たけしの日本教育白書
リアルタイムで見ながら感想を書いてみます。
トロッコ問題。難しいけど私だったら「何もしない」を選びますね。人間を頭数で考えるようになったら人権もへったくれもなくなる。多数を救うためなら少数の犠牲は仕方ない。スイッチを切り替えることはそういう考え方を助長させる選択です。5人が助かれば1人はどうなってもいい?
トロッコが向かってきてるのは変えようがない。どのみち誰かは死ぬ。でもスイッチを切り替えるという人為を加えればそれはその1人に対しての殺人になる。人の命は数では図れない。1人より5人の方が大切と勝手に判断し手を加える事自体が命の軽視に他ならない。だから私は何もしない。
通り魔事件とか。常識人がこの手の事件について語っても何もならない。特に加藤智大の事を生半可な認識で語ろうものなら私が許さない。常識に塗れた議論。常識に塗れた冗長な説教。そういうものをブチ破らなきゃ殺人者予備軍なんて救えないよ。
石原良純。こんな奴に何が分かるのか。キャスティングがおかしいよね。岡山県突き落し事件か。これは確か父親の事が好きだったのに「仕事をしろ」と言われて突き放されたような気がして事件に及んだ、という話だったと思う。痛々しいなあ。いじめの時に守ってくれたり、一見いい親に見えなくもないけど、俗世間的常識より自分の息子を優先させるというところまではいかなかったのね。
身の丈に合わない大学を目指したのだって、父親に認められたいという一心だったと思う。いつまでも等身大の自分を受け入れられないわけだから、永遠に背伸びし続けるしかない。でもその背伸びも否定されてヤケになった。
結局一人の人間として息子を認めてこなかったんだよね、あの父親は。いつまでも弱い存在として、守ってやらなくきゃ何もできない人間として扱った。それだと父親への依存心は高まっても、精神的自立がいつまで経っても訪れない。守る事は大切だけど、一人の対等な人間として認めた上じゃないと、自尊心までも根こそぎ奪っちゃう。こういう事件は辛い。切ない。
夕飯の時、父親にだけ刺身をつけたらどうなるかという実験。くだらない家族ストーリーを見せやがって。人と人とが対等な関係を築くという簡単な事がなぜできない?男が偉いとか親が偉いとかどうかしてる。ただ子を持ったというだけで、男に生まれたという事だけで他人より一段上にいるなんて理不尽な事実をなぜ受け入れられる?
思考停止的な上下関係を叩き込めば人は馬鹿になる。上には卑屈な笑みを浮かべ、下には醜い支配を行う。上だ下だ権威だという醜悪なものは断じて再生産させてはならない。汚らしい手垢に塗れた理屈の通らない上下関係など直ちに粉砕すべきだ。
次は夢。「夢を持て」という言葉はくだらないよね。そんなものなくたって生きていけるし、いつまでも夢を追いかけて真面目に働いてなかったりすると、それはそれで文句を言われるわけだしね。結局働いてそれなりの賃金を得て税金を納めるという規定路線の範囲内で夢を見ろって事でしょ。ふざけろと。夢ってのは身を持ち崩すぐらいの凄絶なものじゃないと綺麗じゃない。結局それを食い扶持にする事がゴールというのも面白くないしね。
夢を持てなんて本来は生半可な気持ちで言えることじゃないんですよ。それに生業として成功させる事だけが夢じゃないでしょ。一生働かないというのも夢だし。一生家から出ないというのも夢だし。
そうやって職業としての成功を夢として強制するから息が詰まる。若者は苦しむ。やりたい事を仕事にするって誰にでもできることじゃないよ。難易度の高いことをできて当然のように流布するのはよくない。仕事は仕事と割り切って考えるってことも教えていかないと。
学校の教育制度をどういじくりまわすかという話には興味がない。学校をどう潰すかという話なら聞くけど。教育委員会なんてどうだっていい。
採決禁止はおかしいね。校長の発言の機会がないからって採決の方を封じちゃうってのは無理があるだろ。そうでもしなきゃ発言もできないような奴を制度で支えてまで封建的なヒエラルキーを維持したいの?馬鹿なんじゃない。石原都政の汚点ここに極まれりって感じ?
学校を運営していくのに校長の権力が必要?校長が有無を言わさず決定を下すことが必要なの?みんなで話し合って創りあげていくに適した場所なんじゃないの、学校って。
なんちゃって、腐った学校には腐った制度がお似合いだからこれでいいのか。校則だ制服だとつまらない決め事で生徒をがんじがらめにしてる「教育」とやらの帰結が採決禁止ってユーモアとしては笑えるよ。生徒を管理するしか能がない教師が上から管理されて採決も取れないなんて皮肉だわ。教師に「採決禁止はおかしい」なんて言える資格のある奴がいるかが問題だよね。学校教育という腐った枠組みの中なら採決禁止も映えるよ。
石原登場。親玉だな。人と人との関係を権力を介してしか捉えられない可哀想な人種。こういう人にとっては「対等な関係」など存在しないのでしょうね。年齢、性別、肩書き、国籍、人種…。あらゆる選別が瞬時に行われ、汚らしい目で蔑んだり見上げたり。従わせるか従うかという殺伐とした世界観。
「個性、感性が大事。人間自由なんだ」。いいこと言ってるのに、やってることは権力による支配。国旗掲揚、国歌斉唱を強制しといて「個性が大事」って矛盾だらけじゃん。感性を潰すことばっかりやってるくせに何を言ってるの?
三知事対談。力で押さえつける教育はもう持たない。体罰容認の空気がガンガンに漂ってますが…。少しでも暴力を解禁すれば今旗色の悪い「子供には強制が必要」派が盛り返してくる。適度な体罰なんて学校の中まで入り込んでちゃんと監視できるの?責任持てるの?そんな力を用いなければ教育もできないようじゃ話にならない。
力に対する耐性は誰でも持ってるわけじゃないし、誰もが持たなきゃならないものでもない。自分がそういう暴力に晒されて育ったからといって他人にもそういう環境で育つ事を強制するなんてなんたる狭量な価値観だろう。力による教育でうまく育つ人もいるだろう。でもそうやって育った人には弱い人を思いやる能力などない。強くあるという事は弱さの否定に直結するからです。
終わった。280分。たらたら思ったことを書いてみましたが。見てなかった人には伝わりづらいでしょうが、まあ雰囲気だけでも楽しんでください。
総論としては普通。目新しいことは特にない。本当に今現場で苦しんでいる若者に対して共感能力のある人間が一人も居なかったことが教育を語るというのに問題だし、学校だの家庭だのに原因を求めるばかりで肝心の社会という視点が欠落していたのも問題。
教育は家や学校だけで行われるのではない。人を育てるのは社会です。私達一人ひとりが構成している社会。何かあると特定の家庭や学校に責任を押し付けて自分は大丈夫、自分は関係ないと安心する。そういう他人事のような考え方を改めて自分の問題として考える意識を持たないと、状況はよくならないと思います。
今回のテーマは「変わらなきゃ」。私のメッセージは「社会の復権」ですね。当事者意識を持て、日本人。
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