷つくのは怖い、拒絶されるのは怖い。そんなにいつまでもは頑張れない。だから最終的には諦めて自分の殻に閉じこもらざるを得ない。でも人とのつながりを完全に諦めてしまう事もできない。加藤智大の「イライラする、まだ何かに期待している自分にイライラする、諦めれば幸せになれるのに」という言葉はその人間の苦しみを端的に表しています。

んなこと言ったって私の理解度なんてクソみたいなもんだろう。それに今更ああだったよねこうだったよね、と言ってみたって仕方ない。焼け石に水、覆水盆に返らず。私はあの人に何もできなかった。社会からの落伍者、離脱者、不適合者を自任する私なのになんの異なった価値も伝えられなかった。誰の何の役にも立たず駄文を書き連ねるだけの私なんて生きててなんになるんだ。それでもここでだらだら書くのは、クソワイドショーのクソコメンテーターよりは加藤智大の事が分かっていると思うから。

苦しいのはみんな同じとか言う奴の鈍感さが私は我慢ならない。みんな同じ?お前ともかよ。お前と加藤智大の苦しみが同じ?笑わせるな。あなたが普段当たり前にやっている事の一つも加藤智大は満足に出来なかっただろうし、あなたが普段当然のように享受している事の一つも加藤智大は享受してない。みんなにとっての当たり前が自分にだけ当たり前じゃないこの不全感がお前に分かるのかよ。みんな同じって言うけどだったらなんで加藤智大には理解者が一人も現れなかったの?みんな同じなら何でお前は加藤智大が犯罪に至るまでの経緯をちゃんと説明できないの?みんな同じならあんなに思い詰めなくたってよかったじゃん。悩みが共有できる人がいたならあんな事にはならなかったんですよ。それが見つからなくてああいうことになったという事実が加藤智大の苦しみが大多数の人間のそれとは違っていたという証左でしょう。「普通」って幸せですよ。楽ですよ。クソつまんなくもあるわけですがね。

派遣などの人間使い捨ての労働環境を今回の事と結びつけようという向きもあるようですが、そんなものは問題の矮小化と言うしかない。確かに生活が不安定だということは精神的にきついのでしょう、でも本当にきついのはこの社会に受け入れてもらえないという事じゃないのか。労働環境がしっかりしたってこの社会の排他的な態度が改まらなければどうしようもない。顔で弾かれ性格で弾かれどう精神を健全に保って生きていけというのかね。無理でしょ。

私は加藤智大という人間が好きです。何も知らないけど、17人殺傷という事実と携帯書き込みしか知らないけど、それでもそこら辺の人間よりはずっと親しみを感じる。感情として死刑になって欲しくないし、死刑制度廃止という思想からも死刑には反対していきたいと思います。私は刑務所で罪を償った彼を社会の一員としてもう一度この社会の中に受け入れたいと思う。なんにしてもバイト先の誰よりもテレビの中の犯罪者が身近な存在というこの状況は決して幸せではないですね。以下例の掲示板から心に留まったものを少し載せます。

