2008年6月29日 (日)

さよなら江原さん

昨日のオーラの泉は酷かったですね。私はもう完全に見限りました。

狩野英孝、私結構好きなのにもう散々な言われよう。

神主は神主らしく?逃れられない宿命もある?んなもんクソくらえだ!自分の生きたいように生きて何が悪いの?生まれた時からどう生きるかが決められてる人生なんて最悪じゃん!

下衆の勘繰りとか言うけど、無償の愛というのは言わなくたって伝わるものです。本当に無償の愛だったなら「神社なんて継がなくてもいいんだよ」というメッセージを発する機会なんていくらでもあったはずでしょ?子供にそんな勘繰りをさせるほうが悪いんで、下衆の勘繰りという断罪はまったくナンセンスだ。

小さい頃から神社を継げということを言われまくって育ったのは事実なんだから、その結果「僕は跡取りとしてしか愛されてないんだ」と思ったらそれがすべて。それはそう思っちゃった子供が悪いの?否!そんなものは親の期待が悪いに決まってる。

で、結局最後は神主になります、ってオイ!お前はそれでいいのか狩野英孝。地域の人達のためってさあ、人間って地域の人達のために生きてんの?へ~、常にみんなのために何かをしている立派な人間しか存在意義はないんだ。それは知りませんでした。

そもそも誰かのためなんていうのは欺瞞なのです。なんにしたってそう。自分がやりたいからやってるという事実を見失い「人のため」とか言ってる人間のタチの悪さを考えれば分かるでしょう。人間なんて結局は自分のためでしかないのに。

私は誰にも感謝しないし、誰にも束縛されないし、誰のためにも生きない。全ては「自分がそうしたいから」そうするのです。これは前にも書いた。

人一人の人生や苦しみを無視して神主は神主らしく生きろなどとは言語道断、愚の骨頂。狩野の今まで生きてきた苦しみやわだかまりをあんな風に片付けるなんて。人をなんだと思ってるんだ。

結局は家のために神社を継ぐってことが狩野にとっていい選択だったのか?江原さんに言われてその時は継ごうと思ったっていざ実家に帰って親の顔を見たらやっぱり自分じゃない誰かが求められてる気がして苦しむんじゃないの?大丈夫?と要らぬ心配をしてしまう。

狩野がそれでいいならいいけどさ。でもあんなつまらない説教で人がどうにかなるのを見せられるのは気分よくない。

神々とかなんとかいって行動を制約されるのはまっぴらだ。江原さん、一時期好きだったのが嫌になる。やっぱりあなたは変わられてしまったのですね。もういい。もうスピリチュアルなんて信じない。

私のこの壊滅的な性格がもしかしたら悲劇的な前世によるものかも、という考えももう捨てる。私の性格は私のせいだ。

信じてたのに、信じてたのにぃ!もうあんな番組二度と見るもんか!でも来週は小島よしお。見ますよ。ええ見ますよ。だって好きだもん。

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2008年6月19日 (木)

過去記事発掘ぅ

気が付いた方もおられるかもしれませんが、右側に出てるカテゴリーを、増やしたり昇順を調整したりしてみた。ココログはカテゴリーの順番を好きなように変えるのに妙に苦労するんですが、なんとか解決。こんな方法があるんだって。

で一部イタい記事もちゃんとまとめて「できれば消したい記事」に。恋愛の話なんて何で書いてしまったのかと死ぬほど後悔している。今後あの記事たちの存在は間違いなくこのブログの足を引っ張る!どれだけ社会派っぽい事を書いたってあのチャラい記事が私の文章の権威を下げるんだわ、いや元からないとか分かりきってるんで黙っててください。

それでまあ、その中でも私の卑屈っぽさが現れててまあいいかな、というものは色恋の話に残し、救いようのなさそうなやつをできれば消したい記事にポイっとしました。

で、他にも色々見ているうちに下書きのまま眠っている記事を見つけたので、今日はそれを公開。それほど酷くない、というか昔の私いいこと言うじゃないか、とちょっと思ってしまった。恥ずかしい。

              2007年7月8日  「思い上がりスピリチュアル」 

江原さんって最近変わりましたよね。江原啓之。オーラの泉の。

オーラの泉は始まった当初は結構好きで、テレビ欄に丸をつけて毎週見てました。まだ23時台だった頃の話。知らない方のために番組内容をざっと説明すると、江原啓之と美輪明宏と国文太一が毎週ゲストを向かえ、そのゲストのオーラの色や前世、守護霊のことについて語らう番組です。

まずこの手の番組に対しては、スピリチュアルな事を信じるか信じないかという問題が出てくるので最初に言っておくと、私は結構信じます。江原さんのあの言い方を聞いているととても嘘を言っているようには見えないし、そういう力のある人なんだなあ、とは思ってます。

私が最初の頃なぜこの番組が好きだったかというと、それは江原さんがとても謙虚だったからです。上記のような守護霊や前世のこともそうですが、そういうこの世とは違う世界のことが見通せる力があって、様々なことが見えているのにもかかわらず、その考えをそのまま押し付けることが江原さんは無かった。あの人の言葉はその人その人の生き方や考え方を尊重した上で、こういう世界もあるんですよ、というあくまでも提示であった。昔はね。

一つ話を分かりやすくするために言っておくと、基本的に多くの人の考えや認識よりも様々なことを悟っている人間が、それをまったく理解していない人間ひとりひとりに一から説明をし続けた場合、思い上がりを伴わないケースは極めて稀です。あの人もその例に漏れず、何も分かっていない人間にオーラとはこうで、守護霊とはこうで、霊はこのようなものだ、と初心者向けに噛み砕いて説明するうちに、段々そんなことも知らないのか、だからそう言ってるでしょ、という気持ちが芽生え始め、やはり思い上がったと私は見る。

だんだんそちら側の世界、すなわち霊界での常識や当たり前とされていることを押し付けてくるようになりました。実はこうこうこうなんですよ、という説明口調は影をひそめ、だってそうでしょ、という断定にとって変わった。自分が知っている事が何にも勝る真理であり、霊界はこういう風になっているんだから、あなたもこうあるべき、と本人の在り方を無視した一方的なものになってしまったように私には見えるのです。

例えば、自殺は悪だとあの人は言う。自殺をしても救われない、死んでから苦しむのだと。なんか江原さんも最近優しくないな、と思い始めていた時に、このセリフを聞き、この人はもうダメだと私に思わせました。正直この人はなんて酷いことを言うんだろう、と。

今ある苦しみから脱したいと思った時に、死という方法しか思いつかない人がいる。死というものが最終的な心の拠り所になっている人もいる。何かあっても死ねば楽になれる、と思って現実に耐え一生懸命生きている人がいる。そういう人に対してたとえそれが真実だとしても、自殺したら死んでから苦しむんだよ、なんてセリフがよく吐ける。生きても地獄死んでも地獄ならその人は何を頼りに生きていけばいいのか。

私が知ってる番組が始まった時の江原さんなら、きっとこんなセリフは分かってても言わなかったと思う。自分が知っているスピリチュアルな世界というのはたくさんある思想や価値観の一つであり、苦しんでいる時になにかの役に立つこともあるかもしれません、というスタンスだったはずなんです、最初は。その人その人の在り方によって、オーダーメイドのようにその思想を噛み砕き、人を傷つけることは絶対に言わない。そういうやり方でこの人はものを言っているなあ、と思ったから私はあの番組を毎週見ていた。どんなにゲストがウザくても我慢して見たさ。

