ふざけきったジレンマ
何で人は沈黙が流れると天気の話を始めるのだろう。黙ってりゃいいのに。その態度がものすごく軽薄な気がして気に入らない。そうまでして人と話していなければ落ち着きませんか。私はそんな奴とは絶対に友達にならない。あと加藤智大に共感できないような奴とも(略)
久しぶりにちゃんと前置きを書いてみた。最近は考えるのもやめていたのだけど。
それはそうと、私は最近悩んでいる。書くことについて…なんてもったいぶって書くとサムいのでさっさと言ってしまいますが、私はとっても気が小さい。自分の言いたいことを言って、後は知らなーいなんてことができるような人間ではない。それが悩みの入り口。
表現とは誰かを傷つける事、と爆笑問題の太田が言ってましたが、本当にその通りで、何かを書くって事は誰かを傷つける事だと思う。誰も傷つけない表現なんてない。あったとしてもそれは実質的に何も言っていないに等しいような表現に過ぎないでしょう。だから自分の思ってることを言おう思ったら傷つく人がいるのは覚悟しなきゃならない。
なのにあろうことか私は悪者になりきれていない。自分の書くことによって傷つく誰かの事が気になったりする。馬鹿じゃないかと思う。今までだって誰かが傷つくのは分かっていたんだけど、コメント欄を設置した事によってその傷つく誰かの存在がより生々しく感じられ、恥ずかしながら、少し、筆が鈍る、ことがある。
私の心は二律背反どころではない。三律背反、四律背反である。優しいとかいい人だとかは死んでも言われたくない、でも誰かが傷つくのは気になる。言いたいことが言いたい、でも感情的な人間とは思われたくない。憤ってる、でも同時にどうでもいいと思ってる。そりゃあもうここでは書き表せないぐらい複雑に相反するものたちがね…。
傷つく人がいるから書かない方がいいというのは違うと思う。そんなものいようがいまいが書かなきゃならないことはあるし、そんなことに気を取られてたら言いたいことが言えない、伝わらない。医者が患者一人ひとりの死に感情移入してたら務まらないように、物書きもそうだと思う。自分の吐いた言葉によって傷ついた人間一人ひとりに気を取られてたら務まらない。まあまったく無感覚になってもダメなんだけど、私の場合そのバランスがあんまりうまくない。
これを読んでる人ってのは私がきつい言葉を何の遠慮も躊躇もなく書いてると思ってる?まあそれならそれでキャラが通ってるって事でいいんだろうけど、残念ながら私はそんなカッコいい人間じゃないのね。本当に残念だけど。
気持ち悪い。私はそんなきつい人間じゃないんだ、分かってくれなんて言ってると思ったら大間違い、そんな言葉書いただけで反吐が出る。ただここは私の場所で、私が思ってることを遠慮せずに思う存分書いていい場所で、それなのにつまらない配慮なんてものに取り付かれそうになってる私を少し叱咤激励しようと思ってこれを書いてる。偽悪はダサい。でも単純ないい人もダサい。何を書いてもこの題材じゃダサくなってしまう。私という人間のどうしようもなさを象徴しているようだ。
「知ったことか」と言いたいけれど。そう言うべきなんだろうな。本物の「悪」になるしか抜け道はない。
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