06/03 10:45
表面だけの薄っぺらなつきあい

06/03 10:50
それすら希薄

06/03 17:00
髪切った
不細工のくせに、髪切った

06/03 17:09
リコピンにはストレスを抑える効果がどうのこうの
トマト、食べようかな
一人で

06/03 17:12
新入社員の群れが乗った
電車の中で大騒ぎ
高校生と変わらん

06/03 17:13
こういう「明るい」奴じゃないと彼女はもちろん女友達もできないんだろ

06/03 17:33
歩くの辛い 俺だけ一人

06/03 17:42
女子小学生に話しかけられた
華麗にスルーした

06/03 17:42
どうせ不細工なおっさんですよ

06/03 18:39
人口の男女比はおおよそ1:1なんだから、そんなにたくさんの男性が余るわけがない

06/03 18:40
余る理由はただ一つ、イケメソがたくさんの女性を確保してるから

06/03 18:40
俺が余る理由は不細工だからだけど

06/03 18:52
電気くらいつけよう

06/03 18:54
部屋は明るい
気持ちは暗い

06/04 00:55
勝ち組はみんな死んでしまえ

06/04 00:55
そしたら、日本には俺しか残らないか
あはは

06/04 00:58
俺がなにか事件を起こしたら、みんな「まさかあいつが」って言うんだろ

06/04 00:58
「いつかやると思ってた」
そんなコメントする奴がいたら、そいつは理解者だったかもしれない

06/04 08:33
「無事故で帰ろう。あなたを待ってる人がいる」
安全標語だそうでバカにされてる気分です

06/05 05:24
社交性を持てって
お前らが不細工と関わらないんだろうが
お前らが避けてるんだろうが

06/05 05:29
何が彼女のモーニングコールじゃ
死ねばいいのに

06/05 05:30
どうせ一人だよ
悪いかよ

06/05 05:45
何も考えてない奴らって幸せそうでうらやましい

06/05 06:17
作業場行ったらツナギが無かった
辞めろってか
わかったよ

06/05 06:19
鮮やかに帰宅
やってらんね

06/05 06:47
美しくなんかなくて
優しくもできなくて
それでも呼吸が続くことは許されるだろうか

06/05 06:56
その場しのぎで笑って
鏡の前で泣いて
当たり前だろ
隠してるから気づかれないんだよ

06/05 14:23
永遠の愛?
んなもん、あるわけねぇだろ

06/05 14:57
雨、やんでる
素晴らしいことだ

06/05 15:00
俺、病んでる
素晴らしいことだ

06/05 15:45
「ちょっとしたことでキレる」
幸せな人がよう言う

06/05 15:46
ギリギリいっぱいだから、ちょっとしたことが引き金になるんだろ

06/05 17:06
ティラミスのチョコレート吸い込んだ
苦しい

06/05 17:22
小魚の骨が刺さった
痛い

06/05 17:57
プレゼントね
大事な友達にお礼がしたくて、でもお金が無くて、マフラーを編んでみたことがある

06/05 18:05
結局、来るなって言われて渡せなかったけど
一人でバカみたい

06/05 18:05
ほどいて捨てた
二度と編み物なんかしないし

06/06 09:33
こんなメールが来た
>ネガティブな言葉は使わない方がいいと思うょ
面白くなくても☆笑顔を作ったり☆願いや希望を常に想い続けたり☆ポジティブに過ごすほうが☆ずっと楽に生活できるはずだょo(^-^)o
難しいかもしれないけど頑張ってね~(^_-)-☆

06/06 09:36
いちいちごもっともなんだけど、それに疲れたの
幸せ者にはわからないだろうけど

06/06 11:14
酔った
気持ち悪い

06/06 11:15
俺の顔の方が気持ち悪いですかそうですか

06/07 19:36
「死ぬ気になればなんでもできるだろ」
死ぬ気にならなくてもなんでもできちゃう人のセリフですね

なんか引用しだすときりがない。髪を切るという行為一つとっても不細工のくせにという言葉が入る卑屈根性は私の胸にどストライクでした。明るいに「」をつける感性もよく分かる。時に何も考えてない奴が羨ましく見えるのも。美しくなんかなくて、優しくもできなくて、それでも呼吸が続くことが許されるだろうか、というメッセージは私の胸に居座ってどかない。

この引用ではそれほど取り上げませんでしたが、随所に一人、不細工、彼女出来ない、友達欲しいとあって、これはもうややあって追い詰まった後といった様相です。なぜなら人間というのはやっぱり見栄を張るしプライドもある。寂しいとか友達欲しいとか本来ならおおっぴらには言い辛い事だし、寂しくたって寂しくないって言うんですよね、ある程度余裕のある人間なら。それをあそこまで自分を刃物で切りつけるみたいに何度も何度も言うというのはもう誰かに見付けてもらいたい、救い上げて欲しいという欲求が極限まで高まっている状態だったといえる。