でもあの人は変わった。あんなに力がある人でも自分の思い上がりには気付けないのか。どんなことでもそれが全てってことはない。正義も真理も十人十色です。あの人の能力は確かにすごいけれども、それが何にも勝る超越的なものってことはやっぱりないよ。江原さんにとってそのスピリチュアルの世界が正しくても、唯一の真理でも、他の人には違う。そんなの信じないよ、という人もいればこの部分は分かるけどそっちの部分は分からない、という人もいるだろうし。やっぱり傲慢になったよなあ。

安易なこうあるべき論を振りまくようになってしまったオーラの泉。もう私は見れません。関係ないですが、美輪さんは最初からああいう考え方だったと思うな。江原さんが優しかったからバランス取れてたけど、江原さんがそっちに流れたらもう見れたもんじゃない。ああいう弱者に優しくない番組は大っ嫌いです。国文の今まで何の悲哀も知らずに生きてきましたよぉ、みたいな馬鹿ヅラも嫌い。全部嫌いです。いくら言っている事が正しくても、本人の今を無視した一方通行では意味がありません。昔はその人その人の今を汲み取って話すことができていたのに。

私はああやって思い上がるぐらいなら一生卑屈のままでいいや。人にこうあるべきなんてえらそうな説教たれるようになったら私の存在意義はその時点で消滅する。お前何様だよという言葉を一生自分に投げかけながら生きていきたいと思う。

この記事から1年ほど経過した今、江原さんがどうなっているかは知らない。ゲストがあまりにも嫌いなヤツばかりなので、最近じゃオーラの泉なんて見たこともなかったのです。「江原さんは今」企画もその内成立させます。

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2008年5月24日 (土)

靖史は何であんなに怒ってんだ

太田総理。例によって見てましたが。少年法に関するマニフェストだと分かった時点でこうなる事は分かっていた。太田はこの手の話に関しては普段の愛すべき存在からはかけ離れてしまうし、靖史は前回だったか「そんな凶悪犯罪を犯したヤツに弁護士がつくとか考えられない」というクソ発言でお馴染み。こういう話を聞いていると本当に胸がムカムカしてくる。

実名報道。それをしたから反省するという根拠はどこら辺に存在するのでしょうか。社会からのリアクションを受け止めるべきだとかなんとか言ってましたが、実名だろうが匿名だろうが世間はマスコミに煽られ馬鹿騒ぎ、名前が出てなくたって十分リアクションは得られてるじゃん。そりゃあ直接にではないにしてもさ。匿名だから反省しないとか実名出したら反省するとかどういう論理で思い込んでるんでしょうかね。わっけ分かりません。

この国で実名を出すということはどういうことか。光市事件の時のあの反応を見れば分かる。正当な弁護をしているだけの弁護士に執拗なバッシングが行われ、6000件もの懲戒請求や脅迫状まで送りつけられた。被告を弁護するのが弁護人の仕事であるという基礎的事実すら理解できない国民が山ほどいるこの民度の低い国で少年の実名を出す?目眩がしてくる。犯罪者でもない弁護士でこの有様なのに、少年だったらどうなるかなんて火を見るより明らかじゃないですか。今回のマニフェストだって視聴者の賛成は現時点で92%。こんな国で実名出したら本人はおろか家族だってまともに生きてなんていけません。

自分達とは違う人間だ、という便利で醜悪な意識によって激烈な排除の論理が働き、犯罪者やその家族は存在ごと否定される。事件が起こった背景も加害少年の精神状態も一切顧みられず、憎しみだけがものすごい勢いで増殖する。日本はもはや法治国家ではないと思わざるを得ないぐらい、死刑死刑の大合唱。私はこんな国に生まれた事、今現在生きている事を心の底から恥ずかしく思う。

ああいう人達の怒りというのは理不尽なんです。法の裁きを超えた憎しみ、犯罪者のくせに笑ってる、飯食ってる、許せねえという怒りについては対処のしようがない。犯罪者だって笑うし飯を食う。人間なんですから。それが反省してないってことになるんでしょうか?そんなものは言いがかりです。この先死ぬまで一生クスリとも笑わず飯も食わずに生きてゆけとでも?そんなことは不可能に決まっているし、人間として生きるということそれ自体の否定です。事件の当事者でもないのになぜそこまで憎しみに囚われるのか。私には分からないのです。

もちろんやった事には一生向き合っていかなければならないし反省もし続けなければなりません。でもどっかで許さなければ際限がない。その許しの一つの目安が刑期であり、これは原始的な目には目を歯には歯をシステムから脱却し、理性による社会運営を図るための素晴らしい仕組みだと私は思います。それなのに刑期を終えた後もいつまでも犯罪者犯罪者と呼び続けてしまったらその精神が台無しだし、何のための刑期なのか分からない。もちろん刑期を終えたからといって犯した罪が消えてなくなるわけじゃない。でも少なくとも法律上は罪を償ったというこの事実を以って社会はその人を受け入れる努力をすべきだし、事件当事者以外の第三者は基本的にはその人を許すべきです。

刑が軽すぎるというなら法改正や運用面での改善などが国民全体で議論されるべきだと思いますが、その時も犯罪を犯した人に対する個人攻撃ではなく、あくまで反省や更生を促し且つ妥当な刑期はどの程度なのかということが司法制度全体を通して理性的に話し合われるべきであり、あんなとんでもない奴がいるから刑を重くしようぜ、という感情論は極力排除すべきです。

それにしても賛成92%って。これだからこの国は嫌。社会全体で少年を受け入れようなんて話であるはずもなく、白日の下に引きずり出して自分のした事を思い知らせてやりたいという処罰感情に満ち満ちている。つまんねー国。吐き気がする。

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2008年3月29日 (土)

有吉の悪口

最近有吉が好きだ。電波少年とかほとんど見てなかったからヒッチハイクのイメージとかは知らないけれども、おしゃべりクソ野郎は革命だと思う。初めて聞いたときどれだけ笑ったか。アメトークの流行語大賞をとった時は本当に嬉しかったです。ああやっぱりみんな品川のことをそう思っていたんだ、と。ああいうのもセンスですよね。一度あれだけの秀作を生み出してしまうと今後あれに比肩するだけのネーミングが出てくるのかと心配でしたが、昨日のアメトークを見る限りそれも問題ないようです。

でも私の勝手なイメージだけど、みんなにブワっと注目されて「品川ってなんだっけ、品川ってなんだっけ!?」とか振られだしたらあの人の面白さは半減してしまう気がする。ああいうのは陰でこそっと言うからいいんで(まあテレビって時点で陰じゃないけど)、それにおしゃべりクソ野郎という単語が一般化してくるにつれて当初の品川に対する憎悪みたいなものもなくなってきてしまっている。

最初に聞いたときは確か、有吉は品川の事が嫌いでなんて呼んでるんだっけ?みたいな入りでおしゃべりクソ野郎って言ったら、ちょっとマジっぽいシャレにならない香りのする笑いだったのが、最近では「品川は?」と聞かれておしゃべりクソ野郎と答えればドカンと受ける、ほのぼのしたものに成り下がってしまっている。有吉が最初にどれだけの憎悪をこめておしゃべりクソ野郎と言ったのかは分からないけど、私の読みでは最初はほんとに単なる悪口だったんだと思うんだよね。憎悪に満ち満ちた悪口。それを言えば誰かが笑うようなライトなものじゃなくて…。

私はおしゃべりクソ野郎という単語にその悪意を感じたから、笑いと同時にこの人好きだな、と思ったんです。でもそんなものは一歩間違えばただの悪口だし(っていうか間違えなくても悪口か)、本来テレビで流すようなもんじゃないんですよね。それに本気の悪口は言われたほうも傷つくしシャレにもならない。テレビで一般化される悪口ってのはそこから本気の悪意を抜き取りみんなが笑えるように加工したものなのです。有吉のおしゃべりクソ野郎もそうなった。最初がどうだったかは知らないけど。

