トロッコ問題
教育白書についての記事を書いてから他の人の感想とかブログもちょいちょい覗くんですが、トロッコ問題について真正面から答えない人間が多いのに驚きました。
この問いは生命倫理を問うことを目的に作られてるわけです。誰かを救うために誰かを犠牲にする事はいいことか?という事を考えるためにこの問いは存在する。できる事なら両方死なせずに何とかしたいというのは誰もが思うところなのでしょうが、そんなことを言ってたらこの問いの主眼である倫理の問題に話が発展していかない。
両方助ける事は絶対にできないという前提が重要な意味を成してるという事が理解できないんでしょうか?それもよっぽど軽妙洒脱な答えを考え出して両方を救ったならまだいい。大声を出すだの切り替えスイッチを真ん中にしてトロッコを止めるだの…実につまらない。そんな答えに何の価値があるのか理解に苦しみます。
どっちかは死ぬって言ってるんだからその範囲内で答えを考えろよ!お前はそんなに人を救いたいのか?甘ったれてるよね。現実には億単位の人間を見殺しにして生きてるくせに、自分の意識の及ぶ範囲では仮定ですら人が殺せない。自分に人が救えると思い込んでるみたい。できもしないくせに。
私がそういう中途半端な答えに腹が立つのは、そういう答え方をする奴が総じて自らの加害性に鈍感だからです。先進国に生まれて生きてればそれだけで途上国の人達に何らかの犠牲を強いている事になるし、他にも他人に犠牲を強いているケースなんていくらでもある。
自分が誰も傷つけず、誰も犠牲にせずに生きてる。そういう思い上がりが「私は全員を助ける」なんて甘ちゃんな答えを生むんです。人間なんて普段から誰かを踏みつけて押しのけて生きてるんだから、こういう質問にだって淡々と答えなきゃなりません、本来は。
私は一人ひとりの命の重さを尊重するために5人を見殺しにします。トロッコが5人のいる方へ突っ込んでいくのは最初から決まっていたこと。私がそうしたわけじゃない。私は殺人はしないし、5人より1人の方がなんて下衆な考えもしません。スイッチは切り替えずに5人を救うためにちょっとだけ頑張って「やれることはやったんだ」と自分を納得させて5人が死んだ後ものうのうと生き延びます。これが私の答え。
みんな綺麗事が好きよね。全員を救うといえばそれは聞こえはいいけど、そんなんじゃ人間の本性に全然迫れない。そんな上辺を取り繕ったようなことばっかやってて楽しいのかな?自分の倫理観のために何を犠牲にするのかを冷徹に分析するという姿勢が欠けてる。
「そんなの選べな~い」とか言われるとぶん殴りたくなるんですよね。ぶってんじゃねえよ!と。人間ってもっと残酷な生き物だと思うんだけどね。みんな人が好すぎるのかなあ。いや何も考えてないだけか。
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