そんな風に追い詰められたきっかけの一つでもありそうなこれも見つけた。友達になりたいとか言って寄ってくる奴はいたようだけど、そのままでいいって言ってくれた人は一人も居なかったんだね。私だったら絶対そう言ったのに。学歴だとかファッションだとか前向きにだとかそんなんどうでもいい。ただ一言そのままでいいって私なら絶対そう言った。助けられただなんておこがましくてとても言えない、でももしその掲示板を私が見てたら、とどうしても考えてしまいます。しょうもない自己啓発めいた事を言う奴なんかよりは私の方が少しはマシだったんじゃ…?時間が戻せるならあの人の掲示板に書き込んでみたい。何も変らないかもしれないけど、でもどっかで私なら助けられたんじゃないかという思い上がりに近い気持ちがある。

今日はこのことを考えていて一日潰れた。明日も明後日も潰れるかもしれない。ああなる前に何とかできなかったのかな。あの人の書き込みを見れば見るほど私が追い詰まる。辛い辛い辛い。なんだかだんだんシャレにならないレベルになってきそうだ。

それと前回の記事に志村建世さんのブログからトラックバックをいただきました。なんだかだらだら長くなってしまったのですが、お返しにこの記事をトラックバックします。ありがとうございました。

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2008年6月11日 (水)

秋葉原無差別殺傷事件

気が重い。弊害あるかもですが、私は殺人事件には興味がなくマスコミが騒ぐたびにケッとか思ってたんですが、今回の事件は少し違う。たくさんの人が死んだからとか関係のない人が通り魔的に殺されたからとかじゃなくて、加藤智大その人の存在によって私にとってこの事件は深く印象に残った。携帯サイトなんかの書き込みを見ているととても他人事じゃない、というかむしろ「分かる」という部分が多くやりきれない思いが募る。

私は社会不適合者です。以前社会に適応したくないという記事で社会に適応してっちゃってどうしようみたいな事をふざけて書きましたが、あんなものは本当に冗談というか生ぬるい話で、究極のことを言えば私が社会に適応できるはずはない。学校、結婚、家族、労働などに関して日本でスタンダードとされている考え方からはことごとく外れているし、今更あわせる気もない。しかもそういう思想面だけでなく私は性格面でも日本的価値観からすると落第点でなにせとにかく暗い。私なんか、私みたいな人間はどうせ死んだ方がいいんだ、といつも思ってる。私ほど無価値な人間もそういないと思うのね。だから、…だからなんだろう。何が言いたかったのか分からなくなってきた。

私が死んだ方がいい理由。暗いから。なんでも自分のせいだと思うから。人に話しかけるのにものすごい勇気がいるから。挨拶が苦手だから。時候の挨拶に魅力を感じないから。べんちゃらが言えないから。ちょっとした事ですぐ被害妄想に入るから。人とコミュニケーションがうまく取れないから。油断するとすみませんばっかり言っちゃうから。基本生きててすみませんと思ってるから。私みたいな人間は誰にも好かれないと強固に信じてるから。自分が生きてる事を自分自身嘲っているから。しょうもない人生だといつも思っているから。と言いながら自らの無価値性に酔ったりしてるのがまたウザいから。欠陥品だから。ゴミだから。とにかくこの世にいないほうがいいから。とまあざっとこれぐらいの(たぶんもっとあるけど)マイナス思考を抱え込みながら私は生きてる。

何で急にこんな話を始めたのかよく分かりません。秋葉原の事件の話だったのに。まあとにかくこういう人間からするとあの携帯サイトの書き込みが胸に迫るといいますか。もう少し何らかの価値の転換、世間に対して吹っ切れた気持ちになれていたならあんな事件を起こすこともなかったのに、と思います。ちょっとした事だと思うんです。エリートだとか成績がいいなんてのは数ある価値の中の一つに過ぎないし、顔だってそうです。そんなものに囚われないで自分の価値を自分で見出して自分の人生を生きれたなら、あんな事にはならなかった絶対。