でも有吉に関して言えば私はそれをどうしても物足りなく感じてしまうのです。あの人の本気の悪口が聞きたい。吐き捨てるように毒づく所が見たい。そういう魅力があるんです。よく分かりませんが有吉の悪口は中毒性がある。また聞きたいもんなあ。誰かが傷ついても。

すべてに通底する「自分みたいなゴミ人間はとっとと死んでしまったほうがいいんだ」とでも思っていそうなあの感じが、自分と近く見えてくる。私は自分のことを欠陥品だと思ってますし、それは「そんなことないよ」とかいう言葉でどうにかなるようなレベルを超えた、思い込みと事実とが判別できないぐらい複雑に絡み合った結果のそれはそれは強固な心の重石。一生取れることのないそれを抱えて私は…ってそんな話はどうでもいいや、とにかくそういう部分でのシンパシーがかなりあると。勝手な決め付けですけど…。

というか私もテレビの中の誰かを勝手に好きになって勝手に分析するのはやめたほうがいいよな。現実での人との繋がりが希薄だからそんなことになるんでしょうが、もはや妄想の域かもしれない。でもまあ誰に迷惑をかけるわけでもなし、いっか。ネット上のゴミがまた一つ増えただけさ。

今日はこんな所で。

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2007年12月19日 (水)

鳥居みゆきって人

鳥居みゆき、すごいですね。ネタは今まで何回か見た事があったんですが、今日また例によってギャオの超サンミュージックで、初めて普通に(?)喋ってる所を見ました。私はもうネタを見た時からただの奇をてらった色物芸人とは違うと思ってたんですが、実際喋ってる所を見たらあまりの普通じゃなさに度肝を抜かれました。最近はシュール系の芸人も多いし、ネタがぶっ飛んでるのはそれほど驚きませんがフリートークであれをやるのはすごい。

でも私なんかが見ているとただ単にキャラとか計算とかで片付けられないというか、要するに会話の端々に、幼少期からいわゆる「普通」ではなかった故に、その「普通」に当てはまる人間になるよう相当な圧力を受けて育ってきた人なのではないかと思わせる部分が多々あり、どこまでがネタでどこからが、というのは私も読み切れないんですが、それでもやっぱりあれをやるにはある程度その人格を生む素地が必要なわけで、普通に育った普通の人間があれを演じるのはどう考えても無理だろうと。

社会から弾かれる自分、他の人とは何かが違う自分、そんなんじゃだめだと言われ続けた挙句の自我の爆発、自意識の暴発、それがあの姿なのではと思います。だからあれはある意味では素のあの人そのものであり、私にもああいう部分は確実にあるのだと思う、というかちょっとしたきっかけで私は簡単にああなるだろう。

やっぱり私のような卑屈な弱小人間から見ると妙な共感を覚えてしまって、自分という人間が無視され「普通」に押し込められる言語を絶する苦しみとかを鳥居みゆきの中に見たりもして、世間が憎たらしくなったりしてしまうので、ただ面白いというのとはちょっと違う。だって「どうも、戸塚ヨットスクールの生き残りです」なんてセリフは普通じゃ出ないもん。もし事実でないとしてもそれに準ずる扱いはきっと受けてきたのだろうと思わせる何かがあの人にはある。だからいたたまれなくなる。基本女嫌いな私が惚れた理由もきっとそこにあるのでしょう。

というわけで、ここまで書いたような事は冒頭のリンクから飛んで超サンミュージック等を見ていただくと分かりやすいと思います。ジョッキーをクリックしてから芸人タブをクリックで見られます。個人的には飛び石連休藤井さんとの絡みより髭男爵との絡みの方が好きです。藤井さん、嫌いではないんですがなんか可哀想になってきちゃうんですよね。

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2007年9月20日 (木)

小嶋よしおの下ネタ

ここ数日更新しなきゃと思いつつ何も思いつかないという状況で、今も変わってません。気持ちが乗ってない時に無理に書こうとするとほんとにクソみたいな文章になるんですが、このまま書かないといつまでも更新できなそうなのでとりあえず書いてます。

とはいえ本格的に何の言葉も出てこないのでどうしましょうかね、ほんとに。

小嶋よしおの話でもしましょうか。私は最近マジに惚れてます。スケジュールは全チェックだし、見てるだけで私のパッサパサの生活にも潤いが。世間のブームとかはね、私は全く意に介さないのですが、あの人は面白いですねえ。そんなの関係ねえ!ばかりと思われがちなのかもしれませんが、意外と普通に喋っても面白いし他の芸人と絡んでも面白い。

それとなんとなく世間一般の普通の人とは違う何かを感じる。きっと普通に社会に適応して普通に明るく生きてきた人間とは違うんじゃないかと思う。芸人に関してはどんだけふざけてても結局は世間の価値観を色濃く受け継ぐ普通の人間という事が多々あるのですが、小嶋にはもしかしたらこっち側の人間かも、と思わせる何かがある。私はヒロシもその意味で好きなんですが、芸風こそ違えど小嶋にもヒロシと同じようなものがあるんじゃないかとか勝手に考えたりしてます。同じ事務所だし。

前にここで書いた時は消えゆく運命なんて軽く言っちゃったけど、今はなんとしても生き残って欲しいと思う。世間や他の芸人をバシッと黙らせて一発屋疑惑を粉砕していただきたい。ぜひ。

最後にお勧めなんですが、パソコンテレビGyaOの超サンミュージックという番組、これが面白いんです。小嶋よしおと早川亜季の隔週生放送なんですが、その中でも特に#03の回が面白い。まあこういうのを見たら「やだー」とかいってひく事が18の女のポジションとしては正解なんでしょうが、そんなの関係ねえ!の勢いで紹介させてもらうと要は小嶋がずっと金玉金玉言ってるという…。

私ここではそういうキャラは一切出してませんでしたが、実は下ネタ全然平気な人なんで、別にそんな言葉を連呼された所でひくも何もないんですが、その番組のレビューを見るとやはり気分を害した方が多数を占めているようでそんなもんかなあ、と。面白くないというのなら分かるんですが、下ネタ自体が嫌だというのだとジャンル全否定かよとも思います。漫才を見て漫才が嫌いだと言うのをわざわざ書いているのと同じような気がします。だったら見なきゃいいと。

下ネタってなんかそれだけでバカにされたり小学生以下だとか言われたりしますけど、実際は漫才、コント、フリートークなどのジャンル中に下ネタもあるというだけの話ではないかと思います。別に下ネタが劣っているわけでも優れているわけでもなくただのジャンル。漫才全てが中身のある素晴らしいものではないのと同じように、下ネタだって全てが中身のないレベルの低いものではないというのは当たり前のように思う。ペナルティの顔だけで笑わせようというあのコントより小嶋の金玉連呼の方が私は中身があると思うし。

下ネタを面白いと思う引き出しがあるかどうかは全くの個人差ですから私がどうこう言う事はもちろんありませんが、今の一種のジャンルとして認められづらくなっている状況はあまりよくない気がします。排斥されやすい土壌というのか一定の人数が「下品だ」「教育上よくない」「気分が悪くなった」と言えば簡単に消せますよね下ネタって。でも下ネタ以外の事で「何が面白いのか分からない」「もう出すな」と文句をつけたとしてもそんなに簡単に消える事はないと思うんです。なんかだからそういうのってやだなあと思いますけど、この話は切り上げます。

最終的にはGyaOの超サンミュージックで小嶋よしおを見てみてね、という話です。視聴設定が多少煩わしいかもしれませんが、個人を特定するような情報は入れなくてもいいはずなのでぜひご覧ください。下ネタ以外のもちゃんとありますので。

