かもしれない人生
かもしれない運転ならぬ。
嫌われたかもしれない。
鬱陶しいと思われたかもしれない。
つまんない奴だと思われたかもしれない。
面倒臭いと思われたかもしれない。
嫌な奴だと思われたかもしれない。
否定されるかもしれない。
拒絶されるかもしれない。
笑われるかもしれない。
酷いことを言われるかもしれない。
私の言葉が誰かを傷つけたかもしれない。
言い方が悪かったかもしれない。
嫌な思いをさせたかもしれない。
説明が悪かったかもしれない。
かもしれない。こんな風に色々考えながら生きるのが「かもしれない人生」。相当疲れる。
他の人の何倍消耗してるんだろう。
時々嫌になって全部やめたくなる。運転で言うなら「そこの角から人が飛び出してくるかもしれないからもう車なんて乗らない」みたいなことです。どうせ嫌われるからもう人となんて関わらない、ってことですね、現実に直すと。
この性格は一生変わることはないでしょう。経験や時間の経過と共に多少なりとも緩和されることはあってもこの病気が治ることはない。永遠に。
私だって「かもしれない」から解放されて思ったことをそのまま言いたいし、相手の言葉をそのまま受け取りたい。でも微に入り細を穿つ執拗な被害妄想がそれを許さない。自然に人と関わるってどういうことか、私には分かりません。私にとっては人と関わること自体が不自然そのもの。
端から何も期待しない。端から何も求めない。諦めこそが楽になる道だってことになるのも仕方ないよね。
まあ変えようとか変わるべきだとかはあまり思わないので、つまらない自己啓発に耳を傾けるつもりもないし、積極的に何をしようとも思いませんが、被害妄想とうまいことつきあっていくというのは考えなくちゃダメだよね。
こういうのは自分で被害妄想を抑えようとすると余計に悪化するんです。とりあえず客観的な事実で被害妄想を否定できる部分と、ここはもう被害妄想にどっぷり浸かっちゃおうという部分と、両方大事にしなきゃなりません。被害妄想も個性だから。
で、その客観的な事実で被害妄想を否定できる部分が増えることが成長ってことだと思うんだな。これでも何年か前から比べると随分マシになってきてるんです、私の被害妄想も。これは私が嫌われてるわけじゃないんだな、と判断できる機会が増えた。
だから自分の性格は変えようとするんじゃなくてうまいこと折り合いをつけていかなきゃならないんだというお話です。説教かよ!
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