私は上記のようなコンプレックスの塊です。でも私は自分の人生を生きてる。自分なりの価値基準を見付けられた。寒いだの暑いだの晴れただの曇っただの、そんな事しか話す事がないのかくだらねえと思えるし、根暗で対人恐怖症チックな自分に愛着も感じている。要するに世間の価値基準とは一線を画して生きる事ができてるって事で、これは私の周りの環境や人とのめぐり合わせによる偶然の産物で私が加藤智大よりも強いとか人間できてるとかでは間違ってもないのですが、紙一重だよな、とほんとに思って。私みたいな人間が人も殺さずに「まともに」生きてて、それって結構すごい事ですよね。

そんなわけで、とてもじゃないけど気持ち悪いとか不気味だとか信じられないだとかいう感想を抱く気にはなれない。でもそれが被害者感情を無視してるとか不謹慎だとかいうわけではないんだと私は思ってる。というか思いたい。何かこういう事件が起きた時、被害者に同調して犯人を断罪するばかりがものの見方ではないと私は思うんです。許されざる犯罪が起きた、これは事実です。でもだからといって排除して「はいお終い」では済まない。刑罰は淡々と下す、その中で被害者支援を考える、再発防止を考える、加害者の人権も考える、これでいいじゃないですか。なぜ被害者を神輿にして発狂しなければならないのか。被害者の方は厳罰のシンボルとしてマスコミの晒し者になるのではなく、社会の中で自然に守られるべき存在なのではないのか。被害者の心情なんていうのは詭弁で、結局は自らの処罰感情を満たす道具として被害者を利用しているだけなのだという事実にさっさと気付くべきです。

彼は今刑務所で何を思うのか。私は今猛烈に例の携帯サイトの犯行当日にとどまらない全内容が読みたくてたまらないのですが、やっぱり閲覧は出来なくなっている。こういうのこそ情報公開だと思うんですけどね。本人も見られるつもりで書いてるんだからプライバシー侵害にも当たらないし。犯行に至る経緯が分かる格好の材料なのにね、マスコミとかの都合のいい抜き出しは本当に当てにならないし。世論誘導以外のなにものでもない。

久しぶりの夜更かし。早朝バイトをやってる割には結構無茶してます。中島みゆきが胸に沁みる深夜4時50分。

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2008年4月23日 (水)

光市母子殺害事件の嘘

私は少し前までこの事件についてあまりよく知りませんでした。基本的にこの手の事件に対してマスコミは腐っているので、加害者の精神的な背景などの本当の情報を受け取る事ができない。どうやって酌量の余地のない残虐な犯罪者に仕立て上げるか、というのがマスコミの仕事です。それに加えて私が様々な問題にきちんと関心を持ち始めてからはまだ日が浅い。ニュースで流れる一方的な情報もろくに取り合わずまたやってるな、ぐらいにしか思ってなかったのです、恥ずかしながら。

でも弁護団の主張など、僅かながらも加害少年に対する「本当の情報」と私には思える情報に接した時やはり驚愕しました。ここまで嘘がまかり通っているものかと。マスコミが言っていることというのはことごとく嘘です。差し戻し審になっていきなり言うことが変わったというのも、元少年の種々の行動について動機や背景を述べず結果だけを報道する姿勢も、少年に対する事実誤認を助長するものです。私は元少年には殺害の意思も強姦の意思もなかったと思っていますし、今回の死刑判決は遺憾です。

元少年の心は未発達であった、という事実がことごとく無視された結果が今回の検察のストーリー丸呑みの判決です。1審2審と供述が変わっているのが不自然だというのが殊更騒がれていますが私は不自然だとは思いません。自らの考えを述べ間違いを正すことができるのであれば、精神的に未発達であるとは言わないのです。検察にストーリーを作られてしまえばそれにきっぱりと抵抗するのは難しい。ですから今回のように自分の言い分を聞いてくれる弁護士に出会えたことは元少年にとって幸せだったと思いますし、1審2審では自分じゃない誰かが裁かれているようだった、という元少年の言葉は正直な気持ちだと思います。