私は今回キャラ的に多少路線変更でしょうか。まあそれにしたって私の事を清純派だと思ってる人なんてそういないでしょうから下ネタの話をしたって大した問題はないと思いますが。

何も浮かばないながらも書き出したら結構進むものですね。何もなくてもとりあえずパソコンに向かってみる事で更新頻度が上がるかしら。やってみよう。

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2007年8月 3日 (金)

松本再考

ええ今日は松本の話です。ダウンタウンのね。

大日本人を観てから何となく気になり始め、一体どういう人なんだろう、との思いから松本を追いかけてきました。それは以前ここで書いた通りです(今思えばイッタい記事ですけどねえ。別に読んで頂かなくとも話は繋がると思いますが)。

最近の音楽やアーティストには何の興味もないのにHEY!HEY!HEY!を見たり、ゲストがどれだけウザくても我慢してダウンタウンDXを見たり、他の番組を録画して放送室を聴いてみたり色々してました。

で、その延長でこないだ図書館で本を借りたんです。松本の「遺書」と「好きか嫌いか」を読みました。これはねー。遺書はわりとサックリ読めたんです。語調も一貫してたしある種のフィクションというか、「センスとオツムがない奴に俺の笑いは理解できない」とかそんなことばっかり書いてあるんですが、この人はこういうキャラで書いてるんだなあ、というか偉そうなのがわかりやすい分許容できるとでも言いましょうか。

でも好きか嫌いかに関してはまったくダメでした。私の嫌いな奴の3大条件として、せっかち、すぐイライラする、待てない、というのがありますが松本はそれ全てを兼ね備えていたのです。

ほんと嫌いなんですよ、何をそんなに急ぐ事があるのかサッパリ分かりませんし。例えば松本が行列のできるラーメン屋の話をしてた時に、食べるの遅い奴は来るなとか言ってましたがああいう考えもまあ嫌いです。

自分はああいうところで食べる時は早い、煙草なんてもってのほか、人が並んでるんですから…。(松本)

まあ間違っちゃいませんよ。でもうっせえなあと思ってしまいます。誤解のないよう言っておくと、私もそういう店に行ったら次の人を待たせないようになるべく早く食って早く出ます。でもそれを人に求めるか?といえば答えはNOです。

自分はそういう回転効率の事が頭に入ってるというのなら、自分は気を付けよう、と勝手に思ってれば済む事じゃないですか。それを食べるのが遅い奴にイライラしたり、回転効率なんてのは一面の正義に過ぎないのに、それが唯一の正義だと思い込み、それを阻害するものを口汚く罵っているわけです。こういう人が今の健常者中心の世の中を形作っているのではないかと思う。

混んでる店内でマンガ読んでる奴がいたから、連れとそいつを挟んで座ってわざと大声で話してやったとか、やることが陰険ですしね。俺がやってるんだからお前もやれよ、というのは人間としてとっても浅ましい。その漫画の奴は非常識ですが早さ効率第一人間もどうかと思います。金さえ払えばそのラーメンを自分のペースで味わう権利があるわけでね。早く食える人が早く食ってその人の分まで回転効率を高めてあげればいいじゃないですか。ちっちゃい男。

そういうムカつきがあの本を読んでいると随所にあって、読み終わった時には松本が嫌いになってました。映画一本面白かったからってうっかりついていったらどんでもない事になりますね。ああいう人は何か障害でも負って自分の思う「効率的」な動きができなくなったらどうするんでしょう。突き飛ばされたり舌打ちされたりしながら自分は間違っていたと思うのでしょうか。それとも「迷惑」をかけることに耐えられなくて引きこもる?

とりあえず松本の評価は今までの「面白いけどあんまり好きじゃない」から「面白いけど嫌い」になりました。やっぱり私の顔で人を見抜く能力はそれなりのもんです。あの顔で私が好きになれるような人間のわけないもん。映画に惑わされてはいけませんね。

私は「松本ファン」ではないということをここに公言しておきます。幻滅されたくないですから。大日本人は好きですけどね。もう一度あの大佐藤を松本だと思って観たら評価も変わるかなあ。本人曰く後半はもう自分そのものだったらしいので。

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2007年7月31日 (火)

政治と小嶋よしおのコラボ

参院戦は民主圧勝ということで。自民党が勝つよりはずっといいですが、こういう自民逆風の時に社民、共産が伸びないっていうのはなかなか厳しいですね。民主ったって、憲法しかり教育しかり、自民党と大差ないような部分が山ほどある。今回の勢いのまま民主だけが躍進して政権を取るような事になれば、それはそれで自民と大差なくなっていくのではないか、と。

そもそも自民と民主をとっかえひっかえしてみた所で、根本的なところは変わらない思うんですよ。だから社民、共産の議席を増やして、民主に影響力を行使しうる勢力、ブレーキをかけうる勢力を確保しなければ、私は危なっかしくて見てられない。

今回のように2大政党制の流ればかりが強まっていく事には危機感を覚えます。選挙特番にしたって中盤に差し掛かるまで自民、公明と民主の事ばかりで、社民、共産、その他の野党に関しては一切報じなかった。ああいうのはちょっと私はどうかと思うのですが。

なーんてえらそうに書いてみましたが、今回は私が政治にもアンテナを張り始めて初の全国区選挙です。ある意味安倍さんと同じ、というわけで、正直まだ大したことは分かっていないので、次の選挙の時はもっと書けるようになるのが目標。

ま、今日は次の話題に行きますが、あれです。小嶋よしおっているでしょ。選挙の話をした後にあの人の話をするのもなんですが、私はあの芸風は好きですねー。

といっても最初に見たのは笑金の最終回で、その時は色んな奴がいるなあ、ぐらいにしか思ってなかったんですが、その後何回か見るうちにすっかりとりこに。さっきもレッドカーペットに出てましたが(前回あれだけ口汚くけなしておきながら結局見てしまった。今回は中笑いすら出ず前よりひどくなってましたけども。)やっぱりいいですね。

なんだか意外と人気があるようですが、ああいう売れ方は悲しいかな、やっぱり消えゆく運命でしょうか。まあそんな事は本人が一番よく分かっている事でしょうけども。でも私は基本的に一度好きになった芸人はブームが去っても見捨てません。ヒロシだって嫌いな旅番組を我慢して見るぐらい未だに好きですし、ほんとに好きなら世の中のブームなんて関係ないもんです。

オッパッピーがオーシャンパシフィックピースの略であるということのどうでもよさもなかなかいいと思う。それを知った所で誰も何にも得しない、そのどうでもよさがすてき。

とりあえず今は小嶋よしおのファンです。ブームに乗っかるようで申し訳ないのですが。ま、そんなの関係ねえ!ということで頑張っていただきたいわ。じみーに応援してますから。

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2007年6月30日 (土)

クソマニフェスト再来

いやあもう腹立った。何って、今日の太田総理の事ですよ。あのカンニング竹山のマニフェスト、少年法を廃止しますってやつね。以前のメタボ議員はクビ法案から更にひどくなってます。もう今回の何が嫌だったって、太田が賛成に回ったこと、これ以外にない。あの人殺しがのうのうとテレビに映ってるのも心底嫌だったけどね。あの戸塚のことよ。

もうあんまり腹立ったから、番組終了後ですが、番組ホームページから意見を送り付けてやりました。以下その内容。

カンニングの竹山さんはじめ賛成席に座っていた方々は、殺人という犯罪がなぜ起こるのか、という事に思いを巡らせた事がないのだろうと思います。片一方ではこうあるべき、こうあらねばならないという考えを押し付け、加害者予備軍を作り上げておきながら、もう一方では事件の責任を本人に押し付け死刑も辞さないと嘯いている。これは明らかに論理矛盾ではないのでしょうか。もう少し社会全体の責任、ひいては自分自身の責任という事も考えてみるべきだと思います。賛成に回った太田総理にがっかりしました。

多少説明不足感はありますが、まあまあでしょ。ここで書くより丁寧ですよ、ここじゃあ竹山にさんなんて付けません。あんな奴は呼び捨てで十分だっつうんだよ、ほんとに。ああもう腹立っちゃって腹立っちゃって。

じゃあ厳罰化で反省を促せるのか、再犯を防げるのか。そういう管理的な方法でうまくいかなくなって犯罪を犯してしまったのに、刑務所の中でまたそういう方法で何とかしようとする。学習能力もへったくれもない。

それにしてもあの民主党の平岡秀夫って人はいい事言ってたなあ。あの高慢ちきな金に向かって「自分の責任じゃないみたいに言わないでくださいよ、あなただって大人なんですから」って言ったのはもうほんとすっとした。私が言いたかった事を分かりやすくビシッと言ってくれて素晴らしかった。

で、その平岡さんの言うように自尊心ってのはやっぱり大切だな、と思います。どうせ自分なんて社会にとって、また親にとって何の価値もない人間なんだ、と思って捨て鉢的な気持ちになってしまう事から、犯罪の芽が生まれる。だからまずはその人の存在を認めて、その上で反省を促し、ある程度の刑罰は受けてもらうというのが必要だと思うんですよね。

こういう事を言うとまた加害者の事ばかり考えているとか言われてしまう訳なんですが、でもやっぱり被害者の権利を望むなら被害者の権利を守るような法律を作っていけばいいわけであって、加害者の権利を剥奪する事によって同じ立ち位置に戻そうとするのはかなり強引な考え方でしょう。

日本の法律は復讐を認めていないし、裁判は報復の場にしてはならない。被害者の感情は尊重すべきものですが、だからといってそれを満たすために加害者を痛めつければそれでいいというものでもないでしょう。犯罪が凶悪な事と加害者に何をしてもいいという事は繋がってはいない。

国による死刑の執行は世の中には殺してもいい人間がいるというアピールになってしまう恐れがあり、人の命は大切なんだという言葉自体も説得力を失います。人間の命は何にも代えがたい大切なものだ、という事が言いたいのなら、どんな人間の命だって大切にすべきです。人を殺すような人間は国が殺してもいいという事なら、次はどんな人間が殺されて当然になるか分かったもんじゃない。

何故、という所を掘り下げていけば同情の余地のない犯罪者なんているはずないんです。それが子供なら特に。個人の責任に押し付けて死刑なんて事はあってはならないし、家庭的な雰囲気の中での更生という少年法の趣旨も尊重すべきです。

確かに被害者の事は常にきちんと考えなければならない。けど最近は報道も世論もあまりにも被害者に偏りすぎてるから、私も加害者の事を必死に庇わなければならなくなるのです。加害者が犯罪を犯すまでの過程をあまりにも誰も見ようとしないから。

自分だって加害者になるかもしれない、ぐらいの想像力を持ち合わせてたら、加害者の人権や社会復帰にも考慮した世論になっていくと思う。まああの少年院の1、2年で出てこれるってのは短すぎると私も思いますが。ある程度の期間刑に服してもらうという事は被害者感情からも更生の観点からも必要だと思います。でもそれと少年法を全廃するのとは全く次元が違いますから。刑務所で管理しても更生はできません。

最後に、竹山が反対席の民主党の人に「子供だって犯罪を犯さざるを得ないような状況に追い込まれているんですよ」みたいなことを言われた時に「そういう状況ってなんですか?」と聞いていたのが非常に印象的でした。まあ率直に言わせていただくとそんな事も人に聞かなきゃ分かんねーならこんなクソマニフェスト持ってくんなよという事になっちゃいますかね。想像力なさ過ぎでしょう。

被害者本人が加害者に対して感情的になるのは当然と言えますが、そうでない人までが第三者的な立場を超えて被害者にばかり同調するのは、やはり人を殺すような人間は自分達とは違う世界の人間なんだ、という考えがあるからのように思えます。そういう偏見がなくなれば厳罰化ありきの世論も変わってくれると思うんですが、なかなか難しいでしょうね。

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2007年6月27日 (水)

テレビっ子返上

以前馬鹿が付くほどテレビっ子というタイトルの記事を書いたことがありましたが、最近テレビのあまりのつまらなさに、かなりテレビ離れが進んでいるのでとりあえず今のテレビについて適当に述べてみたいと思います。

ま、簡単に冷めた理由というか、テレビが嫌いになった理由を言うと、まず一番の理由は、前々からゴールデンがウザいってのは分かってたんですが、近頃私の許容範囲がどんどん狭くなって、ゴールデンの笑いや趣向を一切受け付けなくなった事です。あのゴールデンの見え透いた、薄っぺらな、ベタベタな馬鹿騒ぎにはもうウンザリ。

それと夕方のニュースを見れなくなったことも大きい。あまりの下世話&殺人事件に一極集中な報道の仕方にこれまたウンザリして、前は夕方といえば各局にチャンネルを回して楽しんでいたものですが、今はつけていてもストレスが溜まるだけ。私が大人になったのか、報道が更につまらなくなったのか。

ジャーナリズムなんて言葉はどっかに消失してますね。他とは違う事をしようとかいう発想はないんでしょうか。どこもかしこも似たような事を繰り返し喚いているだけ。もっと独自の目線で報じるという事も大切だと思うのですが。問題が起きてから騒ぐだけではなく、問題になる前からもっと色々な事を取り上げるという習慣をつけたらいいと思う。殺人事件を詳述する時間を使って。

よく大局を見る鳥の目と現場を見る虫の目、といった事が言われますが、最近の報道は虫の目しか持ち合わせていないのでしょう。事の詳細を報じるばかりで、それが起きた本質的な背景や、再発を防ぐためにはどうするのがいいかという事をほとんど報じない。世界の中の日本といった視点なども欠落している。

とまあ報道批判は尽きませんが、こんな感じで私のテレビに対する依存度は下降の一途をたどり、それに加えて不都合な真実を観て以降、テレビをこまめに消すという事が習慣化したため、以前言っていたようなあの雑音が生活に不可欠といった事もなくなり、今は夕方もゴールデンもテレビが消えてる事が多いです。

まあ深夜番組は相変わらず好きなんですが、夕方もゴールデンも嫌いならこれはもうテレビ好きというよりは、芸人好き、お笑い好きといったほうが正しいでしょう。テレビは嫌いだけど、一部の深夜番組は好き、といった方がしっくりくる。この先はもうケーブルテレビでも入れない限りテレビっ子には戻らないでしょう。

という誰が知りたいのか分からない報告でした。ま、ブログってそういうものよね。

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2007年6月20日 (水)

松本…様?