元少年の供述は荒唐無稽などと言われますが私はそうは思いません。元少年は本当のことを言っていると思います。幼少時には父親の暴力があり、それによって母子一体、母親との相互依存が高まり、そんな中その唯一の庇護者であった母親の自殺に直面する。そこから父親の支配に直接的に晒されるようになり精神的発達が停止してしまった。とてもシンプルです。そんな状況に置かれれば誰だってそうなるだろう、と。そのような精神発達状況にあった少年に対して私たちの一般常識からしておかしい、というのをそのまま適用しようとするようなやり方はそもそも無意味です。

当時勤めていた会社の作業着を来て1軒1軒家を回っていた元少年は、予想に反して家の中に招かれる。工具を借りたりなんかして作業員の真似事をしている内に弥生さんに母親の面影を感じて後ろから抱きついた。すると予想に反して激しく抵抗され、想定外の事態に対応する能力が著しく低い状態にあった元少年はなんとか制止しようとしているうちに誤って首を絞め死に至らしめてしまった。その後死亡した弥生さんを見て自殺した母親を想起し、生き返って欲しいと思い姦淫行為に及んだ。

私はこれが真実だと思います。馬乗りになって首を絞めたという今回の事実認定は表皮剥脱などから法医学的に合理的な疑いが生じていますし、赤ん坊を床にたたきつけた、両手で首を絞めた、紐で首を強く絞めた、というのも同様です。法医学的にみて、このような事実は確認できていないのです。

真実とは一体なんでしょう。事件当日各戸を回っていたのは強姦目的の物色で、弥生さんに抵抗されたため馬乗りになって首を絞め、性行為に及び、赤ん坊も泣き声がうるさかったので床に叩きつけたり首を絞めたりして殺害した。この用意された「真実」を語らなければ、それ以外はすべて虚偽だと言われてしまったら、元少年の語ることには何の意味もなくなってしまう。

弥生さんに抱きついたのは母親の面影を感じたからで、死姦は生き返らせるための儀式だった。これが私たちの一般的常識から考えられようが考えられまいが、元少年が当時精神的に未発達で、実際そのような考えに基づいて犯行に及んでしまったという事実はどうしようもないのです。それを死刑を免れるための言い訳と断じるのは間違っているし、元少年が事件当時その程度の精神的成熟度であったという事実を、それを正直に言ったら嘘だとか反省していないとか言われてしまうならもう何も言えなくなってしまう。

精神的に未発達であるということはどういうことかが何も分かっていない。元少年の供述を嘘だと決め付ける根拠はなんなのか。弁護士の戦略であるといったことがまだ言われている。元少年は真実を語っている。弁護士達はその真実を話す機会を与え、元少年に妥当な刑罰を科すために尽力している。それがなぜ、批判されなければならないのか。私にはわからない。

今回のような事例が死刑になるのならこの社会はなんなのでしょう。父親の虐待、母親の自殺などによって精神的に未発達であったことは当然考慮されるべき背景であるのに、それどころか殺害、強姦の意思があったとこじつけるために弁護団による法医学の観点からの合理的疑いを無視してまで死刑を科そうとする検察、それをあっさり採用する裁判所、それに追従するメディア、世論…。

私は今日、朝のニュース昼のワイドショー夕方のニュース夜のニュースと一日中光市事件のニュースを見て、落胆しました。このような報道しか為されていない現状を心の底から残念に思います。今必要なのは元少年の供述を荒唐無稽な言い逃れだと断じることではなく、元少年の真実の声を受け止めそこから反省と再出発を見守るということではないでしょうか。元少年は本当のことを語った。後は私たち社会がそれをどう受け止めるかです。

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