まずいです。非常にまずいです。私ったらあの映画を観て以来、っていうか大日本人を観て以来、松本が気になって仕方がないのです。ああもう。

まさかこの私が今更あんな売れてる人のファンになろうとしているなんて。というのも、私が芸人に求めるものといえばやっぱり悲哀。さんま紳助がつかえてて番組が持てねえよ、という若手の叫び。深夜ですら冠を持たせてもらえず、ものの見事にオリエンタルラジオに抜かされる芸人の叫び。リットン調査団は今田東野と同期らしいよ。私はそういうのが大好物なのです。

だからあんなゴールデンを何本も持ってて人気もたくさん、みたいな人はそもそも眼中になかったのです。私の根底にあったのはみんながキャーキャー言ってる奴を好きになっても仕方ないでしょ、というポリシーにも似た気持ち。

それなのに。なぜ今になって松本なのか。くそうあの映画め。

私が言う「ファン」というのはただ面白いからとかそういうのじゃない。松本が面白いなんて事はそれこそもうずっと前から分かってた事で、そんな事が再確認されたからって私はファンにはならない。

私がファンになるということは、あくまで人間性がプラスアルファで乗っかってることが大前提です。上記のような悲哀プラス、大多数の人間とは別の所に属してるという事が大切なの。今の時代物の分かってる人ならこの国の大多数の人間がつまらない人間だってことが分かるはずなので、そういう社会に統合されてないですよ、という空気を感じられる人を私は好きになる。それが私の言うファンです。

面白い面白くないという事は私もお笑い好きですからもちろん大切なんですが、やっぱり場合によっては面白くないけど好きという事もありえます。私がファンになるかどうかはその人の人間性の部分に共感できるかできないか、ということで決まるのです。

まあだからそんな私の今までの松本の位置付けは「面白いけどあんま好きじゃない」というものでした。なんかあの顔を見ると軽薄な感じがして、発言にしてもあまり共感はできず。上記のような共感を松本に対して感じることはありませんでした。今まではね。

でもあの映画を観てから気になるんです。あの大佐藤の悲哀が。私はここ何年かのお笑いファンなんで、松本のああいう悲しい笑いを見たのは初めてなんですよ。で、ああいうのを描くのは、少なからず本人にもあの手の悲哀が存在しないと無理だと思うんですよ。

でも私の目が節穴だったのかもしれませんが、あんまり松本にああいう悲しいイメージって今まで全然なかったんだよね。それがなかったから今まで共感できなかったのかもしんない。人気があって天才とか言われてて、自分のポリシーっていうのもがちがちに固まってて、今までそれをまったく譲らずに生きてきました、みたいな感じを鬱陶しいとすら思ってましたから。

私が松本を知らなかっただけなんでしょうか。大佐藤と松本がどれぐらいリンクしてるのか、今の私じゃまったく見当もつかない。松本は普段はああいう人なんでしょうか?いやでもそれはちょっと…。正直映画観て帰ってきてから大佐藤と私の中の松本像とのギャップが埋まらず苦労したんです。

そうこうしている内に松本が気になるようになってしまいました。

ぶっちゃけて言うと、私は芸人を好きになる時は半ば恋です。女芸人はあまり好きにならないし。ファンレターを書くとか出待ちをするとか、そんなアグレッシブな事をする気はまったくないんですが、要するにまあ一時的な現実逃避です。その人を好きになった一定期間はテレビやラジオを軽い憧れの気持ちを抱きながら鑑賞しつつ、軽い妄想に耽るという。ただそれだけです。ヒロシの時は本とかDVDとか買いましたが、ほとんどは物を買いもしません。タダオンリー。デフレの立役者と呼んで。

今も松本の本を色々読んでみたいという気持ちはありますが、だからといって片っ端から購入するのには尻込みしているという状況です。こういうのはその人に共感した事は残りますが、疑似恋愛的な感情は残念ながらすぐ冷めてしまうので、その時々の感情で散財してたらやっぱりお金がね。大日本人のDVDは買っちゃいそうですけど。

ブラマヨ吉田への熱がなんとなく冷めて以来、特定の芸人に執着するという事があまりなかったのですが、まさかそういう対象が松本になるなんて、夢にも思いませんでした。今までブサイク芸人orコンプレックス芸人オンリーだった私からすればかなりの大転換です。松本はブサイクでもなければコンプレックスっていう感じでもないですからね。自信漲るって感じ?

まあでもあの顔ですから、色々調べるうちに人間性にケチがついて速効で冷める、というのも容易に想像つきますが。ただ今のところはどういう人か非常に気になる。

でもあの人レギュラー多すぎですよね。こんなに何番組も持ってる人追っかけた事ないから新鮮です。大概深夜とかで「あっ出てる!」ていう追っかけ方だったからね今までは。すごい人に恋してしまいました。この恋心はいつまで持つか。難しいところです。長持ちすればするほどずっと現実逃避してられますから、なるべく持って欲しいなあ。松本の人間性がなるべくこっち寄りなことを願います。

というわけで、これからしばらく松本人志に対する私なりの理解を深めていきたいと思います。楽しい事が見つかってよかった。この勢いでバイトも見つけなきゃ。

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2007年3月20日 (火)

タイトルは無し

またまたトラックバックをいただいちゃいました。しかも今度は1件の記事に2つも。ありがたいことです。こんな辺境のブログにほんとにもう。タイトルが思いつかないからって無しって言っちゃうようなブログにほんとにもう。ありがとうございます。

ってわけで、前回の記事でムーディなんちゃらとか言っちゃいましたが、ムーディ勝山というのですね。でもあんなに面白いのに私なぜか一昨日のレッドカーペットが初見なんですよね。もっと早く目に留まっててもよさそうなのに。

ガキの使いの忘年会にも出てたらしいのですが記憶にないし。エンタは次は面白いだろう次は笑えるだろうと思ってるうちに、結局最後の犬井ヒロシの「自由だー!」が一番面白かったりして脱力するから最近見てなかったし、仕方がないといえば仕方がないか。もっと早く知りたかった。とりあえず今週からエンタもチェックしてみよう。

前回の記事で笑い飯とブラックマヨネーズが面白かったと書いたのは、多少ひいき目も入ってたかな、と後から思いました。もとから好きな2組だから。付け加えるならクールポコも面白かったし、ダイノジもちょっと面白かった。そもそもあの空気の番組を見て冷静に面白い面白くないの判断が下せなくなっていたという私がいるわけで。もしかしたらもっと面白い奴もいたかもしれません。もったいない事したかなー。

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2007年3月18日 (日)

シュールとは

はー、きっつい。何がって今見てる番組が。お笑いレッドカーペットとかいうやつ。まあやなら見なきゃいいじゃんと言われればそれまでなんですが、色々ケチつけたい年頃って事で言わせてくださいよ。

まずハードル低すぎだし、イロモノばっか出てくるし、審査員っぽい人が嫌いな人ばっかだし、そもそもこういう広く浅い笑いって大っ嫌い。私の考えではイロモノってのは正統派がいるから成り立つ訳です。イロモノというのはいわゆるシュールですから、ともすれば面白くないんじゃないか、というスレスレのところを絶妙なバランスで通すのがシュールたる所以なんです。

それをこんな風にイロモノばっか出してきて、それも大概は満点の大笑いってのはどういうことよ。私はシュールってのが正統派より好きです。だけど、シュール芸人の比率があまりにも高くなると笑いのレベル自体が下がってくる。誰が何やってもいいという事になるからね。あくまで正統派あってのシュールなんだという事を忘れちゃダメなわけです。

こんなの誰が出てきたって受けんじゃん。シュールは大衆に受け入れられないからこそ映える。空気が凍り付いてるからこそ私は魅力を感じるの。そろそろすべってもいいでしょ。誰かすべれよ。みんなが平均的に受けるなんて甘ったるいフィールドをぶち壊せ。ここですべった芸人を私は尊敬するね。一生応援してもいい。

ブラマヨ吉田のハゲヅラはグー。小杉はリアルにヅラいらないんだね。あ、笑い飯だ。私は笑い飯の西田がマジで好きなわけですが。やっぱ面白いね。

あーもう、ほんとにこのまま誰もすべらないで終わる気かよ。イライラするなあ。イロモノはすべってなんぼだってどうして分かんないかなあ。こんな温かい空気はいらん。もう誰が出てきても笑うようになってんだもん。

やっぱりこうやって考えてみると、私はすべり笑いってのがよほど好きらしい。同じ事やっててもみんなが笑ってるとなんか冷めるというか。ってことは私は面白いから笑ってんじゃなくて、すべってるから笑ってんのか。いやもちろんすべってれば何でもいいってわけじゃないけどね。たぶんこのまま誰もすべらずに終わるんだろうな。寂しい。すっごい寂しい。

ここまでみて面白かったのはブラックマヨネーズと笑い飯とムーディなんちゃら。下の名前を見そびれました。誰もすべらないお笑い番組なんて久しぶりに見たよ。裏が華麗なる一族ってのが関係あるのかしら。シュール連れてきといて誰もすべらせないなんてほんとどういう了見よ。気に入らないわ。

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2007年1月20日 (土)

お笑いライブ見てきたぜい

今日はなんと、引きこもりにしては行動力を発揮して、お笑いライブを見に行ってきました。無論一人で。

今までテレビとか散々チェックして、芸人に対する愛は溢れんばかりのものがありましたが、実際に足を運んで生でネタを見るのは初めて。うわー、本物だー、とキャラにないテンションの上がりようでした。お恥ずかしい。

出演芸人は、東京ダイナマイト、瞬間メタル、タイムマシーン3号、ハマカーン、サンドウィッチマン、カラテカ、ハリセンボンの7組。出演順はハリセンボンなんかは結構売れてるから最後の方かなと思いきやトップで登場。

なんかテレビとか見てるといつも登場するなり「かわいー」という声が上がったりしてて「女ってやらしーなー、思ってもないくせに」と思ってたんですが、私も登場するなり自然にかわいーと思ってしまいました。一概に嘘でもないのか、あの「かわいー」は。

テレビっ子の懸念としてはもう見たネタが多いんじゃないかな、なんて思ってたのも、東京ダイナマイト以外は見てないネタで一安心。瞬間メタルの「この拳を天空に突き上げたんだよー」という絡みづらさ全開の一押しギャグも見れたし、今日はほんとに満足です。もっとテレビで見れるようになるといいんだけどね。最近ああいう系の芸人がネタを見せられる番組が減ったから。

全体的に生ということで私の中の笑いのハードルも下がってたのか、結構笑いっぱなしでした。タイムマシーン3号とかテレビで見てるときはあんまり笑った事なかったんだけど、今日は笑ったし。でも欲を言うなら東京ダイナマイト松田のエクササイズが見たかった。あの「ポケモンじゃないんだぜ」ってやつ。効果は未知数、みたいな。最近はもういいよってぐらいやってるのに。

それにしても今の時代すごいなーと思うのは、チケットが誰とも一言も口をきかずに取れちゃうって事です。電話予約は自動音声だし、それで予約しちゃえば後はコンビニの機械でちょこちょこっとやって、出てきたレシートっぽいものを店員に渡してお金を払えばおしまい。私みたいな人間にとって誰とも口をきかずに済むって事はほんとにありがたい。こんなに簡単ならまた見に行こうかな。この勢いでプロレスもその内。一回は生で見てみたいと思ってたんだよね。

はー、でも楽しかったけどやっぱり疲れました。外出は常に危険と隣り合わせですからね。いつ何でテンションを削られるか分からない。極端な話街頭で配られてるティッシュをもらうかもらわないかという事だけでも私にとっては大変な事です。数メートル前からもらうかもらわないかをちゃんと決めておかないと、臨機応変ってのができない人間なんで。

もらうもらわないをどのケースにおいても貫徹していればいい、という考えもあるかと思いますが、いつもいつももらうと決めて動くのも大変です。私に言ってんのかな、とか、距離がちょっと、とか思ってるうちにもらえないこともしばしばですし。かといっていつもいつもスルーするのは配ってる人が可哀そう、とかまたしょうもない事を考えやがるのですね、これが。だから何か配ってる人を見かけると緊張するんです。

とまあそんなくだらないことでも疲弊するもんで、外歩きはある意味命がけっていうかー。

いかん、また時間を取られてる。何でもっとすっと書けないかな。私だってヒマじゃないんだから。新聞もまだやっと10月に入った所だし、これからガンガン片付けてかないと。という訳なので、今日はこの辺でー。

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2007年1月12日 (金)

お笑い好きのたわ言

最近知り合いのブログがあからさまにある作家の影響を受けていてなんかヤな感じ。あんまり好きじゃない人と好みの作家がかぶるとちょっと腹立ちますよね。お前にあの人の何が分かる、みたいな…。いや、私だってそんなには分かっちゃいないけどさ。

そんな前置きもありつつ、最近すごいですよね、オリエンタルラジオ。まさに破竹の勢いというか。深夜でやってたオリキュンが水10に上がるそうで。ほんと、深夜だって冠番組持てない先輩が腐るほどいるっつーのに、すごい勢いです。

でもねー、私の評価としてはそんなゴールデンに上がるほどは面白くないと思うんだけど。始まった時から見てたけど可もなく不可もなく、深夜だから流して見れるかなって感じで。水10にまで上がるのはちょっと分不相応と言うか。まあオリラジが自分で仕事決めてるわけでもないし仕方ないけど。

でも一気に売れれば売れるほど飽きられるリスクも高まりますよね。息を長くするには一気に売れるよりも着実に足場を固めていく方がいいのかもしれません。でもそんな調節ができるわけもないし、人気がある時に仕事をセーブするなんて事も無理。着実にやったから売れるとも限らんし、人気商売のジレンマってとこでしょうか。

まあそれはそうと、私オリラジにはそれなりに思い入れがあるんです。オリラジだけじゃなくてハリセンボンとかバッドボーイズとかも。

なぜかというとこの3組はTBSの番組から上がってきた人達で、ゲンセキから10カラット、スイッチと約2年間にわたる番組で売れていく過程をリアルタイムで見てたから。オリラジなんかはゲンセキがテレビ初登場だったしね。

ゲンセキ自体がその名の通りまだ売れてない芸人を集めてコント番組のオーディションをやろうという趣旨だったから、そこからお客さんに選ばれて後の10カラットでコントをやって、という過程を見てたらね、やっぱり思い入れも出てきます。パソコンで投票もしたし。

他にもコンマ二センチとかトップリードとかもこの枠出身だし、あんまり出てるとこ見ないけどマチコとか上木総合研究所とかもこの枠に出てた。上木総合研究所はスイッチでいなくなったけど。

だからね、この枠から出てきた人は自然と応援したいなって思うんです。

で、ちょっと話を戻すと、オリラジはめちゃくちゃ売れてますが、同じ番組から出発したのにコンビ解散して人間不信になった奴とかもテレビで喋ってて、明暗がくっきり分かれてるのを目の当たりにするわけです。

どんな商売だってみんなが成功するなんてありえないし、落差があるのは当然なんですが、やっぱりそういう人はオリラジとかが連日連夜テレビに出てるのを見て辛い思いしてんだろうな、とか考えると結構感情移入してしまう。人間の悲哀がもろに見えるわけです。

もちろんオリラジだってあんな風に売れれば周りのねたみそねみだってあるだろうし、物理的にも休みが無いのはきついと思う。売れたから幸せなんて一概には言えない部分もあるのかも。でもね、やっぱり私は家で一人売れない芸人がオリラジが出てるテレビを見てるって姿の方に悲哀を感じる。

まあどっちがどっちって話でもないんですが、やはりオリラジには悲哀が足りない。顔もそれなりにカッコイイみたいだし、そもそも私は女にもてるような芸人は好かん。女にキャーキャー言われて笑いが取れるのか。答えはNOです。カッコイイなんて言われる奴は所詮ブサイク芸人の前振りや引き立て役に使われて終わりです。余程カッコイイのに何々みたいなものがあれば別ですが、基本ブサイク芸人に比べて打たれ弱いから、やっぱりあんま面白くない。

笑いが取れるのは顔が気持ち悪いとか、女を引かせるようなエピソードを持っているとかいう芸人の方なんです。あくまで私の主観での笑いですけど。

でもそういう風に考えるとアンジャッシュとか結構かわいそうなんですよね。若さやフレッシュさはオリラジに持っていかれ、かといって微妙にかっこいい路線でここまで来てしまったために、今更毒も吐けなければ下ネタにも走れない。芸人として色が薄くなっちゃってるんです。まあそういう芸人は逆に応援したくなる訳ですが。キャラの一新を図ってもう一度売れて欲しい。ネタで頑張るのもそろそろきつい気がするし。エンタ見なくなってからどんな風になってるかあんま知らないんだけど。

やーだー、ちょっと書こうと思っただけなのに、えらい長く書いちゃいました。しかもお笑いの話ばっかり延々と。というかね、私友達いないからもう何年もお笑いの話とか人としたことなくて、お笑い好きが内向しちゃってるんです。だからいざ書き始めるとつい長々と。結構自論なんかがあったりしてね。

まあ吐き出す所がない寂しい子のたわ言に過ぎません。結構えらそうに書いちゃったけど、お前はどこから物言ってんだ的なツッコミは無しの方向でお願いします。ほら、お笑いなんて結局見る方は何でも言えるっていうかー、あははー。寝まーす。

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2007年1月 1日 (月)

芸人の話

あけましておめでとうございます。なんか2007年っていうと2006年から急に2010年に近づいた感じがしてビビリますね。

なんというか世の中では新年というものはめでたいものらしいですが、私はちっとも楽しくありません。というかなんか一年の始まりって働いてる人が日曜日の夜が一番イヤっていうのに通ずるものがあります。またこれから1年が始まるかと思うとどちらかといえば鬱っぽくなってくる。

まあ素直には喜べません。そんな事言いながら冒頭でおめでとうって言っちゃいましたけどね。定番として一応。

正月はテレビっ子にとっては忙しい。今も新春9時間生放送をどこまで見るか見極め中。全部見たら朝の10時ですからさすがにどっかで寝たいと思いますが、寝時が難しい。去年は9時ぐらいまで徹夜しましたが明日は父親に初詣に連れ去られる予定なんでもうちょっと早く寝ておきたい。

ちょっと話は変わりますが、今年の年越し番組はちょっといまいちでしたね。お笑いゆく年来る年を見てたんですが、ちょっと悪趣味。年明けからいきなりいじめを連想させるようなドッキリなんて見たかねえっつーの。私もお笑い好きなんでそんなに倫理にうるさいというタイプではありませんが、よってたかって誰かを笑いものにするような笑いはあまり好きになれない。

ちょうどいじめ問題が喧伝されてるし苦情とかこないんでしょうかね、ああいうのは。それにしても年明け早々あの手のドッキリをやるってのがほんとセンス無い。その後の私物押収クイズとかもいまいち何が面白いのか分からず、テレ東の番組が始まるまでチャンネルに困ってしまいました。去年はそんな事無かったのに。ああそうか、ナイナイの火の中に突っ込む番組が無かったからだ。毎年あれで年越してたんだよね。

んでもやっぱりテレビはテレ東の深夜に限りますねー。板尾24とか板尾好きの私にとっては夢のような企画。見てて嬉しくなります。最初の方の女芸人ガチンコ相撲も面白かった。森山中黒沢がちょっとマジだったのがグッときましたねー。いやー、司会の木村もいい味出してるし。

それにしても芸人が頑張ってる姿というのは癒されますねー。テレビで芸人見てる時は結構幸せです。やっぱテレ朝のゆく年くる年みたいな番組と違って、陳腐な言い方ですがテレ東の番組には芸人同士に愛がある。だから見てて安心するのです。

でもやっぱり私の好みとしてはカッコイイ奴とか多芸な奴よりは、ブサイク芸人とかこれといった芸の無い芸人の方が好き。ぐっさんとか歌うまいけどあんま面白くないしね。友近も。なんか私は才能に溢れてますって感じに引いてしまう。やっぱり悲哀やコンプレックスを抱えてる人間の笑いの方が魅力あるし。

面白くない面白さってのに弱いんだよね。たむけんとかRGについ惹かれてしまう。

はー、もう4時か。いつ寝よう。まだ全然いけるんだけど。いかん山下の大好きメンチカツがツボにはまってしまった。すいません見てる人しか分かりませんね。

さてと、ウチは年賀状も無ければお節も無く、正月なんて完全スルーですが、皆様はよいお正月をお過ごしください。私はもちっとテレビを見てから寝ることにします。

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2006年10月18日 (水)

馬鹿が付くほどテレビっ子

今日はちょっと早起き。つっても10時ですが、私にしてはまあまあ早いほうです。久しぶりにこの時間に起きると、外の明るさが違うのにびっくり。10時ってこんなに明るかったんですね。なんかちょっとカーテン越しにも紫外線が、鬱陶しい、みたいなね。直射日光に体力を奪われるタイプなんで、ちっともすがすがしい気分になりません。

まあでも早く起きたら起きたで時間はさっさと経っちゃうし、早く起きた分お腹はすくし、あまり有意義な感じがしない。そんな事を言ってウダウダしてたらもう21時過ぎてて、一日はあっさりと終わってしまう。年を取ると時の流れが早く感じるって言うけど、この年からこんなに早かったらこの先20、30、40と年を重ねたらどんだけ早くなるのか考えるだけで本当に恐ろしい。

今だって2006年だということを信じたくない。ほんと早すぎませんかあまりにも。そうこうしてるうちにすぐ11月になって試験になっちゃうし。ああもうこの話はやめよう。

ってことで話題を変えて、私は何を隠そう筋金入りのテレビっ子。テレビのない生活なんて考えられないってぐらいの依存っぷりです。ですが、最近そんな私にとって致命的なことが一つあります。それが最近のテレビが全く以ってつまらないということです。いくらテレビっ子でも見たい番組がないことはいかんともしがたく、最近頭を悩ましているのです。

ゴールデンにしたって、前はなんとなくつけていたい番組が2つぐらいはあって、どっちにしようか迷う、ということすらあったのですが、最近ときたらましな番組を見つけるのにすら難儀する始末。安心してつけていられる番組がないのです。見ていると、うわー、嫌いな奴が出てる、ああもうこんなの何が面白いの、とかいいながらチャンネルを変えまくり、落ち着く先はNHKのニュース、みたいな事がざらにあるわけで、テレビっ子としては寂しい。

そんなに言うならテレビなんか見なきゃいいじゃん、とか言う人もいるでしょうが、見たい番組があろうがなかろうが、テレビが本当に好きなんですよ、これが。生活にあの雑音が不可欠というか。

そんな感じで最近はテレビはもっぱら深夜な今日この頃。で、深夜から面白い番組を探し出すのが趣味なんですが、昨日の夜やってた「働くおっさん劇場」、これはいい。ダウンタウンの松本が別室でウォッチングしつつ質問して、それに面接室みたいな部屋に通されたおっさんが答える画が続くだけっていう地味ーな笑いなんですが、なんか好きなんですよね。松本につられて笑っちゃうっていうのもあるんですが。お勧めです。ぜひぜひご覧ください。

今回テレビやお笑いの話はそれなりに字数が稼げることが判明。これからもちょくちょく書くかも。いいネタみっけー。

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